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【小説】 アイム・ア・ティーポット

ティーポットにうっかりコーヒー豆を入れてしまう、なんてことは誰にだってある。俺にだってある。徹夜明けだから仕方がない。こんなことになったのも営業が悪い。

ポットの口に湯を注ぎながら「よく考えたらこれティーポットだけど、俺が今いれたのはコーヒー豆だがティーが入ってない以上はコーヒーポットだな」とか覚醒40%くらいの頭で考えていたら、注ぎ口からモクモクと煙が出てきた。湯気かと思っていたが紫色に染まっていて、次第ににょろにょろと変形して人間の形になった。褐色でずんぐりで背の低い囲みヒゲのおっさんだ。頭にはターバンを巻いている。

「助けてくれてありがデス」

おっさんはイントネーションのおかしな日本語で言った。

「私はティーポットに封印されていた魔人でマス。あなたがコーヒーを入れたおかげで、ティーポットが名前の束縛を失い、それにより私の魂が解放されたのでアル」

「そうか。そりゃ何よりだ」

俺はあくびを噛み殺しながら言うと、

「お礼にひとつ願いを叶えてあげマス」

とおっさんは言った。なるほど、こいつはアラビアン何かに出てくるランプの魔人というやつか。現代日本にランプなんてないから、形の似ているティーポットで代用したのだろう。

「なんでも願っていいのか?」

「はい。なんでも可能マス。魔人は嘘つかナイ」

とっさに「営業死んでほしい」という言葉が浮かんだが、いま営業部にいる社員が死んでもどうせ似たようなやつが出てくるから解決にならないし、むしろ真に滅するべきはあのプロジェクトマネージャじゃないだろうか。マネージャを名乗るならちゃんとマネジメントをしろ。今いるのはただのマルナゲジャーである。

何にせよおれはさっさとコーヒーを飲んでまた会社に行かねばならないので、魔人とかに関わっている暇はないのだ。背中のあたりをぼりぼりと掻きながら言った。

「別にどうでもいいんだが、そうだな。俺の周りにいるやつらが、ちゃんと肩書に応じた仕事をするようにしてくれ」

「かしこまりデス。その願いを叶えてマス。では失礼しデス」

魔人はそう言ってティーポットの注ぎ口にヌッと戻っていった。ポットの蓋を開けてみると湯気がモワッと出てきたが、中には湯と挽いたコーヒー豆しか入っていなかった。

疲れているんだな、と思った。

こんなことになったのも営業が悪い。あいつら文系のくせに国語力が低くて「不可能」という言葉の意味を知らないものだから、クライアントに言われたことを納期も考えずにホイホイOKしてしまう。そうして現場に無理難題を押しつけた量が実績だと思っている。「ボクたちがとってきた仕事でこの会社は回ってるんだぞ〜」とか考えているんだろうが、頷くのが仕事なのだから赤べこでも置いといても大差あるまい。

そう思いながらティーポットの中身をティーカップに出して飲む。薄い。捨てる。新しい豆を出そう。ハサミがいつものペン立てに入っていない。ハサミはどこだ。ハサミ。はさみ。挟み。

冷静に考えると「ハサミ」ってはさむ道具じゃないな。「洗濯バサミ」はわかる。あれは洗濯物を挟むからハサミだ。「火バサミ」もまあわかる。あれも火そのものは挟まないが、木炭とか挟むから実質的にハサミだ。「糸切りバサミ」あたりは怪しい。切るのと挟むのは両立しないだろ。

悪態をつきながらクローゼットを開けたら、下着入れの中にハサミが入っていた。そうだ、先週あたらしい靴下を買って、タグを切って履いて、ハサミをそのままにしていたんだった。

ハサミを握ってコーヒー豆の袋に刃を当てた。「かん」と金属的な音が響いた。歯の口には幅1ミリほどの跡がついただけだった。よく見るとハサミの刃に見てわかるほどの厚みがついて、ご丁寧に滑り止めの溝までついている。

「そうかそうか」

俺は思わず笑い出した。

「これはハサミだから、ちゃんと『挟む役割』を果たしているんだな。そりゃまあそうだろうなガハハ」

と言ってハサミ(文字通り)をペン立てに戻した。その瞬間、ペン立ての中でハサミがぎゅるるるるんと回転し、黒い樹脂製の取っ手がヌッと伸び、金属部分が先端に小さくキュッと収まった。取り出してみると、それは万年筆になっていた。

「そうか、これはペン立てだから、ペンが入ってないとまずいな」

俺はまたガハハと笑った。疲れていると笑いのハードルが深刻に低くなる。

どうやら俺がランプの魔人(というかティーポットの魔人)に「肩書に応じた仕事をしろ」と願ったせいで、「ハサミ」も「ペン立て」も名前どおりの機能になってしまったらしい。OK、完全に理解した。それはそうとして会社に行かねばならない。

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