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青春18きっぷで人生のレールを踏み外す - SF作家の地球旅行記 18きっぷ編(1)

世界は誤解で満ちている。奈良県に行かない奈良線、環状でない愛知環状鉄道線、港区にある品川駅、そして、青春18きっぷ。ネーミングのせいで「年齢制限がある」と勘違いされがちだが、年確もタスポも見せずに購入できる。青春してるかどうかの検査も無い。

この紛らわしい上に恥ずかしい名前は、おそらくJRから我々へのメッセージである。鈍行の旅が許されるのは金なし暇ありの若者だけで、まともな大人は特急券を買って新幹線に乗れ、という。まことにその通りである。だが私はとっくに「まともな大人」に至る人生のレールを踏み外したので今季も平然と1067mmのレールの上に乗っている。来季も乗る。

というわけで、今回は青春18きっぷ旅行の話をしようと思う。これはなかなか難易度が高い。

モンゴルの草原で馬に乗った話なら、誰が書いてもそれなりに面白いだろう。日本人にとって馬の旅は非日常だからだ。その点、18きっぷ旅行で乗るのは通勤・通学と同様のJR在来線であり、いってみれば一日中通勤し続けるようなものだ。楽しい道理が全くない。

しかし、この「楽しくなさそうな感じ」、もっと言えば「楽しまなくてもいい余裕」こそが18きっぷ旅行の醍醐味といえる。

高い航空券を買って綿密なスケジュールを組んで海外旅行に行ったら、Facebook に写真をあげて知人友人の「いいね」をもらうことで「楽しい旅行でした」という雰囲気を演出しなければならない。そうでないと割に合わない。そういう圧迫感が旅行中どうしてもつきまとい、せっかく現地にいるのに景色をカメラアプリ越しにしか見てない、な〜んてことになりがちだ。

一方で18きっぷ旅行は日常の延長であるから、わざわざ楽しかったことを客観的に実証しなくていい。観光スポットを逃しても「また行きゃいいや」で済むし、何なら行ったことを忘れても構わない。見知らぬ土地で景色も見ずにいつでも読める漫画を読み、どこでもできるスマホゲームをやってもいい。贅沢な時間だ。

だからこそ、18きっぷの旅行記なんて書くべきではないのだ。終わり。

……という前提を踏まえたうえで、今から18きっぷ旅行の話をする。なぜなら僕にとって文章を書くことは日常の一部であり(なにしろ本業は小説家である)、18きっぷ旅行という日常の延長を文章にするのは決しておかしなことではないのだ。ああ、言い訳だ! すべて言い訳だよ! 世界は誤解と弁解に満ちているのだ。誤解が世界に穿った穴を弁解で補修することで、この不条理に満ちた社会はどうにか形を保っているのだ。

さて、今回の18きっぷのコンセプトは「単なる帰省」である。名古屋から郡山(福島県)の実家に帰るので、東海道線と東北本線を使えば1日で着く。節約という観点からすればこれが一番いいが、このコースは何度も使ってとっくに飽きている。

始発から終電まで使って体力に任せて最長距離を移動する、そういうのは貧乏学生向けの18きっぷであり、今から書かれるのは大人の18きっぷ旅行(語義矛盾も甚だしい)である。必要に応じて新幹線や飛行機も使うし、駅ナカで地ビールを飲んだりもする。

1日目(名古屋→小淵沢→佐久平→高崎→浦佐)

始発の中央線に乗って名古屋を出る。愛知、岐阜、長野、山梨と県境を越えて、お昼ごろに小淵沢に着く。小淵沢駅には展望台があり、北には八ヶ岳、南には富士山がきれいに見えた。1月2日で世間は初夢の話題で盛り上がっていたが、冷静に考えると富士山なんざ夢で見なくても実物を見るほうが確実だ。茄子もそのへんのスーパーで買えばよい。鷹がいちばん厄介だな。

昼飯を食べようと外を歩き回るが、唯一開いているウナギ屋は5000円くらいするので、おとなしく駅で立ち食い蕎麦を食らう。券売機には「わかめ」「たまご」「とろろ」「日経」「長野日報」というボタンが並んでいる。奇抜な名前のトッピングではなく新聞がここで買えるのだ。肉を食いたいので山賊そばに馬肉載せを頼む。馬肉というのはいかにも山賊っぽい。農村を襲っては馬を食って仏罰があたるぞと言われるのだ。

