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激人探訪 Vol.11 GO~本物の強者は弱者を守る~

どうも皆さん、YU-TOです。

唐突だが、今回の激人探訪は自分にとって特別な回となる。

当たり前だが、この激人探訪の執筆は1回1回を大切に取り組まさせてもらっているつもりであるし、毎回、ある程度の"覚悟"を持って執筆に臨んでるつもりだ。

たかがネット記事とはいえ、その人が音楽と向き合ってきた気持ちに土足で足を踏み入れ、勝手に茶化して帰って行く事など許される事ではない。

少々大げさに聞こえるかもしれないが、もし足を踏み入れる事を決めたのなら、その人の音楽に対する気持ちや培ってきたものを、ある程度頂戴して自分の中の財産としてインプットし、そのインプットしたものを出来る限り、精一杯、正しい形で皆さんにお伝えするという"誠意"と"覚悟"を持って臨まなければならない。

今回はその"覚悟"のレベルが尋常でなく高い。

何故自分がそれほどまでの覚悟を持ってこの執筆に"挑んで"いるのかは、この記事をクリックし、今この前置きを読んでいる人達全員が分かって頂けていると思う。というか、そう思いたい。

今回のVol.11のゲストは、SUNS OWLSadsのドラマーであるGO氏だ。

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自分が14歳の時から憧れてきた"ドラムヒーロー"

エゴ丸出しの若かりし頃の自分を認めてくれて、優しくも厳しく諭してくれた"先生"

常に背中を見続けてきた音楽の"偉大な先輩"

そして、どうあがいても絶対に勝てる気がしない圧倒的強さを持った"ライバル"

その全てを兼ね備えた存在が、自分にとってのGO氏だ。

間違いなく自分の今のドラミングは、彼と出会っていなかったら無かっただろう。だが、それが具体的にどこかと聞かれたら凄く難しい。

GO氏独特のフォームや、"GO印”なフィルインなどで影響を受けてる部分は多々あるとは思うが、それはもう無意識レベルで自分の中に浸透してしまっている要素であるのだ。

自分の中で無意識レベルで指標にしてしまってるバンドやプレイヤーが存在しているというのは、ミュージシャンならば割と誰しもが共感してくれる事ではないだろうか?

その人から与えられたものが自分の"血"に入ってしまい、もう意識しなくてもその影響を受け続けてしまう、、、GO氏は自分にとってそういう存在だ。

序章 GO氏が与えてくれたもの

自分がGO氏と出会ったのは、彼が現在も講師を務めるMI JAPANの体験入学の時だ。

もう15年以上前の事になるが、未だに良く覚えている。

当時の自分は18歳。

将来の進路を専門学校に行くと決めていた自分であったが、もう言い換えたらこれはMI JAPANに行くと決めていたと言っても良い。

16歳の頃に一緒にバンドをやっていたメンバーがMI JAPANに通っており、色々と話を聞いていたというのも決め手の1つであったが、とにかく自分はドラム科の講師に、GO氏がいたことが入学を早々に決めた9割方の理由であった。

"流石に1校だけしか見学しないで入学を決めるのもな"と思い、最初はしっかりとした学校法人の音楽専門学校の方へ体験入学に行ったのだが、"えっ?デスメタルって何か速いやつ?" "ブラスト叩く奴ってみんな音軽いよな"という薄っぺらい事を講師から言われ、胸糞悪くなって帰った記憶しかない。

そんな気持ちを引きずったまま、次のMI JAPANの体験入学に行ったのだが、これが最高に楽しく、体験入学からの帰り道は少々浮き足立っていた。

自分は当時からSUNS OWLは大好きで、それこそ中学時代はコピーして練習していた程だ。

だから当日は"憧れの人にやっと会える"という気持ちが強く、少々緊張していたことも覚えている。

往年のGO氏のトレードマークであった超ロングのドレッドヘアをバッサリ切っていた事にはビックリしたが(笑)その時のGO氏との会話は凄く楽しかった。

"VADERのDOCが半端なかった"という話やSUNS OWLの活動の事、そんな話をしつつ、ツインペダルのパラディドルの練習をした事が記憶にある。

俺はお前みたいなエクストリームドラマーの弱点をいっぱい知ってるから、きっと色々な事を教えられると思う。

こんな一言をGO氏から掛けてもらったのを、何故かはっきりと昨日の事のように思い出せる。

その時、一緒に体験授業を受けていたドラム未経験の人にも、出来そうな事を親身になって教え、"出来なくて何かすいません、、"と言う一言に、"そんな事ねえよ!俺が悪いんだよ!"と返していたのも印象的だった。

