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激人探訪Vol.1 窪田道元〜歪んだ奴の味方でありたい〜

どうも皆さん、YU-TOです。

本日から新シリーズ、"激人探訪"がスタートする。このシリーズを始めた経緯や何を発信していくかは前回の記事をご参照頂ければと思う。

一応念の為ざっくりこのシリーズの趣旨を説明しておくと自分の身近な凄い人物(激人と命名)のルーツや深いところまでを探訪しようって企画となっている。

まあ"ただ人を称賛して褒めちぎるだけ"の記事とも言える(笑)

一応、記事を書く前にゲスト本人と対話(色々ご時世的な事に気を使いつつ)して取材的な事をさせて貰った。

ゲストとの話は約2時間くらいだったがあっという間に過ぎ、とても楽しかった。

引用してある部分(違う色で囲ってある言葉)はその時のゲスト本人の言葉を要約させてもらった文章となっている。

そして肝心な本日の第一回目のゲストはThousand eyes,Undead corporationで活動を共にし,AFTER ZEROにも在籍するボーカリスト、窪田道元氏だ。

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普段、彼と音楽的な話をしていると好きなアーティストやルーツとなるシーンが被る事も多く、その中でも彼の音楽に対する考え方や捉え方にある種の共感を覚える事も多かった。

ボーカリストというのは性質上、いわゆる"自己顕示欲"というものが無いと出来ないと個人的に思う。

「俺はこれが言いたいんだ!」「俺はこういう人間だ!」という強い思いを人にわかってもらいたい、もっと言うと"わからせたい"と言う欲望のようなものが無いと出来ないパートだ。

ただ近年、それを発散する場所がステージでは無く、SNSに移行してしまっているという世の中の流れがある。

音楽、ステージとは別に自分の主義主張を発信出来るプラットフォームが出て来た事により、そこで自分個人の感情や世の中の動きで感じた事を発信し、大きな反響を得ているボーカリスト達も多い。これはボーカリストだけで無く、ミュージシャン全体にも言える事だ。

自分は別にそれが悪い事だとは思わない。自分の本心から出た事であれば発言した責任さえ取れれば別に何を発信しようがそれは個人の勝手だ。

だが、道元氏は頑なにそのような発信を拒む。

それは道元氏の中に主義主張が無いという訳でも無いし、自己顕示欲が無いという訳でも無い。寧ろ彼は人一倍に主義主張も自己顕示欲も溢れんばかりの"HATE"も持っている(笑)

ただ道元氏はSNSというプラットフォームでは無く、音楽を使い、ステージで発信をしなければならないという強いこだわりがある。

何かね、"うるせーよ"って思っちゃう。誰、お前?っていう。ちょっと芸能人ぶってる奴が多過ぎると思う。薄ーく政治に噛み付いてみたりとかね。発信する事はいい事だと思うよ。ただ、ご意見番気取りで"バンドやってるのが何か偉い"みたいに勘違いしてる奴多いと思う。たださ、バンドって好きでやってんじゃん。根本ってそこじゃ無いから。

彼はSNSという場所で悶々と溜まった鬱憤や恨み辛みを発散させるのでは無く、だったらそれを溜め込み、自分の中で熟成させ、音楽としてそれらを発散させた方が良いと考える。

ただね、たまーに酔っ払ってると俺もそういう事SNSで書いちゃうの(笑)それでクソほど飲んで寝て起きたら500いいねとか付いちゃったりとかね(笑)もう嬉しいとか全く無い。ただただ恥ずかしい(笑)

彼はそんな風に語るが実はこれはすごい事である。

実際に自分も彼のそのような発信を目にしたことはあるが、酔っ払ってるとはいえ(笑)どこか真に迫ったような内容で圧倒的な共感性や示唆を生む要素があるというのも頷ける。ある種の"影響力がある言葉"だと思う。

