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季節の引き金と記憶の傷

今日もダークに。初心忘るべからずな感じで独り言。暗いです。とてつもなく暗いぼやきです。

年明けはなぜかみんなが明るくてイキイキしていて怖い。目標とか立ててるのマジすごいと思う。そして年明け早々、自分はなぜこんなにも落ちてるのか。誤魔化していた自分のボロがあちらこちらから綻びている。私だけ取り残されてる気がする。

年始から例の同僚が感じ悪くて、それに対して過敏に反応している自分が嫌で、落ち込む。同僚からのメールにイライラすることはあっても、心臓がバクバクするなんて今までなかったのに。女はやはり怖い。

急に時が止まったような気持ちになる。まさかまたあの休職していた頃のような地獄に落ちんのかいな。勘弁してほしい。

クリスマスも年末年始も人が浮き足立っているのが苦手。特別な日を特別に祝ってる姿を見るのが苦手。またしても社会圧。数週間、ずっと息苦しかったんだろうな。急に訪れた休みにもがくことをやめて、その結果、完全に糸が切れた。張りつめて保っていたものが急になくなったのだ。水風船の水が全部出て空っぽなのだ。

何クソ根性で頑張れる私はどこへ行ったのだ。帰ってこーい。

一部の人にしか分からないようだけど、南国にいると気分は落ち込みにくい。単純に明るいからだと思う。私は暑いのがダントツ好き。春秋の肌寒いのですら苦手。冬の寒いのは無理。冬はリアルに太陽の出ている時間が短いからか、私はチャージされないのだと思う。太陽は無条件に眩しい。東南アジアでは雨季がしんどいが、それでも寒くないだけ楽である。ジーパンがカビようがバナナがカビようが冬の寒さよりマシだと思う。

去年この時期に限界がきて、休職までの階段を転げ落ちた。その記憶が場所も環境も変わってももしかしたら私の中には残っているのかもしれない。寒さが引き金になる。恐るべし、記憶の傷。

なんか昨日色々と書いてしまったけど、noteはやっぱり続けたいと思った。単純にあの人やこの人の投稿を読んで嬉しい気持ちになったから。あれだけ共感がどうのこうの書いたけど私はものすごく共感してしまった。暗めの記事に立て続けに。それでよいのだ。重くなったら読まない書かない、それでよいのだ。

最後だけ、バカボン風になっちまった。