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花火

変化に弱い人間。
極度の恒温動物である。

いつもついていけない。
置いてきぼりにされる。

あいつに会えなくなったこと。
あの企画が終わってしまったこと。


どれも悲しくてただ苦しくて。
一言で表せない。


許せることも増えた。
譲れることも増えた。
できることも増えた。


でも


無くなったこともたくさん増えた。




鮮明にどれも思い出せるわけではない。
でもあの居酒屋も合宿も無人島も
すごく大切で大事だったことは覚えてる。



みんな頑張ってるなぁと凄いと思いつつ
同じ集まりは

もうできないのだろうって
思ってしまう。

だとしたら。

それなら。



「あの時」の意味は?

何の為にあった?

誰の為にあった?

それで終わりでよかった?


「あの時」の感情は
「あの時」の人のものだけで
今の自分とはなかなか繋がらない気がする。





年々死ぬことが
怖くなくなってきている。

ビタミン自給自足の自分は
きっと死は早いだろう。


どれだけ作れるだろうか。
もうできないだろうか。
最後だろうか。

また意味がなくなるだろうか。


大好きだった。
「あの時」の日常が。


だから無くしたくなかった。
それだけ。



それだけ。


全てを伏線に。

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