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降誕


 ある日の朝、琵琶湖に巨大な三角錐の宇宙船が突如として現れた。外観はすべすべした金属で覆われていた。時折、太陽のひかりが反射して、興味本位で寄ってくる鳥たちの飛行を急転回させた。どうやら湖面から数センチほど浮いているようだった。湖に棲む魚たちが浮かんできているといったことはなかったので、とりあえず環境や生態系に影響はないようだった。さっそく宇宙工学や物理学の専門家らを中心として編成された調査団が政府により結成され、その旨、官房長官より発表された。すでに琵琶湖の周辺には夥しい数の人々が押し寄せていた。政府はそのあまりに制御不能な数に湖岸での警備をあきらめ、自己責任というレッテルをその人々にはりつけると、湖上からの警備にのみ力を注ぐことにした。また、あらためて国民には、国の許可なく湖に入ることはいかなる理由があろうとも禁止とされ、湖上から撮影しているので後日違反者には厳しい罰則が課せられると政府は釘をさした。

 政府専用の湖岸から出発した幾つもの機動隊や自衛隊のゴムボートに乗った調査団が宇宙船を取り囲み、詳しくその表面を調査していくなかでごくわずかな穴がひとつ、湖面から1メートルほどの高さのところに発見された。その大きさ、わずか3センチほど。同行していた警視庁の爆破物処理チームの特殊な装置を使っても、内部はずっと管のようになっていて、どこまで装置を伸ばしてみてもまったく何も見えてこなかった。表面の金属は地球の人間がまだ出会ったことのない未知のものだったらしく、爆破物処理チームが工具で破壊を試みても、1ミリの傷さえつけることはできなかった。それらのことはどういうわけか、最初にアメリカの報道機関から随時発表された。そうしたなかご丁寧にも、地球の遥か彼方にいる宇宙人らしきものから、わざわざ英語とフランス語とスペイン語とロシア語と中国語と韓国語と日本語でもってメッセージが各政府機関に出現と同時に送られてきていたこともわかった。爆発までのカウントダウンが始まっていると。解除方法は宇宙船の中心で愛を叫べばいいとのことだった。そうすれば宇宙船は消えて、世界は救われると。タイムリミットは、太陽が沈むまで。爆発すれば、地球に穴が空き地球は終わるだろう、という言葉で締めくくられていた。そのメッセージに、世界中で起こっている戦争や紛争は一旦停戦にするといったニュースが次々と伝えられ、世界はひとときの平和を享受していた。その頃ネットでは、ライブで行われている哲学者たちの侃々諤々の議論が人気を博していた。これは警告なのか、はたまた新たなステージへの試練なのか、白熱する議論のなかでの何らかの答えにすがりたい気持ちがそうさせたのかもしれなかった。また、ちまたのユーチューバーたちはすでに湖岸のいたるところにばらばらに集結しており、それぞれがそれぞれの個性的なパフォーマンスを繰り広げていた。昼過ぎには第二次調査団が到着した。彼らは、ほぼ金属破壊のエキスパートたちで構成されていた。彼らはあらゆる方法で破壊を試してみたが、やはり1ミリの傷もつけることができなかった。アメリカの報道機関によりそのことを知った世界は、どうしようもない絶望に包まれていくのだった。

 どうせ終わるなら、一か八か最後には核攻撃をしてみるべきだという意見が大勢を占め始めるなか、ひとりの男が名乗りをあげた。後ろにいて少し姿がぼやけて見える年老いた両親とともにネットに登場したその男の身長はおよそ3センチほどだった。3センチほどの男は、自らを八雲いっすんと名乗った。声は凛々しく、マイクの性能のせいかハッキリと彼の声は聞こえた。たぶん比較のために横に立てて置いてあった五百円硬貨より少し大きいくらいだったからそれくらいの身長だとわかった。CGを疑う声もネットにあふれていたが、父親が総理大臣と話をすると言ってケータイでかけて、それから父親の要求どおりに総理大臣がケータイで話ながら記者会見場に現れたその姿を多くの人々がネットとテレビをリアルタイムで同時に目撃していたものだから、その疑いはただちに消え失せた。なぜなら、父親の声と、それに対する総理の反応とわずかに聞こえてくる声は完璧に一致していたからだ。恐らく、核攻撃をちらつかせられていた総理にとっては渡りに船だっただろう。しかしその男はあるひとつの条件を総理にたたきつけた。それは絶世の美女である、ある女優との結婚だった。しかしながらと、総理は言った。それは彼女が受け入れてくれないかぎり難しいのではないかと。その直後、その女優から官邸に連絡が入った。受け入れると、その旨を秘書官から耳打ちされた官房長官が、総理に伝えた。さっそく総理の命令のもと、警察と自衛隊の総力をあげてのその男の輸送作戦が大々的に実行された。空港から湖に向かう車列に対して、沿道ではお年寄りたちがこぞって頭を垂れていた。スサノオノミコトの再来だと泣き出す老婆もいた。日本各地では、多くのところが季節外れの神事を執り行い始めていた。針を腰に差したいっすんは、およそ3センチの穴の前につけたゴムボートに乗っており、座っている父親の手のひらの上で精神統一をしていた。すると結婚を受け入れた女優が映画の撮影先から駆けつけてきた。漁船に乗った彼女は白無垢姿で、神主らしい装束を着た人物と一緒だった。漁船の中には小さな祭壇があり、そこに三角錐の盛り塩が置かれてあった。ゴムボートに乗り移った女優は、立ち上がった父親からいっすんを自分の手のひらの上に乗り移らせた。ふたりは、しばし微笑みあい、見つめあった。女優はいっすんをそっと胸の高さにある小さな穴に近づけた。いっすんは、躊躇することなく入っていった。

 2時間が経った。宇宙船はまだそこにあった。いくら体長3センチほどのいっすんでも、さすがにそろそろ中心には到達しているはずだった。世界に蔓延していた楽観ムードはだんだんと消えていった。3時間が経った。夕陽が宇宙船をオレンジ色に染め始めた。世界に絶望感が漂い始めた。太陽はすでに地平線まで達していた。その時だった。一瞬にして宇宙船は消失した。世界は歓喜した。消えた宇宙船の中心あたりのところの湖面に、ひとりの男が浮かんでいた。ゴムボートが近づき、その人間としての普通の大きさの裸の男を引き上げた。男はまさに水も滴るいい男で、とびっきりの美青年だった。女優が待っている漁船に乗り移った服を身につけた青年に、女優は抱きついた。太陽が沈みきり、最後の一筋のひかりを空に放つなかで、ふたりは熱いキスをかわした。


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