【小説】 紙飛行機のパイロット

「かみひこうきのパイロットになりたい」

クレヨンで画用紙に書き残したまま弟は死んだ。弟は7歳で僕は16歳だった。病院から持ち帰った遺品を確認し、輪ゴムで巻かれた絵を開いた瞬間、

「弟の夢を叶えてやる」

と、僕は決めた。

問題は「かみひこうきのパイロット」とは何なのか、ということだった。

弟はその人生の半分を、小児病棟のベッドで過ごした。飛行機なんて乗ったことがない。だから人が乗る飛行機を「かみひこうき」だと勘違いしていた……というわけではなさそうだ。

というのは、彼の残したクレヨンの絵には「かみひこうき」と「ひこうき」が、きちんと描き分けられていたからだ。

画用紙の真ん中に大きく描かれた、三角翼に谷型の折り目がついただけの、シンプルな巨大紙飛行機。翼のうえに体育座りになって、操縦桿らしき何かを握る弟。

紙の四隅には、鳥、気球、ジェット機、UFOといった空を飛ぶ諸々が、弟の勇姿に驚きおののいている。ジェット機には制服を着たパイロットが、窓越しに両手をあげて目を丸くしている。こっちが「飛行機のパイロット」であり、弟が夢見たのはそれとは別の「紙飛行機のパイロット」なのだ。

こうなると話は難しい。「弟のためにパイロットになる」というのであれば簡単だ。航空大学校とか、そういうところに入ればいい。高倍率の難関らしいけど、社会にすでにある枠組みの努力をするだけだ。弟の夢はそんなものじゃない。UFOで現れた宇宙人でさえ腰をぬかすような、そういうものになりたかったのだ。

そもそも、この絵はどうして描かれたのだろう。病院に電話をして、担当だった看護師さんに聞いてみた。

話によると、小児病棟に講師を招いて絵画教室をやった際に、弟はこの絵を描いたのだという。その講師の連絡先を聞いて、教室での弟の様子を尋ねた。

「こちらがテーマを指定したわけではないんです。特に、将来の夢といったテーマは避けてほしいと、病院側から注意されてましたし」

中年女性の声が電話から聞こえた。それもそうだと僕は思った。小児病棟患者の事情はさまざまだ。退院したあとの「将来」を具体的な計画として考えられる子供もいれば、そうでない子供もいる。

「だから私も、紙飛行機で空を飛ぶっていう、子供らしい空想を描いたんだと思ってます。でも、自分の絵を発表する時間で、彼ははっきりと言ったんですよ。『ぼくの、しょうらいのゆめは、かみひこうきのパイロットになることです』って」

弟がなにかのビジョンを持って「かみひこうきのパイロット」を目指したことは間違いなさそうだった。ただ、彼にはそれを具体的に表現するだけの、知識と、技術と、時間がなかったのだ。

紙飛行機のパイロットとは、つまり何だろう?

紙飛行機にはエンジンがない。動力になるのは風だけだ。

ただ、風だけで空を飛び回る手段は存在する。飛行機の原型となったグライダーという乗り物だ、プラスチック繊維の翼でできており、上昇気流を掴んで飛べば、かなり遠くまで行ける。10時間で1000キロ飛んだ記録もある。

弟がやりたかったことは、それなのだろうか?

どうも違う。というのは彼の絵では、鳥が、気球が、ジェット機が、UFOが、みんな弟を見て驚いているからだ。グライダーが飛んでいるのを見ても、ジェット機のパイロットは驚かない。弟は、みんなを驚かせたかったのだ。

それから1年が過ぎた頃、弟と同じ病室だった女の子と話す機会があった。高校のクラスメイトの妹で、小児がんが無事に治り、いまは中学に通っているという。連絡をつけて話を聞くことにした。

ただ彼女にとって、弟にはあまり良い印象はなかったという。

「いつもうるさく騒いで、窓からいろんなゴミを投げるから、看護師さんに怒られてましたよ」

7歳になった弟のもとには、小学校のプリントや宿題が何枚も送られていたはずだ。車椅子のまま入学式に出て、そのまま行くことのなかった学校の。

「ゴミってもしかして、紙飛行機、みたいなやつ?」

「ああ……言われてみると、それもあったと思います。ぐちゃぐちゃに丸めた紙を、そのまま投げてることもありましたけど。『へんけい! へんけい!』って叫びながら」

そう言って彼女は苦い顔をした。僕にとってはただひとりの弟だが、思春期の女の子にとっては迷惑な7歳児であったようだ。それは仕方がない。

ただ「変形」とう言葉には心あたりがあった。当時弟が好んで見ていた戦隊ヒーローだ。5人の「パイロット」たちがそれぞれの乗り物に乗り、「変形!」というセリフとともに乗り物が巨大ロボットへと姿を変え、それで敵と戦うのだ。