だからこの企画を思いついた時に誰を最初に取材するか考えた際、真っ先に浮かんだのが道元氏である。

この彼の持つ圧倒的な" Attitude"(姿勢)の部分にフォーカスし、そこにプラスして真近に彼を感じて来た自分自身の解釈を書く事により、より一層 "窪田道元"というメタルボーカリストを探訪出来ると思ったからだ。

そしてその"Attitude"を世の中に発信する事が出来れば、何かシーンに面白い貢献が出来るのでは無いかという思いがあってこの記事を書いている。

彼が発信しない分、ここでは思う存分"窪田道元"という"人間"を発信していこうと思う。

前置きが長くなりましたがお時間ありましたらぜひ読んでみて頂きたい。

第1章 意外なルーツ

まずは道元氏の持つ音楽的ルーツを探ろうと思っていたのだが彼の音楽の趣味は実はかなり広い。

彼と音楽の話をしているとTRF、globe、小室哲哉、米米CLUBなど普段の彼からは想像もつかない意外と思えるアーティストの名前が出てくる。

学校の校内放送ってあったじゃん?その次元。中学とかの時は単純に"良い曲"っていうのが判断基準だったね。"良い曲"か"悪い曲"かみたいな。

彼が中学時代を過ごした90年代は今よりもっと音楽シーンというものが盛り上がっていたというか、"CDが200万枚売れる"なんていう事が当たり前にある言ってしまえば"バブル"な時代だった。

情報の選択肢もおそらく今の1/100にも満たないくらいしか無かったように思うから音楽に興味を持ち始めるキッカケとなるアーティストは殆ど誰もが同じだったと言って良いかもしれない。道元氏もその一人だった。

そんな彼がいわゆるロックなどの"激しい音"を聴き始めるきっかけは何だったのだろうか?

最初は絶対に氷室京介。今だに忘れてないんだけど中一の頃、俺のglobeのCDと友達の氷室のCDを交換したんだよ。それで帰って家で1曲目の「Angel」を聴いた時に"えっ?!"って。ギターの歪みもドラムもデカくて今まで聴いた事が無い音だった。男が歌う格好良さに惹かれた初めての経験だったな。だから"カッコイイ音楽"っていうものに目覚めたのは多分、氷室京介が一番最初。

当時の氷室京介や彼の在籍していたBOOWYの影響力は凄まじいもので、今だに伝説として語り継がれている程である。

昔、"バンドやろうぜ"という雑誌でBOOWYの特集を読んだ事があったのだがBOOWYが現れてからバンドを志す若者がとてつもなく急増したという内容があった。

道元氏はBOOWYでは無く、<氷室京介>とソロ名義で活動を初めてからの音楽に心を打たれた訳だがここへきてもなお幅広い層に影響を与え続ける氷室京介というアーティストのカリスマ性にも驚くべきものがある。

その氷室京介に心打たれた道元氏はそこから如何にして"メタル"という過激な音楽に目覚めたのだろうか?

まあそこからは本当に皆さんが歩む道というか、XLUNA SEABUCK-TICK、、みたいなド定番を音楽友達の間で周してってという感じ。それでその頃背伸びして古本屋の中古洋楽CDコーナーとか見るようになってたんだけどそこでMEGADETHの破滅へのカウントダウン(Countdown to Extinction)を見つけて。当時俺、XのJealousyのジャケのちょっと気持ち悪いというか異質な感じに惹かれてたんだけどそれに近いものを感じたんだよ。それでまあ500円だし買うかーって買って聴いてみたんだけど"うわ!すげ!"って。曲によっては"これXよりも速いんじゃね?"って思ったりして(笑)そこまで強い衝撃ってわけじゃなかったけどビックリはした。そこからメタルに興味が出て来て友達とかから教えてもらってSLAYERとかMETALLICAとかを聴き漁って今に至る感じかな。

ここで出てくるMEGADETHの"破滅へのカウンドダウン"のジャケットは確かに目を惹かれるものがある。

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独房のような場所でガリガリの人間がまるでこれから天に召されるかのように宙に浮く姿を描いたジャケは否応無く"死"を連想させる。

