見出し画像

風があり草原があり馬が駈けめぐりドルが減る - SF作家の地球旅行記 モンゴル編(2)

前回のあらすじ:モンゴルの草原を馬が疾走した。馬で疾走したわけではない。馬が主役であり人間は荷物である)

スウィフトの『ガリヴァ旅行記』において、馬は人間よりも高貴な生き物として位置づけられている。同作には小人、巨人、ラピュタ人、不死者などバラエティに富んだ種族が登場するが大体ろくなことをせず、馬の国フウイヌムの住民だけが徳性を備えた理想的な存在なのである。

スウィフトの人間嫌悪にはなかなか共感できるところがあるが、残念ながらフウイヌム国の行き方は Google Map で調べても出ないので、とりあえず馬の国つながりでモンゴルに行くことになった。

4日間の行程はほぼ同じ繰り返しだ。9時に朝食、10時から2時間ほど馬で移動、昼飯、休憩、15時から2時間ほど馬で移動、夕飯を食べてテントで眠る、といった流れである。

画像2

草原で目を覚ますと、最初に見るものがテントを取り囲む馬の集団だったりする。宿営中は馬が逃げないように足を縛っているのだが、それでも結構動く。

初日は常歩だけでタラタラと進んでいたのだが、2日目から徐々にトロット、そしてギャロップといった歩法が取り入れられるようになる。……といっても乗り手が新しいスキルを身に着けたわけではなく、ガイドさんに合わせて馬が勝手に走るのである。

モンゴルは旧共産圏だけあって馬も全体主義的で、先導するガイドさんが走り出すと、こちらが昨日はじめて馬に乗った初心者であるという事情はお構いなしに加速する。先述のように我々の仕事はもっぱら「落ちない」である。戦場における新兵の仕事が「死なない」であるように。

馬には複数の歩法があり、走行中はギアを切り替えるようにこれらが不連続的に変化する。具体的にどんな動きなのかは YouTube あたりでググってほしいが、足音や振動ががらりと変わるので、乗ってる側にもその変化は明瞭に分かる。

常歩では乗り手の身体は揺れる程度なのだが、加速してトロットがはじまると身体が振り回されるようになる。落馬しないように鞍の持ち手を握って上半身を固定するのだが、振動が膝にガンガンとダメージを与えていく。昼休憩で下馬した後も、数十秒ほど歩けなくてその場で立ちつくしたりした。

昼飯を食べながら「開拓時代のアメリカでは馬がそこらじゅうにいて鞍のほうが高かったらしい」という話をする。インターフェースの重要性を語る逸話で「カウボーイは馬を捨てても鞍は外して持ち歩く」というのがあったけど、単に鞍が高価なので持ち歩いてたのでは。

画像1

草原でのご飯は基本的に麺・羊肉・野菜といった構成で、炒めものだったりスープだったりするが食材は基本的に同じである。羊肉は僕は好きだが、日本人には合わない人も結構いるらしい。瓶詰めのピクルス的漬物がやたら人気で大瓶があっという間に消えた。

周囲のアドバイスもあって、2日目の午後くらいから痛みを緩和する方法を体得する。ここまで落馬が怖くて上半身を硬直させていたのだが、この形態だと振動をすべて膝で受け止める形になる。むしろ身体の力を抜いて振動を腰や首、そして肩に分散させる方が痛みが少ない。高層ビルはガチガチに固めるよりも適度に揺れるほうがむしろ地震に強い、という柔構造の原理である。

あと鐙(あぶみ)の高さが膝の負担には直結してるらしく、3日目からは何度か高さを調整してもらった。

この後もさまざまなスキルを得ていったがあくまで「乗り手のダメージを緩和する手段」であって、いってみれば積荷としてのスキルであり操馬術ではない。馬はテスラそこのけの天然知能オートパイロットであり、初心者が余計なことをしないほうがいいのだ。

トロットからさらに加速すると馬の最終形態ギャロップに至る。時代劇とかで「殿!敵襲にござる〜!」というときの「パカラッパカラッ」の動きであり四本の足がすべて地面から離れる。速度計はないが40〜50キロくらい出ていた気がする。

上下運動が激しく鞍から上半身が浮いてしまうので、トロットに比べて膝の負担はむしろ小さい。かわりに内臓がブンブン揺さぶられて、Siri が鞍に叩きつけられ中華鍋のチャーハンになった気分。だんだん馬の固有振動数みたいなものが視えてくるので、うまく身体の動きを同期させれば痛みは緩和される。

ツアーの事前連絡で「パンツを二重に履いたほうがいい」と言われたので、4日間という期間を考慮し大量のパンツを持っていったのだが(税関申告の義務はない)、体感としてあまり役に立たなかった気がする。自転車用のジェルの入ったレーサーパンツの方がよさそうだ。

他メンバーより乗馬経験のある速水さんは「普通は初心者ツアーでギャロップしない」と何度も言っていたが、モンゴルにおける初心者概念が日本と異なるのはやむを得ない。「パソコン初心者」と言われてもローマ字が読めないとまでは想定できまい。