入学してからは本当に色々な話をする事が出来た。

ドラムや音楽の事からプライベートな事まで、、、

現在のMI JAPANでは、講師と生徒同士が飲み会をする事は禁止されているが、当時はしょっちゅう生徒と講師のみんなで、下手すれば朝方くらいまで飲むこともあり、そこで講師の人達から言われた事を今でも何となく覚えていたりする。

そんなふうにして、GO氏と関わって行く中で教えられた事、自分が学び取っていった事はたくさんある。

しかし、それを実感するのは自分がMI JAPANを卒業してからずっと後の事であった。

別に突然それを実感するような出来事があったというわけでもないし、GO氏から教わった具体的な何かが物事の解決に役立ったというわけでもない。

だが、そのGO氏から学んだ事は、ゆっくりしたスピードだが確実に自分の中で大きな形となっていった。

その学んだ事とは、端的に言ってしまうと、人間力を鍛えていかないと何にもなれないという事だ。

音楽の知識、テクニック、、それはあって当たり前であり、それをしっかりとした自分の武器として扱える人間力が伴っていないと何の意味もないただの道具になってしまう。

"人間力"という言葉は、正直、昔は大嫌いな言葉だった。

それは薄っぺらく、ただ世渡り上手になるだけのスキルにも思えたし、存在自体が曖昧な、フワフワしたあまりにも抽象的すぎる言葉のようにも思えた。

しかし、今はこの人間力という言葉は自分の中の大きなテーマとなっている。

ネットで検索すると、この"人間力"という言葉の様々な定義が出てくるが、自分の中での人間力の定義は、"自分が他の人に分け与えられるパワー"をどれだけ持っているかだと思う。

その根本の力が無いと、音楽だけではなく、他のどの分野でも何にもなれない存在で終わってしまうだろう。

この"人間力"というパワーを存分に感じさせるのが、GO氏だ。

自分の携わる物事に150%で挑んで周りの人間を魅了し、人を巻き込む影響力。

ただ巻き込むだけではなく、最後までその人間の事を見捨てない責任感と包容力。

そんな力を持った人間が、徹底的に腕を磨き、ドラムセットに座って叩き出すビートは、とんでもなくヘヴィな芯の太さと、荒々しい質感と音楽的な丁寧さを兼ね備えた唯一無二のこの上なく極上なサウンド。

そんな圧倒的人間力とドラムテクニックが、何故GO氏には備わっているのか?

その並外れた"強さ"のルーツは何なのか?

それらをこの激人探訪 Vol.11で少しでも伝える事が出来たらと思う。

あまりにもヘヴィな40000字弱、心して読んで頂きたい。

第1章 "強さ"のルーツ

中学時代からGO氏を追いかけてる自分には1点、ずっと不思議に思っていた事があった。

最初に、ドラムマガジンで知ったGO氏がドラムを始めた年齢は12歳。

自分がドラムを始めた年齢と全く同じで、当時すごく親近感が湧き、"自分もGOさんくらいの歳になったら同じだけ上手くなれるかな?"なんて考えていたりしていたから、その情報はよく覚えている。

しかし、GO氏著の「地獄のメカニカルトレーニング」でのプロフィールには"18歳の頃から本格的にドラムをプレイし始める"とあり、2つの情報が自分の中で混在していて昔から何となく疑問に思っていた。

GO氏は一体、何歳の頃からドラムをプレイし、音楽に親しみ始めたのだろうか?