自分自身は子供の頃からこのようないわゆる"一般的な人達には眉をひそめられる"ようなものに惹かれる傾向がある。

グロテスクな表現や暴力的な表現にある種の芸術性や美しさを感じる事があるのだ。(注:あくまでも表現である事が必須)

昔、"美人というのは実はバランスが偏った異形"という言葉を耳にした事がある。一般的では無い異形であるからこそ他には無い魅力が出るというものだ。

それと同じような事をメタルという音楽に感じている。現に最初に自分がメタルという音楽に惹かれた要因はジャケットのグロテスクや不穏さといったものである事も大きかった。

恐らく道元氏もこのCDを手に取った時に同じような気持ちだったのではないだろうか?

そして道元氏が買ったこのCDは彼が買った初めての"メタルのCD"でもあり、同時に"洋楽のCD"でもある。だから必然的に道元氏の音楽趣向が海を越えたのはメタルがきっかけという事になる。

このような形で道元氏は洋楽、メタルにハマって行ったのだが彼の音楽的ルーツのキーワードは"90年代"という事だと思う。

この年代に出て来た音楽は何故か今聴いても洗練された独自のサウンドである事が多い。そして当時はまだ娯楽の選択肢が今よりかなり少ない時代だったので音楽というものが非常に刺激的な娯楽になり得た。

だからこそ音楽の持つ影響力が今とは随分違うものだったのだろうと思う。彼も名前を挙げているXのhideが亡くなった際も多くの後追い自殺者が現れたという事柄からバンドや音楽の人の心への浸透力は90年代はかなり高かったのだろう。

そんな90年代の音楽的背景がメタルボーカリスト窪田道元を形成する重要な要素となっているように思う。

第2章 バンド結成、そして"NU METAL"との出会い

10代という多感な時期に強烈なメタルというものに出会ってしまうと形は人それぞれにせよ恐らく誰もが"一生の付き合い"になってしまうのでは無いだろうか?

そして人によってはその衝動を"聴く"という事だけに抑えられず、自らが表現する立場になろうとする。自分自身もそうだった。それは道元氏も同じだったのではと思う。

ただ、道元氏のミュージシャンとしての第一歩は実はベーシストとして歩み始めたのだった。

13歳位の時かな?GLAYのコピバンをやろうみたいな話が仲間内で出てて。ボーカルもドラムもいてギターも競争率高かったから何となくベースになって。特別やりたいって気持ちも無かったんだけど何となく楽(ラク)そうだなとも思って 笑

始めたきっかけは割と良くありがちなみんながあまり演りたがらない"余り物楽器"的な流れだが(笑) 実はベーシストに惹かれていた部分もあったと言う。

俺ね、BOOWYのベースの松井常松とかがカッコ良く見えたのよ。氷室と布袋がワーッってやってる中でずーっと後ろで刻んでる姿が渋くて逆にカッコいい!みたいなね。俺、食いもんとかでも渋い方が好きなの(笑)まあ、、、"性癖"みたいなもんだね 笑 あとGLAYとかでも俺はJIROが好きだった。

実際、彼はドラムを含めたバンドの屋台骨に対してのこだわりも強く、会話をしている中で「ドラム良く聴いてるなーっ」と思わせられる事も多い。理屈的なところは分からずともビート感やフレーズのニュアンスを掴む感覚が人一倍あるように思う。

それはやはりリズム隊を通過した経験からくるものなのだろうなと今回改めて考えさせられた。

しかし何故彼はそこから"ボーカリスト"という言ってしまえば"真逆"なポジションに移行したのだろうか?

