死と向き合って 2年のまとめ

永遠に思えるほど長く眠っていたのに
急に肉体を得た私は
数十年生きて
また永遠の眠りにつく
こんどは叩き起されることももうない
本当の永遠

何百年も前に死んだどこかの国の誰かが
今ふと蘇ったとして
その眠っていた数百年は起きてしまえば一瞬になる
無というのは永遠で、なのに無に終わりがあるとすればそれは一瞬の出来事になる

私は生まれるまで途方もないような年月眠っていたが、生まれたときに「あ〜長かったな」とか思わなかったし

死んでいる期間が長すぎて無気力になってしまう
肉体を得た数十年で私は何を成し遂げることが出来るだろう
色んな国へ旅行に行き、目と心に焼き付けた景色とか
大好きな曲を沢山溜め込んだ耳とか
私の可愛いネイルも
数十年後には灰になっている

何百年も前に不老不死を望んで水銀を飲んだ人も
今は無の海を彷徨う
どれだけ富があろうと、特別だろうと、平等に来る

この恐怖をたったこれだけの文でまとめるのは不可能で文にしないまま怯え2年が経った

毎晩ベットで「明日もお守りください」と神に願ったって
これをいつまでやるんだろう
人間は生まれた時点で誰の命も助からないというのに
もう死にたいと思えたその日までやり続けるのだろう

生きたいと死にたいは対極であるのにどちらも苦しいものだと思った

映画タイタニックで、ジャックに賭けで負け乗船券を渡し、タイタニック号に乗らずに済んだ人のことを想う
命拾いしたと安堵し喜んだだろう
でも彼も死んだ
なんだかその事に酷く落ち込んだ
助かる命などないのだと気付いたのはそのときだった

間違いなく時間は進んでいて
私は子供から母になり祖母になり消えていく
人間のサイクル
私はただ繰り返されるサイクルのそのうちの一つ

100歳近い老婦人が、自分の25歳頃の写真を見て
「昨日のことのようだ」と語った

そうか

私のすぐ隣に、しわくちゃになった私がいるのを感じた
しわくちゃになった私は、泣いてるような笑ってるような目で見てくる
戻りたいって言うのかな、まだ皆が生きている今に
あっという間に、私の番は来てしまうのだろう

私はとことん幼い
時間の経過や死を受け入れられない
皆考えないようにしていることを毎日考える
皆が諦めていることに私は抗おうとしている
友達の結婚や出産をただ悲しいものとして見ている
時間の経過を信じたくない

死ぬことがこんなにも恐ろしいのに
悲しい未来を見るくらいなら明日にでも時を止めて
私たちをホルマリン漬けのように
ピッタリそのままにしておいて欲しいとも思う

私が死んだらある意味世界は終わる
もう見れない世界など終わったも同然である
私が死ぬとき私の手を握り咽び泣く人が居るとしても
その人もろともピシャリと世界は幕を閉じる

普通に考えたら、もちろん世界は、地球は続いていくのだが
私の世界は終わるわけで
これって間違ってないと思ったりする

今日もなんだか悲しかった
ベッドで今日も祈る
死んでもいいと思えるその日まで祈り続ける
そして今日も
当たり前に明日目が覚めると信じて身近な死へ
無意識の世界へ

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