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狙いがいつも外れる

昨日書いたことも、その前に書いたことも、特定の誰かではないと書きましたが、ターゲットがいないかと言われれば嘘になる。ただ、おもしろいくらいそのターゲットには届かない。リアルであってもここでも、私の放った毒矢は違う人に刺さっている。

なので、万が一、昨日の話を読んで「これ、私?」と思った方は違います。マジで違うんです。むしろ不快にさせて本当に申し訳ないです。ごめんなさい。平謝りにしか見えなくても嫌な気持ちにさせてごめんなさい。

なお、最近は自分に正直になりすぎてて義理でスキ押したりしないので、私が押してるのはマジでおもしろいと思った時だけです。エンタメ要素のクオリティの高さに肝銘を受けてます。分かりやすい伝わる文章。私と違って独りよがりでない表現。地に足のついたポジティブ過ぎない内容。そして私にとって意味のある言葉。一番はこれです。ありがたく勝手に受け取っています。

最近はもはや3行読んで違うと思ったら読まないので。何を偉そうにだけど、好き嫌いの幅は誰にも負けないくらい激しいので(これくらいしか誇れない)いまは好きなものだけ取り入れたい、そんな状態なのだと思う。

そんなわけでダークモードを卒業し、そろそろ曖昧な毒矢を放つことはやめます。徐々にラテンに戻ります。


今日、家で探し物をしていた時、ミャンマーでちょっとだけ先生をしていた頃の生徒からもらった手紙が出てきた。一年ぶりくらいに読んだら馬鹿みたいに号泣。1人目でウルウル、2人目でホロリ、3人目から声を上げて泣く。やべぇヤツだ。生徒は30人くらいいたけど全員思い出せる。数ヶ月という短期間だけだったのに、濃密で楽しくて同時に辛くて、毎日生徒から向けられる笑顔と彼らの成長に(大人だけど)びっくりしていた。

なぜこの話って上述の内容と若干重なるから。私はよくこの生徒達へ喝を入れていた。結構キツイことも言った。でもね、こいつに届け!お前に言っとんじゃ!という生徒には届かずに(この場合は後で個人的に呼び出して伝える、怖い教師である)、真面目で頑張ってる生徒に何故か刺さってしまい泣かれた。違う、あなたじゃない。いや、まあ全体に対してのメッセージでもあるけど、あなたではない。ごめんごめん!と何度となくなだめた記憶が思い出された。

言葉って伝わりやすい人・受け取りやすい人と、そうでない人(勝手ながら、鈍感お気楽ハッピー野郎、と呼ばせてもらう)がいるのだと実感する。私はおそらく前者で、結構他人の言葉を強めに受け取る。自分に向けられてない言葉もなんとなく自分のこととして受け取ってしまう。他人の話を聞いてのめり込んで感情を良くも悪くも揺さぶられまくるのはそういうことなんだと思う。

前は自分に対しても他人に対しても自意識過剰って思ってた。でも違う。自然と受け取り過ぎてしまう性質なのだ。

さて、鈍感お気楽ハッピー野郎というのは一見良さそうに見えるけど、彼らは私の中では要するにどちらも響かない人間として認識されている。つまり、良いことも悪いことも響かない。みんなが感動を共有していてもそれが薄い、悲しんでる人を見ても可哀想としか思えない・寄り添えない、周りの人が自分のために怒っていても何とも思わない、そういう人だと思う。めっちゃ偏見だけど。

そういう人たちが悪いとは思わないし、顔に出ないだけで本当は揺さぶられているタイプの友人がいるため、必ずしも見た目や言葉で判断できないものでもある。なんなら私もあまり顔には出ないらしい。言葉には出るけど。良し悪しではなくて、言葉を人より敏感に受け取る人が何となく周りには多いのだ。プラスにもマイナスにも響き過ぎてしまう人たち、私はもしかしたら自然とそういう人を呼んでしまっているのかも。

私は今日、生徒達からの手紙で泣けた自分で良かったと思った。そして昨日や最近のダーク投稿で傷つけてしまった人に対して、もうそれは取り消せないだろうから、塗り替えられるくらいの何かを渡せるようにしたいって思った。きっと受け取ってもらえるような気がするから。

ダークはダークかもだけど、曖昧な毒矢は捨てます。私もエンターテイメント性の高い内容を目指す。