高校の頃がもうNU METAL全盛期で俺もめちゃくちゃハマってて。俺が文化祭でLimp BizkitTake a look aroundをどうしてもやりたいってなったんだけど当時のボーカルが英語もラップも出来なくて"お前歌えよ"ってなってさ。じゃあ"俺やるよ"ってなった。

このような経緯が後に彼がボーカリストを志すきっかけになったのだがここで自分が以前から気になっていたのは道元氏が受けたNU METALからの影響だ。

NU METAL(ニューメタル)は90年代後半〜00年代初頭辺りにシーンを席巻した音楽スタイルで、ラップとメタルミュージックを掛け合わせ、ミドルテンポで跳ねるような曲調が主体のサウンドが特徴で、ラップメタルなどと呼ばれる事もある。

00年代はもはや"トレンド"と言われるくらいに世間にはNU METALバンドが溢れており、一部の"TRUE"なメタルバンドからは反感買う程だった。

正直、"TRUE"なメタルのイメージがある道元氏からはあまり想像が付かないが、NU METALが彼に与えた影響は大きいと言う。

影響はかなりあるね。一番入れ込んだのはOne minute silenceかな。特に1stと2ndは超聴いた。あとLostprophetsの1stとかも当時はNU METALの貴公子みたいな感じで自分は好きだったな。あとNU METALでは無いけど近いところで言ったらFear factory。これはマスト。

と言う形でその時代の粋で旬なバンドを聴いていたという印象だ。

彼が最も入れ込んだというOne minute silenceはイギリスのNU METALバンドで2003年に活動停止しているが、2001年に横浜アリーナで開催されたBeast feastというフェスでの来日経験もある。

ボーカルはラップというよりはまるで念仏を唱えるような独特のスタイルで、ギターも怪しげな中東的メロディを奏でるなど独自な音楽性を持ったバンドだった。

ライブパフォーマンスも全員で暴れ狂うようなクールなもので一度は生で観たかったバンドである。

NU METALのバンドの多くはリズムの縦のラインをガチっとさせてヘヴィ感を構築させていく音楽で、今聴くと音源のベースサウンドがかなりの音量バランスでミキシングされている事がわかる。

当時ベーシストだった道元氏はそんなところに感化されてNU METALを聴いていたのかもしれない。

また、特にUndead corporationで顕著なのだが彼が時折入れてくる譜割の細かいボーカルラインはNU METALからの影響を確かに感じさせる。

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彼の持つ"TRUE"なメタルボーカルスタイルにどこかモダンな質感を感じるのはこのルーツから来たように思う。

第3章 Tim Williamsから受けた計り知れない影響

彼を語る上で必ず触れておかなければならない人物がいる。

それはVision of disorderTim Williamsだ。

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道元氏はこのTimの事をPANTERAphilip anselmoと共に"自分の二代巨塔"と称し、常々影響を語ることがある。彼の中の目指すべきボーカリスト像が詰まった人物と言える。

実は、道元氏と出会う前に自分は彼がTimから影響を受けている事は知っていた。

自分がUndead corporationに加入する経緯は人からの紹介であり、当初メンバーの事を全く知らなかったので少しバンドの事を知っておこうと彼らのインタビュー記事をネットで探して読んでいた。その中で道元氏がphilipとTimを"自分の二代巨塔"と話している内容を読んだのだ。

その時、「ああ、この人は自分と合うな」と感じた。

それは単純に自分もこの2人こそが"メタルボーカリスト"としてのあるべき姿だと思うし、自分のカッコいいと思うスクリームの典型であったからだ。

そして自分はどちらかと言うとTim Williamsの名前を挙げているということにグッと来た。

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Philip Anselmoに関してはもはやメタルボーカリストの9.5割くらいは尊敬している(道元氏談 笑)だろうし、もはや彼の"コピー"とも言えるメタルボーカリストは世界に沢山いるだろう。

ただ、Tim Williamsに至っては彼のような声質や雰囲気を持ち合わせたボーカリストは殆どというかほぼ全く観た事が無い。

Vision of disorder活動停止後に彼の結成したBloodsimpleというバンドの音源が2006年にリリースされたのだがとにかくボーカルが余りにもカッコよくて当時かなりぶっ飛ばされた事を覚えている。

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どちらかといえば高音のシャウトに近い声質なのだが線の細い叫びではなく、男臭く野太い声質でセンス抜群なボーカルラインを叫び散らかす様は今聴いても理屈抜きにカッコ良い。

当時、一緒に組んでいたボーカリストに「お前!こういう声出せよ!」という無茶な要求を何度もしていたくらいだった(笑)

そんなTim Williamsに道元氏はどのような思いを持ち、影響を受けているのだろうか?

