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真の深刻劇場はここでした、親子の絆って。未だ自問自答してます。 17

あともどりしないしあわせは自分の思考がつくってる☆

※アメブロで2014年に書いた「自分史」を加筆・再考し掲載しています。


保育士なのに、
子育てでつまづいてきたことを
必死で隠してきたことで起こった私の話を振り返りながら、

長くながーく、書いてきました。

そして、最初に書いた2014年から
まだまだ何度も「自分の枠」を感じて

手放してきました。

もうね、結構今みたら恥ずかしいくらいええかっこしいしてたし、悲劇の人になって書いてたところもあった。(笑)

わたしは本当に、これを書いたころとはまた
違った世界を手に入れてきました。


両親とは、本当に穏やかな関係をつくり。
(また書きますね)

孫は三人に。(2019年5月現在・笑)

次男はマッチョな男前に。

彼氏とも順調。(どこまで書くんだw)

「しあわせって、穏やかでやさしい気持ちになるねんな」

これが、2011年のできごとを経験してからのさまざまを経て
わたしが人生の中で「しっかりつかんだ」ものです。

ほんと。
知らなかってん。

しあわせが穏やかだと
そわそわして「しあわせになれるわけない」から
自らぶっつぶしてきてたから。

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話を戻しましょう。

長男は出稼ぎを終えて
…ということは支払いを終えて(笑)

2014年の夏、大阪に帰ってきました。
がんばりやのお嫁ちゃんが決めて引っ越したおうちで
仲良く暮らしています。

その年成人式を迎えたお嫁ちゃんは
ほんとにしっかりしていて
がんばりやです。

見かけのギャル風とオシャレさんはそのままに
イケてるママでこどもたちが「取り合って」ます。(笑)

引っ越しが決まったとき、私に

「おうち、いろいろ考えたんですけど

水まわりのいいところを選びました」

っていうお嫁ちゃん。

す、すごい・・・。
水回りって。。。。💦

ピンク色~~~かわい~~~っていうノリで家を決めたのはわたしです。

「長男がいつも仕事がんばってくれているから
ごはん、一汁三菜がんばってます☆」

この子、ほんとにハタチ?💦

適当なおかずつくってることも多いわたしは
ほんますごいなと思う。

娘ができたことがとってもうれしいんです。

そして、孫にもお嫁ちゃんにも
「○んちゃんのママ」と呼ばれています。(笑)

素直で、一生懸命で、みていて本当にしあわせです。


あんなに大変だった長男も変わりました。

家を売って引越するとき

長男とは住まないという決断をしたときのこと。

長男を家から出して次男と二人暮らしをはじめる決断をとったときのこと。

ここがいまだに

本当に辛かったなあってチクリとするんです。


あのときの決断は本当は間違っていたのか、

それこそ、自己中心的な浅はかな行為だったのかもって
思ってました。


自分のあのころの決断が「自分の人生の舵をとるための決断ではなかった」のじゃないかなって

それはええかっこしいで「切り捨てた」んやろて。


長男はいろんな笑えないことをしでかしながらも

私が自分の送り出す思考を変えていく中で
一番生き方を変えていった私の周囲にいる人です。

よく「母親の思考がそのまま特に長男に向くことの顕著さ」ってあるあるだよねと最近でこそ思えるようになったけど
親子の絆ってほんと、深いんだよね。

私が長男に送り出す思考が
「信じられない」「心配」から

「しあわせになりや」に変わっていくまんまに
長男はかわっていったけど


それでもやはり!
親だから心配ってなるんですよ!

心配したらあかんっていうけど

なるものはなるねん。

そんなとき描いたブログがこれ。

でも今日ね

長男から電話があって

しかもとっても世間話(ヒマなの?)で(笑)

かけてきた主な内容は「次男はちゃんと学校にいってるか?」だったのですが
(自分はいかなかったくせにね・・・・・笑)

そのときに昔のことを話していたんです。

あのころにはわからなかったこと?

聞けなかった気持ち?も話してくれたんだけど


なんと驚いた!

長男はね

「俺、自分で家出て行ったもんな」

って言うんです。。。。。。!!!

いやいや、ちゃうやろ!!

あたしが出て言ってくれていうてん!



最初、冗談だと思ってたんだけど

そうやらそうじゃない。

長男の声は嘘をついているようではなかったんです・・・・・。


なので


「そやね、あんたは昔からなんでも自分でやろうって自立心旺盛な子だったからね」って

言いました・・・・・(笑)

長男は「やろ?で、結構ちゃんとやってるやろ?」って・・・・・^^;

まさかの

息子の記憶が変わってたけど、これでええからいっか?

思考がかわると

こうして周囲の人の記憶も変わってしまうの典型例をまのあたりにする。

相手じゃなくて
変わるのは自分だった

そして
私が変わると
周囲がどんどん変わっていった。

あの数年間のことは

今思うと
「ほんとの出来事だったんか?」と
思っちゃいます。

でもね

あの出来事がなかったら
今のわたしはなかった。

こどもたちどころか
すべての人を
自分の「支配下」におくことが
愛情だと思っていたわたしは

決してなくなったわけじゃないけど

「いやいや、それはもういらん。」とその都度手放して

そして「どういう私として生きるか」
を創作して生きる。

という生き方の練習をどうやら大分積めてきたようです。

やれやれ長かった。

でも
死ぬまでに知れてよかったよ。

自分の「愛」を
「お前これ受け取れーー」
「受け取らんのかおりゃ~~~」

「だけ」が愛だと思ったまま生きてたとしたら

それもそこそこなんとかなるけど

随分疲弊してきたわな。それで。

(ま、たまにはやるけどね。にんげんだもの)

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子ども達との絆のはなし。
ここで一応おしまいで
また思うことを別に書いていくと思います。

ほんま、言えること。

「保育士」だからって
育児ひとりで背負い込む必要はないわな。

いらいらするならなおさらね。

両親との長い長い確執に触れるには
私の幼少期のお話にさかのぼるんですが

もう笑ってもらえると思います。(笑)

深刻だった子育て話。ひとまず完了です。

ながいながいおはなしを聞いてくださって
ありがとうございました。

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