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人間として生きるために

20年前の9.11。
あの日、NYの世界貿易センタービルめがけて突っ込んでいく航空機の映像をTV(たぶんニュースステーション)で見た衝撃は今でも忘れられない。
一緒にTVを見ていた家族は、「え?航空機事故?」と言ってたけど、パイロットの倫理観、責任感から考えて、機体にどんな異常が生じたとしてもビルのど真ん中に突っ込むという選択肢は「あり得ない」と答えた。
このあとの米国の行動は、皆さんが知ってのとおりだが、賛否は別にして、日本ではとても真似できないものばかりだった。

当時、米国内ではテロ事件から1か月足らずの10/9には学校再開となったようだが、そこへ至るまでの考え方、進め方が「コロナと似ている」との指摘がなされている。(https://www.fnn.jp/articles/-/236994)
詳細は記事を読んでいただけたらと思うが、9.11のときは「アメリカは復活した」「アメリカはテロに負けない」というメッセージを早期に発信したかった、ということであり、そのために環境保護庁が「周辺の空気や水は安全」という宣言をしたのだった。(のちに宣言が早すぎたことを自ら認めた。)
そして、今は「コロナを克服し、日常生活をいち早く取り戻した」象徴として、学校再開が議論されているというのだ。

確かに、根底にある考え方には、ある種の共通性があるように感じる。
「強い米国」でなければならない、という呪縛、あるいはメンツにも見えなくはないが、とはいえ、多民族国家、合衆国というスタイルである米国には特有の事情があるのかもしれない。
いずれにせよ、すべて「安全第一」では決められないだろう。それは、日本も同じだ。

最近、東京はじめ全国の感染者数が減少傾向ということもあり、政府からは日本も11月くらいから制限緩和も、という話が出始めている。
こうした話に対して、サントリーHD・新浪剛史社長は『11月なんて我々の業界としてはとんでもないと思っている。早くやらないと、ある意味アナキズム(無政府状態)になっている。聞かないんですみんな言うこと』と、先日の経済同友会の集中討議で発言している。(https://www.news24.jp/articles/2021/09/09/06937431.html)
経済界としては、当然の発言とも感じるものの、その一方で、準備を怠って勢いで制限緩和してしまっては、前述の米国と同じだと感じる。
やはり、もう少し科学的な評価を加えて判断すべきだろう。

私自身は、制限緩和をできるだけ急ぐ、という点には賛成であるものの、その理由は経済活動のためということよりも、人間として生きるということから重要であるとの立場である。
経済活動だって、人間として生きるために必要なものに過ぎない。経済活動のために生きてる人はいないと思うのだ。昨年の自粛生活で、「家にいて生き延びるだけ」の人生が、なんと味気ないか、を痛感した人は少なくないだろう。

それでも、「安全第一」の考え方の人には、「まだ早い」という話になることは想像に難くない。
他国の例を見ても、国内でのブレークスルー感染の例を見ても、今のワクチンが決して完璧でないことは明らかであり、「コロナ撲滅」を目指す人には文字どおり「コロナ感染者がゼロ」になるまで、あるいは劇的な治療薬ができるまでは「早い」という判断になると思う。

いろんな考え方があって良いと思うが、私自身は、確かにワクチンは完璧ではないものの、かなり大きな効果があることもまた事実だろうと理解している。
以前、noteで投稿したように、すべてを「禁止」や「自粛」という形で、個人やお店の活動を制限する方向だけで解決するのは到底無理があると考えている。
むしろ、これまでの政府には「どういう運営をすれば制限を最小限にできるか」という視点が足りな過ぎたと考えている。

当然、だからと言って、すぐにコロナ前の状態にすべき、なんて考えはない。
適切に(これが一番難しい部分だろうが)変わり続ける状況を管理し、リスクコントロールしていく、ということが重要だと考えている。
例は極端だが「外出すれば、自動車事故に遭うかもしれないから、ずっと家にいなさい」と言っていたら、人間として生きる、ということは永遠に期待できなくなってしまう。

コロナ株の変異速度が速いために、ワクチン接種率が上がっても「集団免疫」が獲得できるのかわからない。
『ワクチンを接種すると不妊になる』などと言うデマを流す人たちの存在を考えれば、少なくともあと数年はコロナと共生していくことになる可能性は十分に高そうだ。
そろそろ「行動制限をさらに徹底して、コロナを撲滅しよう」という発想からの転換が必要ではないだろうか。

ということで、今日はこの辺で。


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