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インカ帝国の遺跡に学ぶ、スペイン征服の歴史【ペルー🇵🇪】| 22/54ヶ国目 | 世界一周ふりかえり

★世界一周22ヶ国目、ペルー
★滞在日数:2023年2月22日〜27日(5泊6日)
★かかった金額:¥87,901/2人

南米を巡っていると、15〜17世紀のスペインの力がどれほど強大なものだったのかが窺える。

どの国のどの都市に行っても街の中心には「アルマス広場」という名の広場と教会があり、スペイン建築が立ち並ぶ街並みが存在している。
スペインは、メキシコまでの中南米大陸のほぼ全土(ポルトガル植民地となったブラジルを除く)を、全く同じ街並みに塗り替え、言語を浸透させ、完全に征服した。

ではその前の大陸はどのような姿だったのか。
それぞれの地には、元々は先住民と言われる人が独自の文化を築いて暮らしていたのだった。

その代表がインカ帝国。
マチュピチュでよく知られる、インカ文明を擁した帝国で、1200年頃に成立されたと言われている。

昨今のペルーの情勢は非常に不安定で、2023年の年始にも反政府デモが勃発し国境が閉鎖されマチュピチュも営業停止になるなど、大きな混乱があった。
同じ時期に旅した旅人でマチュピチュを諦めざるを得なかった人も多かった中、私たちは幸運なことにちょうど情勢がやや落ち着きを見せマチュピチュも再開したタイミングでペルーに入ることができた。

クスコやマチュピチュで学んだ、今もペルーに残るインカの文化の体験を振り返る。


◆世界遺産『マチュピチュ』

標高2400mの場所に存在するインカ帝国の遺跡。
1400年代〜1500年代前半に栄えたインカ帝国のひとつの都市として、1450年頃に造られたと言われる。

反り立つ崖が連なる山の上にあることから、「天空都市」とも呼ばれ、見下ろす景色は壮観だ。

1530年代、インカ帝国が全盛期を迎えていたまさにその頃、スペインがやってきて、インカ帝国は征服され、各地の街はことごとく破壊された。
しかし、これほど高い山の中に隠されるようにして存在していたこのマチュピチュの街は、スペインに見つかることなく、それから400年の時を経てほぼ完全な状態で発見されたという。
その歴史とロマンが、マチュピチュをここまで有名にしているのではないだろうか。

それにしても、これほど高く聳え立つ山の中に、どのように街がつくられたのか、不思議でならないが、訪れてみると、マチュピチュでどのように人々が暮らしていたのかを窺い知る事ができる。

山の岩を切り出し、建物の部材にしていた石切場のようなものもあれば、斜面をうまく利用した段々畑や、水路を巡らせているところなど、この場所が一つの街であったことが感じられる。

その中でもメインとなるのが、「お祈り」の場。
インカ帝国では、太陽神を崇拝しており、太陽の神殿という場所があったり、太陽の昇る方向に窓を向けた神事の場や、日時計など、太陽や自然と密接に暮らしていたことがよくわかった。

マチュピチュについては、動画で詳しく解説していて結構気に入っている動画の一つなので、気になる方は見てみてほしい。

◆インカの遺跡で見た自然信仰のあり方

インカ帝国時代の遺跡は、マチュピチュほどしっかり残っているものは少ないものの、いくつかの名残が残っている場所がある。

今回私たち夫婦の友達でクスコに移住し現地の方と結構して生活しているSuzukaちゃんと、ペルー人のKelyさんに案内してもらい、クスコ郊外の遺跡を案内してもらった。

その中で改めて、インカの人々がいかに自然を大切に生きていたのかを感じることができた。

インカの人々は太陽神崇拝を代表し自然を信仰する人々。
岩の洞窟はワカ(聖地)と呼ばれ、聖地となる場所は、首都クスコの中心にある太陽神殿コリカンチャを中心に四方八方に広がる線で結ばれる場所に位置している。
ワカに、コカの葉を三枚お供えするのがインカ流なようで、それも体験させてもらった。

お供えするコカの葉

他にも、Suzukaちゃんはお水を飲むときに、大地に数滴垂らしてから飲んでいて、それも自然に感謝をするという意味らしい。

こうして体験してみると、インカの人々の自然崇拝は、日本の神道に近しいものを感じたりもした。
自然に神が宿っているというような考え方は、私たちにとっては非常に親しみやすいものだった。

Templo de la luna(月の神殿)

◆インカ帝国の首都・クスコの街はどう変わったか

クスコはかつてインカ帝国の首都として栄えた街だ。
しかし訪れてみると一番はじめに目に飛び込んでくるのは、やはり街の中心にある「アルマス広場」と、その広場に面する大きなカテドラル。
インカ帝国の街並みはとっくになくなっていて、キリスト教の街であることを感じさせる。

クスコの街はとっても美しくて、私も大好きな街だが、
それはスペイン征服によって塗り替えられた街としてとらえることもできよう。

1533年、スペイン人のピサロによってインカ帝国最後の皇帝が処刑され、帝国は滅亡した。

驚くべきことに、スペインというのは、そこにあった神殿などを壊していき、
まさにその上に、キリスト教の教会や大聖堂を、元々あった神殿の石などを使うことによって新しく建てていった。
これはインカ帝国だけの話ではなく、グアテマラやメキシコなど、多くの場所で同じことをしている。
かつてインカのワカ(聖地)だった岩の上にも、十字架を次々とおいていったそうだ。

そして、人々はキリスト教を信仰するようになった。
今現在、ペルーの国民の80%はキリスト教徒だと言われ、もう自然信仰はほとんど残っていないそうだ。

インカ時代の岩が建物の土台に使われている。カミソリ一枚入らない石組の技術の高さがインカの遺跡の見どころ。

ペルー人の中には、征服された歴史から、今もスペインや欧州に対して良い気持ちを持っていない人もいれば、もうもはや大昔のことすぎて、そんなことは気にならないという人も当然多いと聞いた。

インカの人々は文字を持たず、伝承者も殺されてしまったため、
実はインカの文化は定かではなく伝説のようなものも多いという。

彼らが実際どんな人々でどんな国を築いていたのか、今はもうわからないことも多いが、キリスト教の建物の下に、インカ帝国時代の石積みの土台などをみることができるクスコの街では、インカの人々が確かにそこにいて、その後強国スペインの時代が到来したという歴史的事実を、この目で確かめることができる。

建造物のスタイルが融合する街の雰囲気には美しさがあり、
先住民の文化と、世界史を感じられるという意味でも、かなりお気に入りの街の一つだった。

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