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人間を荷物とみなすことで人馬一体を達成する - SF作家の地球旅行記 モンゴル編(1)

「拍車をかける」「はめを外す」「ラチがあかない」……これらは全て馬術用語に由来する。言葉ひとつとっても我々の生活は馬とともにあると言っても過言ではないが、実際に言ったら競馬ジャンキーとしか思われないのが日本の現状である。

古代より移動者の友であった馬は、近代の到来をもってその道を鉄道と自動車道に譲ることになったが、移動趣味者を自称し日々無駄な移動を繰り返す僕としてはいずれこの「馬」という歴史的難題に触れねばならぬ……とかねてより思っていた。

普通「乗馬体験」というと北海道あたりの牧場で飼育員さんに綱をひかれながらちょろちょろ歩くような可愛いところから始める気がするのだが、諸般の事情でいきなりモンゴルの大草原を馬で4日間駆け回ることになった。免許合宿か。

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今回の発起人は『大砲とスタンプ』で知られる漫画家の速水螺旋人さんである。

僕とは講談社のパーティで一度会っただけなのだが、今年(2019)の春に速水さんが「モンゴル乗馬旅行をしたい」という旨のツイートをしており、「へぇ〜楽しそうだな」と軽い気持ちで「いいね」ボタンを押したら一緒に行くことになった。人生にはわりとそういうことがある。

ツアーなので参加人数が多いほうが安上がりらしい。そういうわけで2019年8月、おそらく似たような経緯で7人くらいが成田空港に集まった。

服装はおおむね普段着である。靴も「登山靴とかではなくスニーカーで」とわざわざ言われたのでそのとおりにしてきた。雨とか降ったら嫌だなと思ったが、モンゴルは基本的に降らない。(年間降水量は 250mm である。日本は 1700mm)

MIATモンゴル航空のロゴは馬である。飛ばない動物を飛行機のエンブレムにするとはいい度胸である。(JAL は鶴)

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成田からモンゴルまでは5時間ほど。ひとくちに東アジアと言っても随分広い。Kindle に入れといた『三体』を読んだら読み終わってしまったので、機内に置かれている Forbes モンゴル版を読む。旧共産圏だった関係でモンゴル国はキリル文字を使っており固有名詞だけ読める。トランプがどーしたとか書いてある。

入国審査を済ませて荷物のピックアップに向かうと、待ち構えていたのは東横イン・ウランバートル館の看板であった。先週オープンしたばかりでシングル部屋が77,000トゥグルグ(3000円)で泊まれるそうだ。モンゴル的に高いのか安いのかさっぱり分からん。

ツアーは6泊7日だが、初日と最終日は飛行機に乗るだけなので実質5日間。4日かけてモンゴルの草原を周遊し、最終日は首都ウランバートル観光、という行程だ。

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空港に現れたガイドさんは、キャンプ地までの日本語案内役として急遽呼び出された人らしい。「なので自分はもう10年くらい馬に乗ってないですよ」てなことを言っていた。日本人が「10年運転してない」というような感覚で「10年馬に乗ってない」というのが実にモンゴリーである。

ヒュンダイのワゴン車に日本語ガイドさんと運転手さん、そして我々7人が乗り込んで、まったく街灯のない二車線道路を走り出しす。ウランバートル市街の光が遠くに消えていく。メーターの示す時速は60キロほどなのだが、真っ暗な上に振動が激しいのでずっと速く感じる。

カーナビも携帯も見ずに、青看板も何もない道路をスイスイと曲がってキャンプ地に至る。どうやってこの環境で地形を把握できるのかは謎である。

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モンゴルの伝統的な移動式住居・ゲルでこの日は宿泊。観光客の宿泊用なのでベッドとテーブルとストーブがあるだけである。住居用はもっとゴチャゴチャしている。

緯度も標高も高いモンゴルは8月でも長袖がいるが、断熱性能の半端ない布地の中でストーブをガンガン炊いてるので非常に暑く、ゲルは「全身が入るコタツ」と表現すべき状態だった。とっくに日が暮れていたので夕飯だけいただいて眠る。

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乗馬の行程は4日間だが、初日の午前中は一応のチュートリアルが行われた。といっても馬で所定の場所に行って戻るだけなので、その後の行程とあまり違いはないが。

とりあえず注意されたのは「馬に背後から近寄らない」ということだった。馬の視界は350度なので、死角から人が現れるとビックリするらしい。ほとんど万能だからこそ僅かな欠陥を気にするのはバトル漫画でもよく見る。それさえ守っていれば、乗ってる間はあまり問題ない。

馬が動かないようにガイドさんが手綱を握ってくれるので、鐙(あぶみ)を足場にして鞍(くら)に乗り込む。多変数関数の停留点をよく「鞍型」と表現したりするが、実物に触るのはこれが初めてだ。人類はよく知りもしないものを比喩表現に使うのだ。「走馬灯」を見たことないくせに「走馬灯のように」と言うように。