窓から投げていたゴミについては、看護師さんにも確認がとれた。病院の中庭にいろいろな形の紙飛行機や紙くずが落ちているので、ああ、またあの子が、と思っていたという。

弟の思い描いていた「かみひこうきのパイロット」の、実態が見えてきた。

飛んでいる途中に、変形する紙飛行機。それによって気流を掴み、どこまでも遠くへいける乗り物。

大学で工学を学びながら、僕はそのアイデアを具現化させていった。電圧で伸縮する素材を、全長1メートルの紙に網目状に張り付ける。中心に載せたコンピュータの指示で、変形しながら風に乗る。GPS信号と気象情報をもとに、風の流れをリアルタイムで判断し、うまく変形するプログラムを作れば、指定した数キロ間を風力だけで移動する紙飛行機ができるのだ。

これはまさに、紙飛行機のパイロットだ。僕はそのプログラムに弟の名前をつけた。

数年の研究と実験の末に、この「紙飛行機のパイロット」には産業的な実用性があるとわかってきた。変形時にしか電力を使わず、少量のエネルギーで移動できるので、現在のドローン物流を塗り替える可能性があるのだ。

産業イベントで試作機を展示し、飛行試験のデータを発表すると、出資したいという投資家が何人か現れた。スタートアップを起こし、社員を集めて事業化を進めた。

これで世界を驚かすことができる。借りたオフィスの壁に貼られた弟の絵を見て、僕はそう確信した。

それから数年が過ぎ、国交省の認可も通り、ついに商業運用がはじまった。顧客第一号は香川県の離島への医薬品輸送だった。風も十分で視界良好。絶好の紙飛行機日和だった。地元のTV局も駆けつけて、注目スタートアップの船出を見守っていた。

結果は失敗だった。紙飛行機に吊るされた荷物は、報道ヘリの見ている前で、瀬戸内海へと無惨に落下した。

原因はすぐに判明した。バードストライクだ。鳥は風を最大限に利用して飛ぶので、どうしても僕の紙飛行機と動線がかぶる。そして軽量な紙飛行機は、鳥とぶつかるだけで破れてしまうのだ。

確率的にはきわめて稀で、開発段階ではほとんど問題にされなかった。たまたま商業サービスが始まった日に起きたのは不幸としか言いようがなかった。社員が全員帰宅した真っ暗なオフィスで、僕はひとり照明もつけずに塞ぎ込んだ。上場したばかりの株価は急落していたが、そんなことはどうでもよかった。

弟が思い描いていた紙飛行機のパイロットは「鳥を驚かせる」ものだった。それが事業化のお祭り騒ぎに揉まれているうちに、頭からすっかり抜け落ちてしまっていた。それがショックだった。

鳥がぶつかっても破れない紙、という案は重量面で現実味がなかった。結局、農業で使われる鳥よけの模様を仕込み、かつ変形性に影響を与えない印刷技術を開発した。色がつくことで太陽熱による温度変化という問題が浮上し、事業再開にはそこから2年を要した。

だが、それは思わぬ副作用をもたらした。巨大紙飛行機に自由な柄がプリントできるので、物流のみならず広告媒体への応用が可能になったのだ。風を受けながら変形しつづけることで、僕の紙飛行機は何時間でも同じ場所にとどまっていられる。ヘリウム価格の高騰で使用されなくなったアドバルーンや飛行船広告の需要を拾える形になった。

この事業展開で会社の業績はおおきく上向いた。それによって物流事業も拡張し、積載量・距離ともに大幅に拡大した。僻地への輸送というニッチ市場のみならず、CO₂排出を抑えた空輸技術として、貨物航空と争える存在となったのだ。

いまや世界中の航空関係者が、パイロットたちが、弟の名を冠した企業に驚きおののいているはずだった。

「次の目標はなんですか?」

米国の講演会会場でそう聞かれた。僕ははっきりと答えた。

「UFOで来た宇宙人を、驚かせてやります」

会場は大いに湧いた。ジョークとして受け取られたのだろう。でも僕はやる。宇宙人くらい驚かせられないようじゃ、死者にまで届くはずがないのだから。

(おわり)





メンバーシップ限定短編小説集(最新作のみ無料)

ここから先は

0字

水曜日の湯葉メンバーシップ

¥490 / 月
初月無料
このメンバーシップの詳細

文章で生計を立てる身ですのでサポートをいただけるとたいへん嬉しいです。メッセージが思いつかない方は好きな食べ物を書いてください。