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ありがとう

最近「生きる」ということについて
考えさせることが多くなってきました。

混沌としたこの時代。
ニュースで流れる映像から伝わる
「剥き出しの悲しみ」に触れた時に。

私の中から溢れてきた歌は、
天国の母を想ったうたでした。

私の母は、12年前に病気で亡くなりました。

病気が見つかった時点で
余命宣告を受けるほど、
母の病は進行していました。

滅多に風邪もひかず、
いつも元気いっぱいだった母。
急に見舞われた、その深刻すぎる病に
家族の誰もが打ちひしがれていました。

しかし、母は決して、諦めることはありませんでした。

「私は絶対に治す。元気になる。」

そう信じて、最後まであきらめなかった母。

その後、父も病気になり、
ひとり暮らしをしていた私は実家に戻り、
母と父、そして、幼い頃から同居していた認知症の祖母の
3人の介護をすることになりました。

3年ほどの闘病生活の末、
母、そしてその1か月後には祖母、
半年後に父を
天国へ見送りました。

もちろん、たくさん泣きました。

たくさん泣いて泣いて、
最後に私の中に残った感情は
『罪悪感』

どうしてもっと、優しくしてあげられなかったんだろう?

どうして、母にあの時あんな言葉を投げてしまったんだろう?

どうして、いつもあんなにイライラしてしまったんだろう?

どうして。
どうして、病気を治してあげられなかったんだろう。

私の中で、私を許せないまま、時は流れていきました。

昨年、心の学びをした中で、初めて出会った
「グリーフケア」という言葉。

大切な人を失って、深い悲しみを抱える人に寄り添い支えて、立ち直ることができるようにサポートする、という意味のこの言葉が、
私の中に深く響きました。

私は、私自身の喪失感に、全く向き合えていなかった自分を見つけました。
ずっと、自分を責め続けて、
「悲しむこと」に許可が出せていなかったのです。

母のことを話すと、どうしても涙が出るので、他の人に話すことはほとんどありませんでした。

泣いてしまったら、
気をつかわせてしまうから。
迷惑をかけてしまうから。

そうやって、理由をつけて
自分の悲しみに蓋をしたままだった私。

少しずつ、自分の悲しみと向き合いながら、
旦那さんに、母や父、祖母の話をすることも増えてきました。

そして、今。
母を想う歌を作り、歌うことができるようになりました。

私の中の「グリーフケア」は
12年経った今、やっと始まったような気がしています。

このうたが、誰かの
「失った悲しみ」に、
ほんの少しでも寄り添うことができたなら、幸せです。


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