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穏やかな夜に身を任せるな、老いても石油を燃やせ - SF作家の地球旅行記 相良油田

生活上の必要性から静岡県に行く用事が発生したので、ついでに相良油田に寄ることにした。文明再興漫画として名高い『Dr. STONE』で、船舶の燃料として登場する油田である。

場所は静岡市と浜松市の間らへんだが、油田の資料館だけあって自分でガソリンを燃やさないと到達困難な場所にある。NAVITIME にも「最寄り駅:なし」と表示され、バス停からも徒歩30分ほどかかるようだ。

展示スペースはかなり小さいが、現在でも試験的な規模での採掘が続けられており、汲みたての石油が瓶に入れて並べられている。館長らしきおじさんに「どこから来たの」と聞かれて答えると、「そんな遠くからわざわざ」と感心されて、今月掘った石油を燃やすところを見せてもらえた。

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角瓶に入った原油を燃やすと、赤黒い炎が燃え上がった。絵面だけ見るとウイスキーを燃やしてるようにしか見えないが、アルコールの炎はもっと透明である。

現代人が目にする火はもっぱら都市ガスやプロパンなので、こうも煤の出る炎はあまりお目にかかれない。薪をかまどで燃やしていた頃は大掃除のことを「煤払い」というほどに煤が身近だったのだが、まっくろくろすけも遠くになりにけり。

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さてこの相良油田、特筆すべきはその成分である。

通常「原油」というとイカスミのように黒くてドロっとした液体を想像するが、相良油田はウイスキーのように透明でさらりとしている。資料館では実際にウイスキーの瓶に入れてるので、間違えて飲むやつがいるのではないかと心配でならない。「原油」も「原酒」と読み違えそうな字面してるし。

これは相良油田の特異な組成のためである。ひとくちに石油といってもその「重油」「軽油」「灯油」「ガソリン」といった成分の混合物になっているが、世界各地の油田の半分ほどが重油であるのに対し、相良油田は1割ほどしか重油が含まれず、ガソリンや灯油などの軽い成分が大半を占めるのだ。分留せずに濾過するだけで、そのままランプや発動機に使えるのだという。

(この点をもって「世界でまれに見る良質な油田」とされる。『Dr. STONE』では採掘した石油を船舶燃料およびアスファルト舗装に使っていたが、重油成分が少ないのはこれらの用途には不利ではないだろうか)

太陽光を通すとほんのりと青緑色に見える。なんで青いのかは館長も知らなくて「ガラスにウランが含まれると緑色に見えるらしいけど、あれが関係あるんだろうか」てなことを言っていた。どっちかというと銅イオンっぽい色だったので有機銅化合物でも入ってるんでないだろうか。

「何でここを知ったの」「ジャンプの漫画で読んだからです」「読んでみたけど、あの E=mc² てのは何なんだっけ」「あれは相対性理論の式ですね、あんま石油とは関係ないです」といった話をした。

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ご存知のとおり日本は石油がないから戦争して石油がないから負けた国であり、「石油の不足」は民族的トラウマといってもいい。そんな国でまだ湧いている油田があるというのはなんとも妙な気分だが、これは量と経済性の問題である。

よく「石油の埋蔵量はあと30年分」といった話を聞く。30年前の資料を見ても「あと30年」と書いてある。なんだか騙されているような気分になるが、これにはちゃんとした理屈がある。

そもそも石油の「埋蔵量」というのは、物理的に埋まっている量ではなく、経済的に採掘可能な量を指す。つまり、リットル130円のガソリンを掘るのに150円かかるようであれば、埋蔵量としては「存在しない」とみなされるのだ。ちなみに採算性はさておき技術的に採掘可能な量は「資源量」と呼ぶ。

したがって、技術が進歩して採掘コストが下がれば、それまで「埋蔵量」でなかった量が「埋蔵量」になるのだ。たとえば2010年前後のシェールガス・シェールオイル革命によって、それまで採算が合わなかった石油が掘れるようになり「埋蔵量」が急増している。別に新しい油田が発見されたわけではない。

このあたりの事情は『石油の「埋蔵量」は誰が決めるのか? エネルギー情報学入門』(岩瀬昇/文春新書)に詳しい。

『ドラえもん』で環境問題を学んだ頃は「石油の枯渇」こそが人類の立ち向かうべき問題だったわけだが、実際のところ現代社会はもう石油の「枯渇」はあまり心配していないように思う。CO2排出による気候変動のほうが緊急の課題で、枯渇するまで掘ってるヒマがないのだ。

しかしCO2が問題であれば、大気中のCO2さえ減らしてしまえば石油を燃やすこと自体は問題ないのでは? という話にもなる。実際、大気中のCO2を回収して埋めてしまう技術(CCS)が苫小牧で実証試験に入ったらしい。だいぶ乱暴な気がするがひとつの考え方ではある。

しかし、さすがに地中から石油を掘って代わりにCO2を埋めるというのは持続可能性に欠ける。化石燃料という地球資源を我々の代で勝手に使っていいのか、という話である。

理論上はエネルギー源さえあればCO2を燃料に戻すこともできる。サバティエ反応とかフィッシャー・トロプシュ合成がそれで、CO2に水素ガスを反応させてメタンを作り、さらに長鎖の人工石油を作ったりもできる。いずれ洋上風力発電で海水を分解し、空気中のCO2からメタンをせっせと合成できるようになるかもしれない。まあ核融合で全部ドバーンと解決するかもしれないが、手段は多いほうがいい。


有料部分では、この周辺で他に行った場所について。


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