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バケモノの子の話

狂女は誰にでも肌を許して金をもらった。それが彼女の生業だった。

その女は時折、神がかったことを言っては客を楽しませた。

そうなると女は、もの狂いめいた普段の様子から一転して厳かな声と口調へ変わる。
「お主の失せ物は何処其処にある」

「何月何日何処其処に行くと事故に遭うから用心せい」
等々、予言や千里眼めいた言葉を吐くのだ。       
そしてそれは不気味なほどよく当たった。

そんな女に毎夜のごとく通う客があるという。   

誰も姿を見たことはないが、その客が来る夜は女の住むあばら家から鷺がけたたましく鳴くような、狂った女の喘ぎ声が夜明け間際まで聞こえてくるという。

男の姿は誰も見たことがない。見たことはないが、明け方女の家の方から生臭い「臭い」だけが移動してきただの、女の家の入り口から蛞蝓でも這ったかのような跡が海まで続いていただの、下らない怪談じみた噂は絶えなかった。

いつしか女が子を孕んだ。
ある日を境に、前触れもなく女の腹は臨月の如く膨らんでいた。     
気狂いが極まった女が腹に詰め物をしてるに違いないと思った客の一人が女の腹を見ると、確かに腹は絖のようにつるりとした表面をして膨らんでいた。 胎動する何かの気配もあった。

気味悪がって女に近寄るものはいなくなった。              
だが例の客はまだ女を訪れているようだった。                 
女の耳を塞ぎたくなるような鷺めいた声は以前にまして益々響き渡った。

ある時、興味本意に女に聞くものがあった。その子供の父親は誰なんだね?と。         

「ふふふ、神様でございますのよぅ」

狂女は少女のような声音でうっとりと答えた。

ある者は言った。女は腹の病気に違いない。頭もやられてる。もう長くはない。                                
また別の者は言った。

女の腹の子は、バケモノの子に違いない。

                                  
女が孕んでから三年がたった。
まだ子供は産まれる気配がない。

訪れる者、少なくとも人間の、が絶え、女のあばら家は益々朽ち果てていった。 滅多に外に出てこない女が果たして生きているのか死んでいるのか、わかる人間は居なかった。

ある日、水平線の彼方からごうごうと陸に向かって吹いてくる風があった。海の魚がみな死んで腐ったかのような、ひどく生臭い風であった。

風の強さは夜が更けるごとに強くなり、雲が立ち込め雷鳴が轟き、矢のような雨が家々の屋根を叩きつけた。人々は吹き飛ばされまいと各家の雨戸をしっかりと閉め、嵐が過ぎ去るのを待ち閉じ籠った。
          
それでも幽かに聞いたという。
狂女の鷺のような哄笑を。

嵐が過ぎ去ると、狂女の住んでいたあばら家は見る影もなく吹き飛ばされていた。女の姿は何処にも無かった。

女は何処に行ったのか?
                       
嵐に巻かれ、流され、何処かで死んでしまったのではと多くが言った。遠く離れた宿場町で客をとりながら巫女めいた真似事をしているのを見たとか、浜で膨れた腹をいとおしげに撫でている女の幽霊が出るとかいう噂話も流れた。
 
そんな口さが無い者共の噂話の中に、こんな話があった。

あの嵐の夜、女が、形がよく解らないほど、何か途方もなく大きな獣、嵐を物ともせず這って辻を進む黒い影の背に乗っていたと。         
そして女は、いとおしそうに、何か黒い蠢くものを懐に抱いていたという。

それらの塊は、共々海の方に向かって駆け、消えていったという。    
そしてその後、朝焼けの美しい、凪いだ海だけが残ったそうだ。

〈了〉

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