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比べる、選ぶ。

1000円のあの製品、買っとけばよかったかなあと今でもうなっています。もう購入できないのに、です。
3000円で似た製品があるのはわかっています。買わなかった後悔というものに蝕まれています。仕方のないことです。人間ですもの、後悔先に立たずです。
しかしながら、買ったら使っていたか?を想像すると、これまたうーんとうなってしまいます。うーん。そんなに頻繁には使わなかったかもしれません。買わなくてよかったかもしれません。
そう、いったん落ち着いてはまた思い返してうなり出すのを数度繰り返しています。
お金に余裕があったら買っていたでしょうか? 収納にゆとりがあったら買っていたでしょうか?

本当の意味で、自分の力で選択できている人は少ないんじゃないかと思ったのです。
環境による制限、流れて聞いた情報、受動的なものごとからの影響はとても大きいものです。知りたいと意欲的な人でない限り大体の人がそうでしょう。私もそうです。
話題になっている商品は気になりますし、新商品や限定もの流行ものは目につきますよね。目につきやすいようにしているでしょうし。
そういった周りの空気感、雰囲気で良いと感じてしまうんですよね。知らないうちはそうやって流されていたように思います。

私はお茶の時間が好きで、最近はコーヒーを自宅で淹れ始めました。紅茶も好きで、ポットも集めたいのを我慢して、でも奥底では吟味しています。和菓子には煎茶もいいですね。好きなものがあるのは幸せなことです。
しかし、昔はコーヒーも飲めず、アップルティーの美味しさを感じず(今も苦手です)、大人になったのかなんなのか、よく分かりません。
種類によって全く味が異なるので、お出かけしては飲んだことがない、まだ味をよく知らないものを頼んでいます。気分にもよりますが。お茶はいろんな種類があって楽しいですよね。
ええ、そうです。一度挑戦して、知るから選べるようになるんです。

しかしながら、挑戦するのってなかなかハードルがありますよね。人生がかかってることなら尚更ハードルが高いです。
挑戦しないから、知らないから、選べないのかなあと思いました。

挑戦する前に色々下調べしますよね。その時にたくさんの物を見て、比較して、またあっちこっち見比べて、そこから決断に持っていく。
この決断が、ずっと難しく感じています。
どうやって決断していくんだろう。どうやって決断しているんだろう。
決められないのはもどかしいものです。ずっとモヤモヤします。
いつか制限時間がきて決められてしまったり、ハッと突然ひらめいたり、自然に任せたらいいのでしょうか。
ただ、こうして文章にすることで分かることや気づくことがあるので、文房具好きとしてはモヤモヤは紙などに向き合うことにします。今も書いていてそっか〜と思ったことがありました。
言葉にすることは決断への道のひとつなのですね。

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