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【ルワンダ🇷🇼】スラムの女性たちに教えられたこと| 5/54ヶ国目 | 世界一周ふりかえり

★世界一周5ヶ国目、ルワンダ
★滞在日数:2022年10月4日〜10月10日(6泊7日)
★かかった金額:¥48,461 /2人

4カ国目のケニアにいる時、隣国ウガンダでエボラ出血熱がちょうど発生し、陸路でウガンダからルワンダに向かうつもりが難しくなったため、一時は諦めかけたルワンダ。

アフリカ経験のある友人から、ルワンダはケニアともウガンダともタンザニアとも違う国だし、ぜひ行ってほしいという言葉に背中を押され、航空券代6万円の追加出費が出たが行くことにした。

結果、ルワンダを逃していたら私の世界一周の気づき10%ほどは失われていただろうというくらい、行ってよかったと思える国だった。


◆アフリカで最も治安の良い国

ルワンダといえば、29年前に起きたツチ族とフツ族によるジェノサイドが記憶に新しい国だ。
だが実際にルワンダに足を踏み入れると、わずか30年前にそんな悲惨な虐殺が起こったことは簡単には感じさせない。

空港に降り立つと薔薇の花を渡され、Uberで夜の街に出るとそこにはキラキラと輝く美しい夜景があった。首都キガリの街には綺麗に整備された道と街灯があるのだ。

朝になり街に出ると、道にゴミは一つも落ちていない。むしろ芝生が整っている。
暗くなっても出歩ける、夜10時にバイタクに乗って走れる国
それがルワンダだ。全くこれはアフリカの常識ではあり得ないことで、本当に異次元に治安が良いと感じた。

首都キガリの中心近くの光景。この写真を見てアフリカと答えられる人はどれくらいあるだろうか。

●カガメ大統領の手腕、独裁は善か悪か

なぜそんなに治安が良いかというと、ジェノサイド後に大統領となったカガメ大統領による統治に原因があるようだ。
彼は20年以上も大統領の座につく、ほぼ独裁者と言われてもいるが、彼のおかげで警察が機能し、治安が守られている。

キガリの虐殺記念館に行くとジェノサイドの発端(ベルギーが植民地支配時代にツチ族優遇政策をとり民族を分断した)と、その後ルワンダ国民がそれをどう乗り越えて今に至るかが詳細に展示されていた。

市民が武器を持ち、フツ族が昨日まで仲の良かった隣の家のツチ族を殺戮することになってしまった信じがたい事件であるが、その後十何年に渡って市民同士が話し合いの場(=ガチャチャ(草の根裁判)を持つことで、今後のルワンダにとって、対立ではなく同じ方向を向くべきだと、殺した当本人たちを恨むのではなく赦し、乗り越えたと言われている。

キガリ・ジェノサイド・メモリアル(虐殺記念館)


そして今やルワンダはアフリカのIT先進国と言われ、教育に力を入れ、これほど安全でクリーンな国となった。
アフリカや中南米をたくさん回ってきたが、いまだに政治が正しく機能し、市民の安全が守られている国は世界にむしろ少ない。たった30年でルワンダをここまで整えたのは、カガメ大統領の手腕であると言えるであろう。

苦難の時に、強引にでも、同じ方向にグイと向かせ、強制的にでもリーダーシップを持って国を変えていく。ある程度独裁的でないとこういったことはできないのではないか。むしろ民主主義を謳いながら全く国が不安に陥ったままである国がたくさんある世界で、この独裁的なリーダーシップを悪と捉えるか善と捉えるか。(*)

私は独裁政治に賛成な人間ではもちろんないが、少なくともこのタイミングのルワンダには必要だったのかもしれないと感じた(まあ、うまく行ったのは結果論ではあるが)。

【ルワンダ虐殺参考記事】
※複雑な歴史、かつ本記事では触れきれない事実、美化ですまされない深い傷などが多く存在しています。ぜひ様々なソースから正しい情報を得ていただければと思います。
▼フリーランス国際協力師原貫太さんのブログ
フツ族ツチ族の違いはベルギーが作り出した【ルワンダ虐殺の背景をわかりやすく解説】
▼朝日新聞デジタル
「救われてはいけない」 ジェノサイドの性暴力から生まれた親子を記録した写真集を見て思うこと

