「Babel II -剣の王と崩れゆく言葉-」(著:古宮九時 イラスト:森沢晴行)を読んだ。
そして、末弟たるアイテアは ─ 人は人として知性のある生き物だから、彼らのことは彼らに決めさせるべきと主張した。 『Babel II』
以前、WEB版第一幕の感想を投稿した「Babel」の書籍版第2巻「Babel II -剣の王と崩れゆく言葉-」が2016年11月10日に電撃文庫から発売された。イラストは第1巻と同じく、「とある飛空士への追憶」などの挿絵を手掛けたことで知られる森沢晴行氏だ。
本書は参考文献欄に、西洋古代における知の巨人たち(プラトン、ヘロドトス、アウグスティヌス)の著作を並べた史上初(?)のライトノベルである。軽妙な掛け合いと、ちょっと個性の強すぎるキャラクターたちが躍動する陰に隠れているが、本書のストーリーは哲学の基礎を踏まえている。しかし小難しくお堅い本とは違うのである。むしろ登場人物の葛藤に合わせて読者に問いかけるばかりで、講釈を垂れたりしないのは幸か不幸か。読者(もとい私)は主人公の奮闘を楽しく眺めつつ、難しい話には分かったようなフリをするしかない。傑作とは言え、ライトノベルとしては異色とも思える重厚な命題を孕んだBabelが、WEB版での掲載から年月を経て出版に至ったのも、今日の私たちが迷い込んだ、自分たちの知性への疑念と無関係ではないように感じる。
先日、テレビ番組の企画で、人工知能(AI)によってつくられたグロテスクな動きをする人型のアニメーションを見た宮崎駿監督が「(AIに対して)人間のほうが自信なくなっている」と述べたらしい。言い得て妙だ。オセロ、チェス、将棋、そして囲碁までも、マインドスポーツの分野において、AIは次々にトップクラスの人間に打ち勝っている。あと数十年もすれば、私たちの仕事のほとんどがAIに取って代わられるのではないかという話も聞くから驚きだ。人は自らの知性を頼りに歴史を築いてきた。しかし私たちは今も人間の知性を信じているだろうか。そして、一種の物質の伝達だとして、電脳の回路と同一視されつつある人間の知性に、魂の入り込む隙はあるのだろうか。
第1巻で自分に自信がないながらも芯の強さをみせた主人公の雫は、第2巻ではエリクの助けを受けずに、雫を人ではない「異物」であると見なし剣を向けるラルスに立ち向かい、自分は人間だと主張する。物語中盤、人の精神とは何たるかを問うラルスに、彼女は『人を人たらしめる本質だと思っています』(中略)『理性を持たない人間は動物か?』『自ら理性を退けるなら。少なくとも、人ではありませんね』と答える。雫のまっすぐな心が際立つ一幕だ。
AIの知性は人を超えるだろう、だが私はそのことが問題とは思わない。そうなったとき、人間は自らの精神を頼って、人で居続けなければならない。知性が劣ると自覚してなお、理性のために考え続けるのだ。あらゆる問い掛けに自分の答えを出し、自分は人間だと証明し続けるのは、人生の息苦しさそのものに違いない。
そこに書かれた文字はいつも同じ表情で問いかける。それでもなお、問いへの答えが揺れ動くことが、私たちに宿った精神の所在を告げている。だからこれは、心を感じさせる物語である。
(2016年11月19日)
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