もうシンプルにスクリームとしてめちゃくちゃ上手い。色々コントロールも出来てるし。あと単純に"激情"っていうか、結局"叫ばなけらばならない"っていう理由が無いとスクリームって刺さらないと思ってるんだけどTimって当時キレまくってたから、、笑 やっぱ刺さるよね。あとはSouthboundって曲のMVで上半身裸でサビになったらマイクスタンドぶっ倒して歌う姿にノックアウトされたよねー。ホントにスクリームの歪ませ方とか、、多分考えてやって無いんだけど断トツだと思う。

このように道元氏はTimからの影響を語っているが、自分もこれと同じような事を感じている。

道元氏はよくスクリームを使うボーカリストは "スクリームせざるを得ない何か"を持っていないとダメだという事を話している。

Timのスクリームは否応無しにその"何か"を感じさせるしそれは道元氏にも然りなのだがこればかりは理屈では語れない側面を持つ。

心を動かす強い感情は言葉には出来ないもので、何で叫んでるのかはわからないがとにかく吐き出して表現したい"何か"があるという方が具体的に"〜について叫んでる(歌ってる)"と言われるより逆に説得力があるように感じる。

道元氏とTimのスクリームの共通点はメタルやハードコアを聴く人、観る人ならば瞬時に"これはヤバイ"と感じ取れるという点だろう。

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また、道元氏はTimの佇まいやステージでの観え方といったポイントでの影響も語る。

なんか"あの頃のHC感"っていうかね、、何か自由じゃん? 様式美に固まってはいるんだけど自由にやってる感じのパフォーマンスが良いなって。あとlamb of godとかAt the gatesとか鋼鉄な他メンバー中で"ボーカルだけがPunk attitude"みたいなちょっと浮いてるバンドが好きなの。そこのイメージにTimがハマるのかな。

確かにボーカルが1人浮いているというのは見方を変えればカリスマ性があるという事であり、それはバンドの顔であるボーカリストにとって最大の強みとも言える。

余りにもイメージとかけ離れてるのはどうかと思うが、ボーカリストはいい意味で異端な存在であって欲しいし何だかんだでステージで一番目立つ存在であって欲しい。

実際、道元氏はThousand eyesでの自分をそういう"少し浮いた存在"として捉えてると語っていた。そこに自分とTimのイメージを掛け合わせているのだと思う。

それは決してコピーやモノマネという類のものではなく、リスペクトを込めた"自分のあるべき姿のイメージ"であり彼のボーカリストとしての指標でもある。

道元氏にはこのTimのスタイルを今後も継承していって欲しいと思う。

そして、それが出来るのは彼しかいないとも思っている。

第4章 スクリームの教示と感じる危惧感

2018年の3月、道元氏は新宿DUESにてボーカルセミナーを行なっている。

国内でスクリームを主としたボーカリストがセミナーを行うというのはかなり異例な事であり、シーンではかなり話題になっていたと思う。

初回人数枠のチケットは速攻で売り切れ、急遽枠を増やしたが、その枠もすぐに埋まってしまった。

それだけ日本にはスクリームボーカリストを志す人が多く、スクリームボーカルシーンにおいての道元氏の求心力を証明させるトピックにもなったと思う。

自分も当日セミナーを覗きに行ったが若い層の人が多く、中には女性の姿もあった。内容はスクリームの種類やその発展と歴史、彼に影響を与えたスクリームの声質などを実践を交えながらレクチャーしていくというもので、特にスクリームボーカリストを志さない自分でも楽しかった。

セミナー後、今後も個人レッスンやセミナーで後進への教示を考えてると話していたが、またあのような機会を作る事を道元氏はどう考えているのだろうか?

