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妊娠している

◉これは一年前に書いていた日記で、下書きに残っていました。一年前も久々に書いて、また、やる気になって開いたら残ってたので載せてみます。こんな気持ちだったのだなぁと。今は経て、育児している。に、無事、なれました◉

もうすぐ出産を控えています。
昨年の、6月に『悲しいの途中』って日記かいたのだけど、それはお腹に来てくれた子がお腹からいなくなった時の気持ち、でした。
具体的に言葉に、いわゆる、流産、という言葉を、字面にするのには抵抗がありました。
その一年前にも一回、初期の、流産、を経験していました。もともと子供が欲しいという欲がわたしには無かったのですが、それでも2人の間に来てくれると、その度に、ソワソワしてワクワクして、それからダメかもしれないってなって、やっぱりすごく悲しい気持ちになる、という事を経験しました。初期の流産は確率的に高い、そう珍しい事じゃない、染色体の異常で仕方のない事だよ。と、お医者さんにも言われますし、本当にそうなんだと思いますが、やっぱりものすごく悲しいのです。だからまず、自分自身が『よくある事』だから、って片付けてしまわないで、悲しいんだなぁを、ちゃんと味わい尽くした方がいいと思いますし、側にいる旦那さんやパートナーの方はそれを見守ってあげて欲しいです。それは、どんな事でもそうだなあと思います。当事者の悲しいを、周りが片付けないであげた方がいいと思います。片付けずに側にいる方が抱きしめたらいいと思います。人肌のほの温かい温度が1番効果があると思います。誰もいなかったら自ら抱きしめてもいいし、お風呂、ゆぶねも、いいと思います。とにかく悲しいをちゃんと味わってから、次に進んだ方がいいと思います。
なんだか、あの頃を具体的に言えそうだなあ、いつか書きたいなあと思って久しぶりに、放置noteに書き殴りしてみてます。
味わっている最中に、わたしはタロットを勉強中だったので、タロットにお腹から居なくなっちゃた赤ちゃんがどう思ってるか聞いてみました。
また会えるかな、と、聞いてみたら、
太陽というおめでたいカード、馬に赤ちゃんが乗ってるカードがパンと、出たので、わたしは、また来るね、と解釈しました。
魂の存在とか、赤ちゃんがお空に帰るとか、いろいろいわれてるし、何がほんとかは知らないけど、わたしは、また来るね、に救われた事はたしかです。旦那さんに言ったら笑われましたが😅
ただ、わたしも41歳だし、来世でもいいよー!って付け加えて、そこに執着しないで、なるべく好きな事に一生懸命になろうとすごしてました。
自分自身が子供が欲しい、という、まっすぐな願いを持てるような家庭環境ではなかったので、どうしてもそこには控えめになってしまいます。
それでもまた、わたし達夫婦のとこに、来てくれて、わたしは、あの時のまた来るね!を思い出して泣きました。それから、今、また、経て、今回はもうすぐ出産を控える、ところまでたどりつきました。
なんとなく、結婚してから、自分が産まれた家庭環境から離れて、フォーカスする先が旦那さんとの共同生活に変わってきた事で、子供を持つ事への恐怖心のようなものは、無意識に薄まってきていたような気がします。そういうのも関係してたりするのかなぁって思います。その点は夫や夫の家族に感謝です。環境の呪縛はとっても根深いと思いますので。
それで、まだ、この後、どうなるのかはわからないけど、何があっても受け入れるから、という気持ちで、43歳の臨月妊婦の綴りでした。

妊娠中の事もまた、かけたら残してみようと思います。

という、日記を書いていたみたい。

それから、一年経て、今は、有難い事に母親に、、なりました。ぜーんぜん母としての成長が娘に追いつかないっす。って日々を今度こそ日記続けたいです。。。




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