本当の最初の最初は小学校6年生、、だから12歳くらいだと思う。中学に上がるくらいの頃にトレーニングドラムセットをお年玉で買った記憶がある。きっかけは小学校5年生の時に、当時よくつるんでた友達の親戚のお兄ちゃんが大学生で軽音部に所属してて、それの発表会みたいなのに"一緒に行かない?"って誘われて行った事だったね。それで町の公民館みたいなところでそのバンドのライブを観て、"超カッコいいんですけど!!"って。曲はDeep PurpleとかRainbowのコピーだったね。それでもう、ドラムにしか目が行かなかった。エレクトーンは3歳くらいからずっと習ってたんだけど音階とかチマチマ弾いてるのが嫌で、その反動とかもあったかもしれない。

やはり、GO氏がドラムを最初に手にしたのは12歳の頃であったみたいだ。

3歳の頃から習っていたというエレクトーン教室は中学まで通っていたらしいのだが、小学校3年生くらいの頃からは、"通うフリして駄菓子屋行ってた"そうだ(笑)

しかし、SUNS OWLのインタビューなどで、エレクトーンの経験が自身の音感に影響しているといった事をGO氏が語っているのを読んだ覚えがあるし、実際GO氏はドラマーながらもメロディや音階にかなり気を配れる繊細な耳を持っていて、自身でも作曲をするミュージシャンだ。

だからこの幼少期のエレクトーンの経験は、その後のGO氏の音楽性に少なくない影響を与えたように思える。

そんな"ドラム"という存在に感銘を受けた少年時代のGO氏は、2つ上のお兄さんの影響も相まって、次第に洋楽の世界にドップリと浸かるようになってくる。

そのライブのちょっと後に、2つ上の兄貴とお金出し合ってDeep PurpleのLP買ったんだよね。それで兄貴が中学に上がった途端に急に洋楽聴き出したんだよ。当時は男3兄弟、家族5人で2部屋みたいな狭い家だったから、寝る時も勉強も常に一緒って感じで。そういう環境で、兄貴がお年玉で買ったコンポでFMの洋楽番組聴いてたり、テレビも急にベストヒットUSAとかを観出したりして、当時だったらPrinceだとかCulture Clubだとか、、そういう80年代にヒットチャートを賑わしてた音楽は常に耳に入ってきてたんだよね。

そんなお兄さんの影響で80年代の洋楽カルチャーを自然に吸収し、初めて観たバンドのライブでハードロックの洗礼を受けてドラムを始めたGO氏だが、学生時代は将来プロになる事を意識して、、という訳ではなかったらしい。

俺、高校の時バカだったからプロレスラーにもなりたかったんだよ。常に書類選考で落とされるんだけど、オーディションは常に受けようとしてて。もう返事すら来ないんだけど、一番入りたかったのは当時あったUWFって団体でね。前田日明っていうプロレスラーが反旗を翻して新日から離脱して作った新団体で、その反骨精神とかに凄い感銘を受けてたんだよ。"ショーなんか格闘技に必要ねぇ!"って猪木さんとかに凄い突っ掛かって行くのが凄いカッコ良くて。"ここでプロレスやりてぇ!"って思って、何団体か応募出してたけど、UWFには2回応募出してる。でも全く返事無かったね、、プロテストにも行けなかった。他の団体からは"プロテスト来ても良いよ"って言われたんだけど、当時は契約書に"身長185cm以上"って絶対書いてあるの。それで"うわ、全然足りねぇ、、"ってなってどうしようか悩んで。当時はバンドもやってたし、"じゃあ音楽にしようかな"って高3の時にうっすら思い初めて、テストも無いから親に甘えて入学金出してもらって音響の専門学校に行ったんだよ。

GO氏のプロフィールに"18歳の頃から本格的に始めた"と記載があるのはこの事からだったのかと、今回話を聞いてみてやっと腑に落ちた。

高校時代は"バカだったから"と語りつつも、真剣にプロレスの世界に行くことを夢見ていたGO氏であったが、これは"強さ"にこだわり続け、それを音楽で追求し続けるGO氏の重要なルーツになっているように感じる。

この"強さ"に対するこだわりはGO氏の中に未だにあり、前田日明氏やUWFから培った、"何にも屈しない反骨精神"は彼の根底に未だに息づいていて、GO氏の音楽性を形作る重要な要素の1つになっていると思う。

"プロレス"というフィールドでの"強さ"の体現は出来なかったGO氏であったが、今度は"音楽"というフィールドで、その圧倒的強さを体現していく事になる。

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