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負の状態を決めつけないでくれ

台風の影響なのか、朝起きてカーテン開けたら暗い。日本だと冬の朝は暗いけど、南国でも雨季の朝はたまに暗い。というかどんよりか。太陽の子としては一段と切ない朝であった。

はて、こちらは特に問題なく、どちらかと言えば前向きに発言・行動してるのに、他人から負の状態として捉えられることがある。

以前仕事で、現地事務所として大変だけどこうしていこうと決めて、スタッフと頑張ろうと動き出していた矢先、

わざわざ自分で首絞めるようなことして、そんな無理しないでください

と、本部の人から言われ、は?となった。え、話聞いてました?こうこうこういう理由でこうすることになりました、と私的には珍しく前向きな感じで報告したのに、うちのスタッフもやる気出してるのに無理しないでってどういうことやねん。しかもその後も何度も「無理しないでください」って言われまくり、その度に、だから無理してねーよ、と思っていた。あと、うっせーな。

また、以前SNSにて、滅多に投稿しないのだけど、noteでも書くような日常のモヤモヤをネタっぽく綴ったら、

そっかそっか、それはしんどかったよね

と、コメントされた。え、しんどくないけど。私の中で解決されて、だからネタとしてぼやいたのであり、しんどかったこととか大して仲良くない人も繋がってるSNSにこの歳で書かないけど。それでも本人的には寄り添いのつもりなのか、その後も「それはしんどいわね」と言ってきて、え、何、話聞いてないの?しんどくないって言うてますやんと、うっせーなとパソコンに言いまくっていた。パソコン、ごめん。

このネガティブ野郎としては比較的安定して前向きに行動・発言してるのに、なぜか他人から一方的に「苦しそう」とか「無理してそう」とか「しんどそう」とか負の表現をされることがあるが、相手の意図が謎である。そんなに不幸に見えるのか。

「私はあなたのこと分かってる、心配してあげてるの」アピール?私特に困ってないですが。何のため?陥れたいんですか?

ここ数年、キツイときは誰かにキツイと言うようになった。深刻な感じではなく、ネタとして言うことが多いが、少なくともキツイ、しんどい、つらい、は形はどうあれ吐き出すようにしている。ここでもよくツライと書いてるけど、言語化することで休むことを意識するためだ。

「あー大変だ、しんどいよ、具合悪いなぁ」と言ってる人に、「大変そうですね、無理しないで」と言うのは分かる。だってしんどいって言ってるから。でもそうじゃないとき、自分が受けた印象でマイナスの「〜そう」は相手に押しつけにならないか。

特にしんどくも辛くもないときに、他人から「しんどいんでしょ」とか「苦しんでるよね」とか「また無理してる」とか言われると、マジ勝手に決めないでくれって思う。苦しくないのに他人から苦しんでそうと自分を表現されたとき、その負の状態を一方的に渡された気分になる。

そりゃあ、時にはギリギリの状態で無理して頑張ってるときもある。仕事とかはしょうがない。お金もらってるんだから。気を張って集中力を研ぎ澄まして根性で頑張ってるときに、他人から「苦しそうで心配」とか「無理してそうで見てられない」とかは「はぁ?」案件である。こっちは頑張ってんだよ。放っておくか、助けろや、と思うわけです。せっかくのやる気を削がれる。マジウザい。

負の状態にいない自分が、他人からの寄り添い風の優しい風の言葉で、一気に負の状態に持っていかれる。大変な迷惑行為である。

「あなたは自分自身で分かってないかもしれないけど、私には分かるの。本当はつらいんでしょ、無理してるんでしょ」的な感じで来られるのが受け入れ難い。こう言ってくるのが、仕事で私の横で常に働いてる同僚とか部下とかならいいけど、断片しか知らない人にその断片だけ見て言われるのは意味がわからない。

負の状態の舵を他人に握られるなんて、全開でお断りである。

ていうか、しんどいかしんどくないかで言ったら、私は常にしんどい。生きてることがしんどい。存在してることがしんどい。社会に不適合中なので。何度も言いますが、生きづらいんです、とっても。だから「いっつも全開でしんどそうだなぁ」とか「はっはっは、今日も苦しんでますね〜」と表現してもらったら、盛大な嫌味にも聞こえるが、ある意味受け入れやすい。自分の認識と合っているから。言われたら確実に睨むけどね。

とりあえず、寒い。夏なのに。南国なのに。日光浴びたい。