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自分の間違いを自分で認めてしまう方が気が楽である

昨日大きな山を一つ越えた。疲れた。70名くらいの人が参加したオンラインの会合だったのだけど、zoomさんに最後はやられた感じがあった。いや~難しい。ただ、どうしても準備不足があったのは否めないので、次に活かしたいと思う。ていうか次があと数か月後にもう一回あると思うとぞっとするわ。

ただ、私は現地スタッフにすごく恵まれていて、私がトラブルでテンパる中でも冷静に対応してくれたし、あんまりスムーズにいかなかったにもかかわらず、最後参加してくれたみんなが笑顔で「ありがとうございました~」って退出する前に言ってくれたし、日本人関係者の方に不手際をお詫びした際も「お疲れさまでした!」って声をかけてもらったし、ちゃんと温かさを感じる。ありがたいことよ、ほんとに。みなさんのおかげでした、とはこのことをいう。

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このクソ忙しい時に、例の同僚がまた私の仕事のやり方に口を出してきた。

別に口を出されるのは良いけど、あんたに言われる筋合いないってことを言ってくるからムカつく。しかも上から目線で。外部の人が一生懸命調整しようとしてくれてることを「忙しいのだから、やらなければいい」と言ってきたり、「今忙しいのだから仕事量調整する必要がある」「余計なことはしない方がいい」と言ってきたり。それはこちらの事情であって、プロジェクトなのだから決まった内容を忙しさで勝手に変えるの問題だと思うんですが。上司に言われるならまだしもなぜあんたに言われなきゃならんのだ。ちなみに大概上司は私の味方である。今回もうまくこの同僚の意見をなだめてくれた。若いのにナイス。

例のごとく、メールは即削除。ごみ箱からも削除。一生発掘されないようにしてやった。ばーか。

この同僚と話していると、「自分から」の視点しか持たないのだなと思う。「自分は」悪くない、「自分の考え方は」間違っていない。「自分」の意見に反対する人は間違ってる。みたいな感じがある。そしてそれを「~かもしれませんよね」とか「~だと思うんですが・・・」とか「どうですかね、でも~ですよね・・・」とか、私が嫌いな日本語の曖昧表現を使い、責任回避しているのも好きじゃない。何、その「・・・」は。「私は~だと思います」と言い切れ、馬鹿野郎。本当日本人のこういうとこ嫌い。

この同僚は前も書いたけど、自分の間違いを認めたがらない。私からするとこれってすごく謎で、間違ってたなら間違ってたと認めてしまった方が楽だと思うのだが、違うのか?べつに責めるとかじゃなくて、認めないと進まないからさ。自分の間違いは認めないくせに、相手の間違いはいくらでも追及する。ヤバいだろ。暇なんだろうな。そしてそうすることでしか自分を正当化できないんだろうな。レベル低いわ。

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昨日のオンライン会合も途中トラブル発生しまくりで、参加者に迷惑をかけまくったけど、ちゃんと謝って説明したら、皆さん理解を示してくれた。誰も責める人はいなかった。ただ、前提として、やはりこちらにミスがあったのであればきちんと認めて謝るというプロセスは必要である。それが誠意であり、誠意を示すから理解を得られると思う。

こういうトラブルに対してやたらといちゃもんつけてくる奴がいたら、そいつに問題があるのでそういう輩は無視すればいい。そういうやつは、どこに行っても文句しか言わん。ただの暇人である。

昨日もそうだったけど、最近の私は何か自分にミスがあったと気づいた時は、速攻で謝って、助けが必要であれば速攻でヘルプを求めることにしている。でないと解決に時間がかかり、問題が悪化することがあるから。そしていつからこうするようになったのか覚えてないのだけど(おそらくここ3~4年くらい)、こうするようになってから仕事がしやすくなった。特に自分より若い人たちと働くときにこれは有効だと思う。信頼してもらいやすくなるし(頼りないと思われてるかもだけど)、お互いにミスをカバーし合う感じに自然になる。

ミスを認めるってプライドが邪魔する感じがあるが、実際は認めるまでがちょっとキツいのであって、認めてしまえば気が楽だと思う。物事が動くからだろうな。ムカつく奴にミスをあーだこーだ言われるよりずっとマシだと思う。

ま、何が言いたいかって、例の同僚がムカつくってことよ。こういうときオンライン(ていうか今は海を越えてるので関係ないが)だとムカつく輩の顔を見なくていいという超ナイスなシチュエーションに感謝。

そして冒頭に書いたように、今のところ私は人の温かさに助けてもらっているのだから、ムカつく野郎は無視して、うちのスタッフや関係者の方々に感謝しよう。

冷房つけっぱなしで寝てしまい、掛布団で海苔巻き状態で4時半に起床。ビバ土曜日。