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モンゴル馬の後継者はトヨタ・プリウスなのか - SF作家の地球旅行記 モンゴル編(3)

前回のあらすじ:ONE PIECE の主題歌は海のないモンゴルでも通じた)

4日間の強化合宿的乗馬体験を終え、最終日はウランバートル市内を観光した。国の首都にして最大都市、というよりもほぼ唯一の都市である。モンゴルの人口は300万人だが、半分がウランバートルの住民なのだ。

草原のキャンプを後にしてワゴン車で市街地へ向かう。コンクリートの建物にキリル文字の看板が並んでると、モンゴルではなく東欧のどこかの国に見える。違うところと言えば、住民がアジア系であることと市内なのにゲル(草原の移動式住居)が置いてあることだ。工事現場の仮設住居のような形で立てられている。日本でいうプレハブ小屋の感覚だろう。

ウランバートルの道路を見て驚くのは車の半分くらいがトヨタ・プリウスということだ。半分くらい日本車な国はあるけど、特定の車種がこんなに占めてるのは初めて見た。

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片道4車線くらいある車道に並んだ車が全部プリウスなんてことはザラもザラのザラザラである。ハイブリッド車に関税の優遇措置がなされているかららしい。道路が広くてトヨタだらけなのでウランバートルは実質名古屋だと思っていたらサークルKもあったので過去の名古屋である。

モンゴルの首都だからって路上に馬はいない。インドの牛みたいに交通を妨げるということもないし、安価な交通手段として使われているということもないらしい。

聞いた話ではウランバートルは交通渋滞が問題になっており、ナンバーの下1桁による交通規制が行われているらしい。草原と馬の国に「交通渋滞」ほど似合わない言葉もそうそう無い。公共交通はバスとトロリーバスが走っており、地下鉄は建設中らしい。150万というと都市圏人口としては岡山市くらいなので、それなりの公共交通機関が欲しい規模だろう。

そういえばモンゴルに「馬車」の文化はあったのだろうか。と調べてみたがそれらしいものは登場しない。誰でも馬に乗れるので、わざわざ車を作る必要性がなかったのかもしれない。馬肉を食べる文化も基本的にないらしく、主食はもっぱら羊である。このへんは遊牧民の間でも色々な違いがあるそうだ。

ちなみに自転車は一度も見かけなかった。バイクは草原でたまに見かけたが、「自分の足で動かす乗り物」というのはどうも馬の国の文化には馴染まなそうである。

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市内観光に際してまず日本円をトゥグルグに両替する。モンゴル滞在6日目にして初めて目にする現地通貨である。当然のようにチンギス・ハンが印刷されている。

スーパーに行って買い物をする。よくわからないチーズとかよくわからない茶と、羊乳とラクダ乳を買う。食品を除くと輸入品が多く、ハングル、簡体字、そして日本語がパッケージに書かれている。人口300万の国ではあまり国産の工業製品は作られないのだろう。

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続いてモンゴル歴史博物館に向かう。古代のモンゴル史は文献資料が少なく、出土した馬具などの考古学的資料が中心である。突厥文字の碑文がいくらかある他は、中国側の資料をもとに歴史を組み立てるしかない。

北方の遊牧民は南の定住民を圧倒する帝国を築き上げていたというが、現代の教科書には匈奴・鮮卑・突厥とかいった無機質な国名と、冒頓単于などわずかな王の名前しか書かれていない。始皇帝やら項羽劉邦やら諸葛亮孔明やらがじゃんじゃんメディア化されているのとは随分な違いだ。もし世界史に名だたる大帝国を作りたければ、軍事力や経済力よりもとにかく記録を残しまくれ、というのが歴史の教訓である。

そんなモンゴル史だが、13世紀に入るとガラッと状況が変わる。ご存知チンギス・ハンの登場である。展示も気合が入っておりここだけ英語が併記されている。アレクサンドロス、古代ローマ、ナポレオンといった他の帝国の版図とこれみよがしに比較して「モンゴルの方がスゴイぞ」と主張している。

ところで以前「チンギス・ハンは日本の天皇的なものだから侮辱的なことを書くのは絶対ダメ」てなことをいう人がいたが、今回ガイドをしてくれたモンゴル人のおじさんはチンギス・ハンのTシャツを着ていたのでチェ・ゲバラ的な何かではなかろうか。

モンゴルの最盛期が13世紀であることは誰の目にも明らかだが、では暗黒時代はいつなのかと言えば、少なくとも同行したガイドさんの口ぶりでは、清王朝の統治下にあった17〜19世紀がそれに当たるらしい。

清というと「少数の満州族が大多数の漢族を支配する国家」という印象が強く、なんとなくモンゴルは満州側に(地理的にも文化的にも)近い存在だと思っていたのだが、モンゴル側からすれば日本統治時代の朝鮮みたいな感情があるのかもしれない。

清が滅びるとモンゴルは独立を果たすが、歴史的なモンゴルの一部は現在も内モンゴル自治区として中国の一部になっている。草原のどこかに国境が敷かれていて、越えるにはわざわざ北京まで戻って飛行機に乗らなきゃいけない、てな話が村上春樹『辺境・近境』に書いてあった。

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博物館を後にしてマーケットに向かう。上野アメ横を30倍くらいにした市場である。日用品の他に、ゲルを作るための幕とか、仏具などが売られている。色々見て回ったあと、モンゴルの小学生向けと思しきモンゴル文字練習帖を購入する。

現代のモンゴル国は旧共産圏なのでキリル文字を使っているのだが、伝統的なモンゴル文字(縦書き専用)も学校で教わり、モンゴル人なら普通に読めるらしい。商品のパッケージや紙幣などに装飾的に書かれている。なお内モンゴル自治区では現在でもこちらの文字が使われている。

昼飯にミルクティー餃子という謎の食品を食べるが、とんこつスープに似た味わいで意外とうまい。

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この日はウランバートル市内のホテルに宿泊し、久々の Wi-Fi を得る。Twitter を開くと日本人がいつも通りくだらない揉め事をしていることを確認する。草原では電波があまり入らないしそもそもSIMを買わなかったので、いい感じにデジタルがデトックスされたことを実感する。モンゴルの草原は馬糞だらけだが、それでも人間社会の絶望的な汚濁ほどではない。

翌朝は未明のうちに空港に向かう。

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これがモンゴルで最後に撮った写真である。空港に掲げられていた書籍の広告。モンゴル語が読めないので「経済界のハーンと呼ばれるカリスマ経営者が教える成功者の秘訣」みたいな本だろうと想像する。19,500トゥグルグだから780円。成功者の秘訣は意外と安い。



成田空港について蕎麦を食べてる時点では「楽しかったけど、もう馬は一生分乗った気がするな」と思った。乗馬について身体的な相性はかなりあるらしく、関節の痛みを考えると自分は馬が合わない方(重言)だった気がする。他のメンバーは早々に「馬ロス」と言い出しはじめている。

合宿で運転免許をとった友人が「免許は通いで取ったほうがいい。まとめて取ると帰ったあと乗れなくなる」てなことを言っていたが、今回の免許合宿的乗馬体験が僕にとってそういうタイプの経験になったような感触があった。

しかし、この原稿を書いてるのは帰国後4ヶ月なのだが、そろそろ「また乗ってみたい。次は中央アジアあたりで」とか思っているのである。僕の人生はだいたいそういうかんじである。

(おわり)


有料部分では、草原のキャンプで羊の解体を見学させていただいた話をします(解体中の写真はありません)。普段より長いので200円です。成功者の秘訣よりは安い。


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