水面の影を追うだけ

生来、何かを見ているようで何も見えていない人間であることに自覚がある。

先の見えない不安と恐怖に支配された人生では、
常日頃から、楽しみも悲しみも痛みも喜びも全てを切り離して、
解像度の落ちた「過去」に成り下がってからようやく味わうのが癖だ。
うすぼんやりしたその感情を噛み締めて、
少しだけ嬉しかったことにマルをつけて、
またその機会が来たら良いなとほんのり願って、
次の瞬間には忘れるような、そんな日常を繰り返している。

楽しさだとか、嬉しさだとか、そういうものを追っかけて生きるというのはひどく難しい。
あれば良いもの、でも無くたって生きていけると結論を付けてしまえば、
それを得る為に努力することは億劫で、
結局、カラカラに乾いた数字の利益に吸い寄せられて終わる。
それで良いと諦めるのは簡単だし、少しの寂しさはきっと、すぐ忘れるものだと思う。

忘れて良いんだろうか。
それだけに結論が出ないままだ。

どうしたって喉元を過ぎればその熱さを忘れてしまうから、
結果諦めているだけで、忘れたかったわけではない筈なのに、
何でかいつもこうなってしまう。

この熱さを忘れずに持ち続けられる人の視界を見てみたい。
「好き」を燃料に動ける人間の世界を知りたい。
ぬるい空気を吹き飛ばすような鮮烈な今を楽しむってどういう感覚なんだろうか。沁みる痛みも全部受け入れて楽しむってどうやるんだろうか。
心の底から知りたいと思う。
鮮やかな苦しみと鮮やかな喜びを天秤にかけて、苦しみたくないを選んだ分際でそう願うのはきっと、贅沢なんだろうけど。

今を生きる人たちの視界に映る僕は、この世界は、どう見えているのか。
きっと僕にはわからないまま死んでいく。
それでも、わからないなりに驕らず歩み寄って、
自分に見えない世界の中でも目を惹くようなひとつでありたい。

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