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水曜日の湯葉41 ひとは会議で大人になる

Twitter で苦手なタイプに「僕が怒ってる時に、リプライで同意して怒る人」がいる。僕はたいてい「言いたかったことを言ってこの話を終わらせよう」と思っているので、そこから何かを始めないでくれ、と思う。

怒りをコンテンツとして売ってる人(山程いる)、あるいは自分の怒りを起点に政治運動をしたい人(これも大勢いる)であれば、共鳴する怒りが多ければ多いほどよい。でも僕はそういう「仲間をあつめて何かを変えよう!」系の人間ではない。というか僕の「怒ってます」は「体調悪いです」に近い。そこで「私も体調悪いです!」と言われたら「近寄んな、家で寝ろ」と思うのだ。

なんというか世の中では「共感」というものの価値が過大に評価されているように思う。「悩み相談をする人は解決策を示されたいのではなく、共感してほしいんだよ」みたいなやつ。そんなもん状況によるだろうが。こっちが「Stable Diffusion で同一のシード値を入力しても違う画像が出てきて困った」という時に「私も同じことで困ってます!」と言われても困りが増すだけである。「うるせえな」とタイピングしてから消して「解決したら教えてください」とだけ返信する。

9月14日 水

Twitter で告知すべき内容が多すぎて告知酔いを起こした。予定管理とかメール応対とか告知ツイートを任せる秘書的なスタッフがほしい、と思うことが少なからずある。だが、すでに自分なりのやり方が確立している仕事を他人に振るのはしんどいものがある。相手がより合理的にやっても「自分のやり方と違う」というのがストレスになりそうだし。

出版業では「作家の領分はどこまでか」はかなり明確に決まっている(新刊の帯に何を書くのかは編集さんが決める、など)。「これ僕が書いたほうがいいんじゃないか?」と思うこともなくはないが、いざやろうとすると大抵ろくなことにならない。歴史ある分業体制というのはそれなりの合理性があるものだし、合理性がなくても慣例を変えるコストというのは大体想像以上に高い。

新規の仕事が来る。締切が9月末と異様に近い。しかし連載を抱えていて慢性的にいそがしいので、近かろうが遠かろうが同じことだな、と思って応じる。

9月15日 木

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