*この議論は、昔から(2600前から!)繰り返されているらしく、それについてはコテンラジオの民主主義テーマ回で詳しく語られるらしい。(執筆時点で1話放送)↓


●クリーンの影に潜む闇、スラムのお母さんとの出会い

一見クリーンに見えるルワンダだが、滞在数日目に、ルワンダに留学中だったトビタテ生のSatsukiちゃんに出会い、キガリのkisekiという団体さんのスラム見学ツアーに参加させてもらった。

正直ルワンダに到着した時には、スラムすら見当たらないくらい綺麗だったので、そもそもスラムがあることにも驚いたほどだ。

しかし、それは壁の向こうにあった。政府は、ルワンダはクリーンな国であるとアピールするためか、見せたくない部分には壁を立て隠しているという。


貧困家庭が暮らすスラムエリア


スラムの家に大きく赤く書かれたRという文字。政府の取り壊し対象という意味だそうだ。

スラムに住む人々に、十分なサポートは無い。それでもそこに住む人々は、ルワンダはカガメ大統領のおかげで安全で良い国になった、と褒め称える。
本心なのか、そう言わなければいけないのか、それはわからない。壁の裏に潜む闇を感じた。

ノエラさんというルワンダ人の女性がスラムを案内してくれた。連れていかれた先は彼女の実家で、そこには彼女のお母さんが座っていた。精神的にも身体的にも病を抱えており、小さな小さなその家の入り口にある椅子から動くことはできないらしい。30分ほど、お母さんといろいろな話をした。
その中で忘れられない話題が二つある。

一つは、どんな時に苦しいと感じるのかという話。それは毎日だと。毎日死にたいと思っている、と。娘のノエラさんも、お母さんは毎日私に、kill meと言ってくると。

もう一つは、お母さんから質問された、「両親はいるのか?」という問い。この時ほどこの問いに胸が苦しくなったことは無い。なぜなら彼女は16歳のとき、両親をジェノサイドで亡くしているのだから。

今でもそのお母さんのことは時々思い出す。今日も生きていてくれているだろうか。私が彼女にあの時できたことは、ただ、彼女とあの日会えたことへの感謝をひたすら伝えることだけだった。

彼女とお別れに抱き合った時、彼女は私の耳元でGod bless youと伝えた。彼女の小さなお家には十字架があった。私はキリスト教徒では無いが、この時ばかりは、God bless youという言葉以外見つからなかった。政治も助けてくれない、誰も助けてくれない、そんな彼女が神という信じられる存在に助けられ明日を生きられるならば、それこそが宗教が存在する意味なのだと、そう思った。

ノエラさんのお母さんのご自宅で対面。彼女はこの椅子からほとんど動くことなく毎日を過ごす。


●初めてのケーキカット、美しい丘の国の人々の強さ

スラム見学を終えると、kisekiで働くルワンダの女性たちが楽器の演奏を突然始めた。何かと思ったら、手作りのケーキが運ばれてきた。

ハネムーン中の私たちへの、結婚祝いだそうだ。笑顔のみんなに囲まれて、初めて二人でケーキ入刀をした。こんなに記憶に残る嬉しいケーキ入刀は無いだろうな。



家族を殺した隣人を赦し、ジェノサイドを乗り越えたと言われるルワンダだが、今もツチやフツというワードを発することはタブー(違法)とされるし、ジェノサイドの話にはなかなか触れられない。

クリーンで美しいと言われるこの国も、壁の向こうには隠された生活があるし、IT先進国と言われて発展している印象を受けるが、ショッピングセンターの品揃えは内陸国というのもあってか極端に少なかった。
そうやって、わずか数日ではあるが両面からルワンダという国を捉える時間を過ごし、複雑なものを複雑なまま捉え、簡単に答えを出してはいけないのだな、などと考えた。

そして、本当は自分もいろいろなことを抱えているのに、私たちを喜ばせようと笑顔で楽しくもてなしてくれたノエラさんやルワンダの女性たちの愛と強さを忘れずに、私も誰かに愛で還元していかなければいけないと思った。

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