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実際に乗ってみると「馬で移動する」という行為はそれほど難しくなかった。操縦しなくても勝手に動くし、地形に応じて最適な足取りを勝手に判断してくれる。しかも乗り手の意思よりも集団行動のほうが優先されるので、ガイドさんの指示で馬群が動き出すと、何もせずとも自分の乗った馬がついていくのだ。人間のやることは「落ちない」だけである。

優れた騎手を表す言葉に「人馬一体」があるが、人間が何もしないと「馬1頭 + 荷物」になるので、馬に吸収合併される形で人馬一体が達成される。

ある程度慣れてくると、次は手綱を左右に振って方向を制御する。馬は放っておけば互いがぶつからない距離まで近寄っていくが、これはあくまで馬同士がぶつからない距離なので、乗った人間の足は金属製の鐙ごとガンガンぶつかる。したがって手綱で調整しなければならない。

できるだけ手綱を短く持つ、ということを何度も言われる。長く持つと腕の動きが大きくなるが、乗ってる人間が腕をブンブン振ると350度ビジョンには邪魔くさいらしい。自分は荷物だ、という自覚が重要である。

方向制御ができるようになると、次は発進と停止である。発進の合図は馬の腹を足で蹴るか「チョッ」と声に出していうこと……とのことだ。むやみに蹴るのはどうも動物虐待ではあるまいかと思ったが、馬の皮膚は厚いので靴で蹴るくらいは何ともないらしい。「拍車をかける」という慣用表現は、このとき使う器具に由来する。

ただ結論を言うと、僕は4日間でこの「発進」をまったく必要としなかった。乗った馬が他よりアグレッシブで、放っておくと勝手に走り出して先頭に躍り出てしまうからだ。僕が先頭に立っても進路がわからないので、手綱を引いて減速しガイドさんを待つ。

あとひとつだけ人間のやる操作があって「走行中の馬に草を食べさせない」というものであった。体温が上がっている時に食べると体に悪いので、そうならないように手綱を引けとのことである。従順な馬も生理的欲求はやはり旺盛なので、制御にはかなりの腕力を要する。進化がそのくらいの節度を身に着けさせてほしいのだがダーウィニズムも案外頼りない。

手綱操作は片手でもできるが、振動が激しいのでスマートフォンを取り出して撮影する余裕はない。馬上からの視界をがっつり撮りたい人は Go Pro 的なものがあるとよさそうだ。なおモンゴル人ガイドさんは普通に乗りながら電話とかしていた。

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そこかしこに Windows XP っぽい風景が広がっている。地平線のイメージが強いモンゴルの草原だが、実際はある程度の起伏があるので、完全に水平な地平線というのはあまりない。

写真でわかるように、モンゴルの草原にはどこも馬糞が落ちている。走行中もわりとドボドボと糞を撒き散らす。それは自然なのでいいとして、問題はプラスチックのゴミで、草原にはあちこちに空のペットボトルが打ち捨てられている。ラベルが完全に風化しているので、ずいぶん前から放棄されているのだろう。

「ゴミは馬が驚くのでなるべく避けるように」と最初の説明で言われたのだが、初心者にはそういう細かい操縦はなかなか厄介だ。かといってこの大草原のゴミ拾いを刊行するわけにもいかないだろうし、草原ゴミ問題はちょっと解決の糸口が思いつかない。

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ちなみにゴミに比べると低頻度だが、馬の頭蓋骨もランダムに落ちている。なにかの目印というわけではなく、単にここで死んだ馬がいて重い頭蓋骨だけが風に飛ばされずに残ったものだと思われる。「どこの馬の骨とも知れぬ」という状況はおそらくこの光景を指すのだろう。羊の骨もあるが、こちらは角の有無で見分けられる。

基本的には草原しかないが、たまに針葉樹の林がある。1日目のキャンプもそんな感じの場所だった。夕飯は麺類と野菜と羊肉を煮込んだかんじの何かだった。運動後だと塩分と油がじつに体に染みる。「運動したのは馬だろ」と思われるかもしれないが、乗ってるだけでも姿勢維持のために相当な筋力を使うのである。

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今回のツアーでは馬とは別に2台の車が休憩地点に先回りしており、我々の荷物もそちらで運んでいただくので、乗馬中の荷物はカメラや水など最低限で済む。ツアー中にダウンしても車で移動させてもらえるのでずいぶん精神的安心感がある。車の定員がギリギリなので、ご飯作りのおばちゃんがツアー客の代わりに馬で移動することになる。モンゴルの普通のおばちゃんは馬に乗れるのである。

つづく



今回の有料部分ではトイレの話をします。わざわざ100円払って他人のトイレの話を聞きたがる奇特な方が何人いるのか僕としてもかなり興味があります。


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