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食べ終わると、今日のメインである小海線に乗る。山しかないのに山なし県、海がないのに小海線である。世界はやっぱり誤解に満ちている。八ヶ岳を車窓に見ながらだらだら登っていき、県境のあたりでJR最高地点(1375m)に至る。ここは以前自転車で来たことがあるが、鉄道で通るのははじめてだ。車内から最高地点を撮影。

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登山道などの例外はあるものの、鉄道も国道も「道」というのは人里と人里を結ぶための存在であり、標高は低いほうが望ましい。つまりJR最高地点とは「狙って達成した最高」ではなく「やむにやまれず最高」なのだ。自治体がギネスブックに載せるために作った養殖的な最高地点とは違う、天然物ならではの味わいがある。

佐久平駅まで乗るつもりだったが、なんか座り飽きてきたのでひとつ前の岩村田で降りて歩く。

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チェーン店の立ち並ぶファスト風土にそびえたつ浅間山。これぞ18きっぷ旅行というべき風景だ。有識者はやたらと「地方の独自性を〜」と言うが、そういうのは地方が観光のために存在すると思っている都民の意見(および都民の意見が国家の意見だと思っている隷属的地方民の意見)である。たいていの住民からすれば東京と同じインフラが整ってることの方が重要である。

佐久平駅から北陸新幹線に乗り換えて、群馬県の高崎駅へ向かう。新幹線ですよ、みなさん!「18きっぷ旅行で新幹線とか冒涜!」という声が聞こえてきそうだが、私は18ではないし青春でもないのでそういうことは気にしないのである。これが大人の18きっぷである。

高崎・長野間は1998年の長野オリンピックで開通した区間で、「長野新幹線」か「長野新幹線」なのかで揉めていたところだが、2015年に金沢まで開通したことで無事に北陸新幹線としての決着を見た区間である。乗ったことないので3駅分だけ乗ることにした。

券売機でチケットを買おうとしたら現金のみで Suica すら対応していない。窓口が混雑しているのでなけなしの現金を投入し、その足でATMへ向かって諭吉を2人召喚する。財布に現金が増えると「使わねば」というプレッシャーがかかり軽井沢ビールとソーセージを食べる。キャッシュレス化が経済を活性化させるという話が体感的に疑わしくなる。最近はどこの地域に行っても地ビールを推しているが違いがよくわからない。

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新幹線を撮ったらレンズ汚れのせいで妙にエフェクトがかかってしまった。正月シーズンで自由席は通路までぎっちり混んでいた。25分ほど立つ。

高崎市は群馬県最大の都市である。県庁所在地と同等以上の都市が対立している県と言えば福島vs郡山、長野vs松本などを彷彿とさせるが、前橋・高崎は対立というのはあまりに近すぎるし航空写真で見ても完全に同一都市圏であり一時期は合併の話が盛り上がっていたらしい。そういう意味では大宮・浦和の立場に近い。「ぐんま市」とかそういう名前が検討されていたに違いない。

この日は高崎駅西口で毎年恒例の「だるま市」が挙行されており、屋台テントが大量に並んでだるまが所狭しと売られていた。だるまの用途って選挙くらいしか思いつかないのだが、これだけの市場規模があるのは民主国家を象徴しているといえる。もし日本が権威主義的な体制に移行し選挙が廃止されそうになったら市場縮小を恐れた高崎市民が立ち上がるに違いない。東北ではコケシが有名だがあれも何かしらを象徴してるのだろう。

高崎から上越線に乗って新潟県に入りる。越後湯沢駅は日本酒飲み比べとか魚沼産コシヒカリTKGとか色々楽しい駅なのだが、今回は20分程の乗換なのであまりのんびりできない。笹団子だけ食べてふたたび北上し本日の宿に至る。岐阜羽島駅と並ぶ「政治駅」として名高い浦佐駅である。

ところで僕は親が岐阜出身であるため岐阜羽島駅は頻繁に利用しており、「実用性の低い政治駅」と呼ばれていると知ってちょっと驚いてしまった。この話を友人にすると「おれも仕事で使ってる」と言われたし、政治駅という概念をあまり鵜呑みにしないほうがいい気がする。採算性はともかく、現地の人間にとっては重要なインフラだったりするのだ。

そんなことを思いながら浦佐駅に降り立つと、いきなり田中角栄の銅像がどーんと立っている。パーフェクトな政治駅だ。

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浦佐駅の田中角栄像は「銅像」と聞いて想像するサイズよりも随分大きい。豪雪地帯なので雪が被らないように屋根が取り付けられている。取り付けた業者には笠地蔵ならぬ笠角栄が現れて恩返しをしてくれたに違いない。笠角栄は自宅の前まで新幹線を作ってくれるのだ。騒音すごそう。

