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マイナスをゼロにする飯漫画 『ご飯は私を裏切らない』

「好きな漫画を文字だけでプレゼンする」は、表現筋の筋トレのために好きな漫画について作中のコマを一切貼らずに語る企画です。

小説家デビュー時に賞金で買った125cc原付があるので、売れなくなったら UberEats の配達員になってキャンセルされた飯を食べながら生きていこう、と思っている柞刈湯葉いすかりゆばです。こんにちは。というわけで今回紹介するのは heisoku 先生『ご飯は私を裏切らない』。1巻完結。

分類としては、2010年代の漫画界を席巻した飯漫画の先鋭的サブジャンル「飯を食べるだけ漫画」である。

白熱の料理対決や実用的なレシピ紹介がなくても、普通の人が普通の飯を食ってるだけで漫画として成立すると知らしめたのは久住昌之・谷口ジロー『孤独のグルメ』の功績といえる。特殊な食材も調理法もない、誰もが味を想像できる普通の飯に、井之頭五郎のダンディズム漂う個性的なモノローグによって、彼の人間性、価値観、これまでの人生といったものが淡々と語られる形式だ。

人は誰もが飯を食う。そして飯を通じて、それぞれの人としてのあり方を再確認する。いわば飯はもっとも普遍的であるとともに、もっとも個性的な行為だ。こんなにも多彩な「食べるだけ漫画」が生まれた背景はそんなところにあると僕は考えている。

そんな「食べるだけ漫画」業界において、この『ご飯は私を裏切らない』。ご飯以外の全てに裏切られたかのような不穏なタイトルだ。主人公は29歳のバイト暮らしだが、クビになるリスクを分散するために常にバイトを掛け持ちした結果専門性がつかず雇用保険に入れないという、総合的に生きづらそうな人物である。

中卒(というか中学に行ってない)だが知識は豊富で、かつ知的好奇心も旺盛。「考えてみれば私、アジについて美味しいってことしか知らない」と言い出してスーパーで買ったアジを解剖して内部構造を調べたりしている。

人類の誰も知らない滅んだ生き物を食べてみたいなあ(……)エディアカラ生物群は捕食者などいないのでみんなやわらかボディでぷかぷかしていたみたいだ

『ご飯は私を裏切らない』p95

僕などは福祉制度をがっつり利用して国家の脛をかじりながら大学院まで行ってしまった口だが、こういう人が知的意欲を持て余しているのを見ると、学習の適性と「学校」という場への適性が別物なことが伺える。作中で通信制短大への進学を作中で試みる描写もあり、「どうかこういう人がうまく生きられる社会設計になってほしい」と願わずにはいられない。

そしてこの主人公、食事中にやたらと食べられる側の目線になる。長文のモノローグでその食材が生きていた環境についての思いを馳せる。かなり斬新な食レポである。

いくらを食べていると生き物とはこうやって小さく生まれて小さく死んでいくものなんだと思える… この世で何も為せなくても別にいいんじゃないかな… そんな気持ちにもなる…

『ご飯は私を裏切らない』p11

なんなら自分が餌として食べられることを想像したりする。

人間を捕食する生き物がいれば良かったのに 今頃私も何者かの血肉になれて だれかの期待に応えただろう

『ご飯は私を裏切らない』p35

こんなスムーズに他者の目線になれる人をいままであまり見たことがないな。

こうした飯に対する個性的な目線がこの漫画の読みどころである。というと施川ユウキ『鬱ごはん』のような漫画を想像されるかもしれないが(実際それに近いノリは随所にあるが)、特徴的なのはこの主人公は飯はちゃんと美味しそうに食べることである。

いや これがこんなにも美味しいってどうなんだろうね! 技術の進歩かな? 私が侘しいやつなのかな?

『ご飯は私を裏切らない』p81

マイナスに偏りがちな主人公をゼロに引き上げてくれる存在としての「飯」を描く、そんな漫画である。


チェーン店はね 美味しいからいっぱいあるんだ 美食の最適解さ

『ご飯は私を裏切らない』p72

わかる。


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