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わたしが悪いと考える癖

わたしは、何か悪いことが起きたり、仕事でトラブルがあったりすると、自分が悪いと思う癖があった。癖というか、そうゆう風に考えたほうがラクだと思ってたし、それが正しいと思ってた。

例えば後輩が仕事でミスをしたら、わたしがうまく説明しなかったのも悪いよな。という具合。物事10-0なんてないから、ミスした後輩に腹を立てるより、自分にも非があったと思うほうがイライラしなくて済むと思っていた。なんだったら、どう考えても自分に非がないことでも、自分が悪い部分を絞り出していた。

これはまだマシなほうで、もっと厄介なのは、誰かに嫌われたり嫌なことを言われたりされたりした時も、わたしが悪いと思っていた。

そりゃ心を壊すよなと、今では思うけど、正しいと思っていたのだから、その思考が自分を追い詰めているなんて、露にも思ってなかった。

それに気づかせてくれたのが、桜林直子さんとジェーン・スーさんのPodcast「隣の雑談」。このPodcastでは、わたしみたいな思考の人を「土の人」や「泥の人」と表現されてる。詳しくはPodcastを聴いてほしいが、そんな考え方があるんだ、見えてる世界ってこんなに違うんだの連続で、自分を苦しめている自分に気づかせてくれる。

また同じ頃、10年間社内の人に意地悪されてたけど辞めずに続けていた人が放った「わたし、人のせいにしがちなの。あの人の性格が悪いからって」という言葉。
目から鱗だった。自分以外のせいにしてもいいんだ。

もちろん本当に自分が悪いミスを人のせいにしたり、責任逃れしようとするのは良くないけど、自分が悪くないことは、自分のせいにしなくていいんだと思うと気がラクになったのと、物事の見え方の違いや、自分の思考を疑う必要性にも気づいた。

いつからこんな思考になったのかなと考えたら、中学に遡る。クラスに馴染めず学校を休みがちだった時、親に「いじめられるほうに原因がある」や、「恥ずかしい」と言われ続けていた。中学生にとって、親の言うことは絶対なわけで、当時は自分が悪いと本気で思って悩んで苦しんでいた(誤解されたくないために書くけど、基本的にわたしは親の育て方に感謝してるし、関係性が悪いわけでもない。だからこそ親に言われたことに疑問を持たずに育ったのだけど.....)。

ただ中学の時のことは、高校で友だちがたくさんできたこと、大人になって「そりゃ、あなたはあの学校には合わないよ」と知人に言われたことで、トラウマは消えたけど、根底には自分が悪い論があるので、事あるごとに自分を責めていた。

まだ完全に思考を変えられたわけではない。

今日だって、電車が大幅に遅れて仕事の集合時間に遅れそうになった時、待ち合わせの30分も前に着く電車に乗っていたのにも関わらず、もっと早い電車に乗らなかったわたしが悪い......と思いそうになった。

だけど気づけたことが大きな一歩なので、これから少しずつ思考を変えて、自分を責めないようになりたい。

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