政治家の銅像なんて倒される時しか注目されないが、田中角栄の銅像が倒されるタイミングはとっくに過ぎているので逆にしばらく安泰な気もする。とはいえスターリンの出身地の銅像は2010年に倒されたので油断はできない。「よくわからんけど新潟だから何でもうまいだろ」と思って駅前の適当なレストランに入る。日本酒がうまい。

2日目(浦佐→小出→只見→会津若松→郡山)

浦佐駅前で宿泊し、始発に乗るため早朝からチェックアウト。全世界のホテルのよくわからない朝食ビュッフェを旅の楽しみにしている勢としては残念だが、ローカル鉄道旅ではやむを得ない。

この日のメインは只見線(およびその代行バス)である。1日がかりの移動なのに県境を1つしか越えない、それが新潟・福島のサイズ感だ。都民は刮目したまえ。

始発で浦佐駅を出て小出駅で降りる。記録的な暖冬とはいえ日本有数の豪雪地帯なのでそれなりに雪が積もっている。1時間待ちなので駅周辺をうろついていたら、消雪パイプから散水をくらって靴がめっちゃ濡れた。地元住民はこの問題をどうクリアしているのだろう。長年ここで暮らすうちに足の撥水性がダーウィン的に進化するのかもしれない。

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商店街をうろつくが、朝なので店は開いていない。軒下にCDの自販機があってNGT48のCDが売られていた。この世からCDプレイヤーが消滅してもCDは神社の御札みたいに売れ続けるかもしれない。音楽データがそこに入っているという事実が重要なのであって、聴くのはネット配信でいいのだ。唯一開いていたセブンイレブンのイートインでセブンカフェ飲んでたら出発時刻に遅れそうになった。おのれセブンカフェ許さん。

只見線は2011年7月の洪水で一部区間が代行バスとなり、現在でもそれが続いている。東に震災、西に洪水と2011年は福島県民にとってまことに不幸な年であったが、東の常磐線が2020年春についに復旧を果たすのに対し、西の只見線のほうはいまだに復旧の目処がない。

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ひとまず列車の通っている只見駅まで列車で行く。日本有数の絶景鉄道として名高い只見線だが、撮り鉄目線なのか乗り鉄目線なのかはいまいち分からない。いずれにせよ会津の雪化粧は美しい。最高時速65キロと原付二種なみの速度でたらたら走って只見駅に到着。ここからは代行バスだ。

只見駅→会津川口駅を結ぶ代行バスは日野自動車のリエッセだった。定員は30人くらいだが、この日は半分くらい空いている。会話の印象からして台湾からの観光客がかなり多いようだった。おそらく雪が見たくて来たのだろう。その点ではなるほど只見線は良い。代行バスを降りる頃には青空が見え始め、会津川口駅にはまことに風光明媚な雪景色が広がる。

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会津川口駅で2時間待ちだったので、30分かけて一駅歩く。途中に「道の駅かねやま」があり昼飯が食べられる。18きっぷ旅行で道の駅に入る機会はそうそう無い気がする。赤かぼちゃが有名らしく「赤かぼちゃ玉羊羹」が売っているので実家のお土産に買う。

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その後もディーゼル車両で排気ガスを吹かしながら山の中をだらだらと走っていく。赤べこの発祥地は柳津町らしい。会津のどこかだと思ってたけどそこまで詳細には知らんかった。このあたりには日本最大の地熱発電所があり、そのへんの川を適当に掘るだけで温泉が出てくるので子供のころ掘った。

会津坂下あたりでようやく平地になって若松の市街地が見えてくるが、ここで線路が大きく南に逸れるので随分待たされる。遅さを楽しむのがローカル鉄道の旅のはずなのだが、目的地を目の前に迂回されると何故かイライラしてくるという妙な心理がある。

会津若松で酪王カフェオレ・クランチという菓子を買う。「酪王カフェオレ」は古くからある福島県民のソウル飲み物だが、このところ全国的な知名度を増しているので調子に乗って多角的な商品展開をしている。実家のおみやげにするつもりだったが磐越西線でボリボリ食べてたら半分くらいなくなった。

つづく

文章で生計を立てる身ですのでサポートをいただけるとたいへん嬉しいです。メッセージが思いつかない方は好きな食べ物を書いてください。