なおモンゴル人ガイドさんはギャロップの最中も身体が鞍にピターっと貼り付いていて Siri のダメージは全くなさそうだった。どういう仕組みなのかまったく分からないが、「ギリシア神話のケンタウロスは、遊牧民族の乗馬術を見たギリシア人がそういう生物だと錯覚した」という話にも説得力がある気がした。

画像7

夕飯を食べながらカンバーバッチが出演する映画についての話をする。階級社会の英国では貴族と労働者は顔の造形からして結構違うので、俳優もそれにあわせて募集されるとかなんとか。

イギリスは10世紀頃にノルマン人に征服されて彼らが社会の上流を占めたので、家畜を育てる階級と食べる階級の言語が異なり「牛」が cow で「牛肉」が beef になったわけだが、遺伝子レベルで隔離があるのだとしたらかなり興味深い。僕は日本人とモンゴル人の区別もよくわからない。

夕飯を食べ終えてだらだらしていると、モンゴル人のガイドさんが身体にまきつけていたロープを地面に敷いて、即席の土俵で相撲をはじめた。モンゴルの草原は石が落ちてないので、倒されてもあまり痛くないようだ。(火山性の土地でないからだろうか?)

流れで日本人ツアー客も相撲に参加する。僕は体格的にも経験的にも勝てる要素がなく敗れたが、「モンゴルの草原でモンゴル人と相撲をとった経験がある」というのは話のネタとして非常においしいので実質勝利といえる。就活の面接とかで言おう。

画像4

日没後は焚き火をする。そのへんの林から枯れ木を集めて燃やす。別に調理に使うわけではなく(調理用のストーブは別にある)単に火を眺めるのである。確かに焚火を見ているとそれだけで何かあたたかい気分になってくる。「火は人類最初の覇権コンテンツ」という格言が生まれる。

モンゴル人の方々が歌を歌いだすので、対抗して日本勢も日本の歌を歌う。といっても「誰でも歌える歌」というのが我が祖国には慢性的に不足しているので参加者の傾向からアニソンとかになる。ONE PIECE の主題歌が海のないモンゴルでも通じるのはさすがの知財力といえる。

夕飯はツアー料金に含まれているが、2ドル払えば瓶ビールがもらえる。全世界はもはやアメリカの支配下なのだから自分を合衆国大統領選に出させろと外山恒一が言っていたが、モンゴルの大草原で米ドルが使えるとなると頷かざるを得ない。海外財布に入ってたクォーターコインをかき集めるとなんとか2ドルあったが「紙幣でお願いします」とのことであった。

3日目の午後にひとの家(ゲル)に立ち寄り、馬乳酒を飲ませてもらう。酸味が強く、粘性のないヨーグルトという印象である。アルコールが3%ほどあるらしいが飲んでもほとんど分からない。モンゴル道交法において草原と乗馬と飲酒の関係がどのようになってるのかは不明。

画像7

モンゴルのゲルは観光客向けの宿にもなるが、普通に現役の住居としても使われている。太陽電池とガソリン式の発電機が設置され、衛星放送のパラボラとテレビもある。中国製の二槽式洗濯機も置かれている。電力は外にあるガソリン発電機を回しているのだろうけど、洗濯に必要な水を工面するのはかなり面倒な気がする。(草原にはときどき井戸がある)

当たり前だが現代の遊牧民は普通に草原で車に乗る。ゲルのそばにはヤマハのバイクとシボレーのワゴンが停められていた。シボレーには「超低排出ガス 平成12年基準排出ガス75%低減 国土交通大臣認定車」と日本語で書かれたステッカーが貼られている。

草原の住居では土地を節約する必要がないので、いろいろなものがそのへんになんとな〜く置かれている。バイクの駐輪場に2160円を払い続ける自分の人生がみみっちく思えてくる。いま気づいたけど家賃に消費税ってかからない筈だよな。契約書に2000円って書いてあったのに何で2160円なんだ? あとで大家を問い詰めよう。

画像8

4日目になるとだんだん馬に乗って動いている状態が日常として身体に染み付いてくる。ガイドさんも後ろがついてきていることを確認するとギャロップで加速、適当なところで止まって待つ、追いついたらまたギャロップ、という感じで、「効率的に距離を消化する」という雰囲気になってくる。

全身がなにかしら痛いのは相変わらずだが、だんだん他のことを考える余裕が出てくる。この草原の風景はチンギス・ハンの時代からあんま変わってないんだろうな、とか思う。自動車も銃もない時代にこれだけの機動力を全員が使いこなせたら、そりゃ世界征服するのも納得である。

画像7

どうにか最終目的地のゲルキャンプに至る。誰も落馬せず無事にゴールである。ここでは水洗トイレやシャワーもあり、コカ・コーラも売られている(米ドルで)。久々の資本主義社会文明を堪能する。

「人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて死ぬ」という言い伝えがあるが、およそ人生でいちばん馬に蹴られうる4日間で一度も蹴られなかったので僕の存在は恋路の邪魔にはなっていないと証明された。不満のある方は自己責任と認識していただきたい。

地平線をバックに撮ったらなんかアー写みたいになった。

画像5

久々に屋内での夕飯を食べて就寝。翌日は車で首都ウランバートルを観光する。

つづく

文章で生計を立てる身ですのでサポートをいただけるとたいへん嬉しいです。メッセージが思いつかない方は好きな食べ物を書いてください。