セミナーはまたやりたいな。ただ個人で教えるってなると、、例えば色々な声を勉強したい、味付けで出したいって言うのだったら俺は教えられないから。結局、"激情に突き動かされる"って根本の気持ちが無いとダメで、個人レッスンでちょっと技術的な事を教えて「道元さんに教えてもらいました」っていうのは本当に教えたい事が伝わってるのかな?って思っちゃってね。だから個人でのレッスンとかは厳しいかな。セミナーでスクリームの歴史とか自分のAttitude話すのは良いと思うけどね。まあ毎月やっても話す事なくなるけど 笑

道元氏の教えたい事は技術ではなく気持ちである。セミナーでも話していたのだがスクリームというのは"叫びたい状況と心の状態"を根源にして出すのであって決して"突飛な声を出したい"という根源から来てはダメだと。

確かに、ただ人間離れした突飛な声を出したいという奇をてらった理由のスクリームは全く音楽的でないし、正直言って何も伝わってこない。

この音にはどのスクリームが必要なのか?自分自身にしか出せないスクリームは何なのかという事を熟考し、己の内と対峙して叫ばなければ誰の心も突き動かせない。

奇をてらったスクリームは即効性があり、凄い事をやっているように見えてしまう事も往々にしてあるが、それはただ単に"面白い"という軽いエンタメ的なものであり、本来のメタルやハードコアの持つ人の心を突き動かせる類のものではないと思う。

セミナーでも披露していたが道元氏はガテラル、グロウル、下水道ボイスといった呼称で呼ばれる響きが強烈で派手なスクリームも出せる。

ただ彼は普段それを一切使わない。

単純な好奇心で出せるようになってみたけど俺がやる理由がないから捨てた。俺のスクリームを評価してくれるのは嬉しいけど"ここでグロウルを使ってるからカッコいい"みたいな訳わからない評価はされたくない。曲に必要だったらやるかもだけど今なんかガテラルとかって飛び道具的になっちゃってるじゃん?それを持て栄す雰囲気が単純に好きじゃない。

ガテラルボイスやグロウルなどのスクリームスタイルは元々はブルータルデスメタルという枠の中のTXDM(テキサスデスメタル)やスラミングデスメタルと呼ばれているアンダーグラウンドな音楽から来たものである。

そのガテラルボイスだが今や現代的な女性アイドルグループが曲中でバンバンに使っていたりする。

元々ブルータルデスメタル界隈にいた自分にとっては信じられない事だ。

しかし、決してそのスタイルが悪い訳ではない。どんな形であれ新しいスタイルというものはどんどん提示していくべきだし(もうアイドルがデスボ!的なのは量産になってる気がするが 苦笑)そこから1つの時代が形成されていく事もある。

ただ道元氏が危惧するポイントはガテラルやグロウルというスクリームのスタイルが只のギャップを生み出す道具として使われてしまう実状だ。

デスメタルとかって絶対にどっか"マイノリティー志向"的なとこあるじゃない?それこそガテラルとかグロウルなんてBrodequinとかDevourmentとかがやってた事でさ。何かオーバーグラウンドでそういう事やってもなーってちょっと思っちゃうんだよ。"あれはそっとしておいた方がいいんじゃない?"って 笑

元々アンダーグラウンドでやっていたような事をオーバーグラウンドに押し上げるという事に関してで言えば自分は大好きだ。

本種本流なところをしっかり守り、それがどうやったら多くの人に伝わるか?という事を研究しての結果であったのならばそれは尊敬されて然るべきだと思う。

ただそのアンダーグラウンドの要素を拝借し、研究も熟考も無しにただ適当に塗りたくっただけのサウンドはお世辞にも尊敬出来るものではない。

何かね、凄い中途半端なんだよ。すげー美味い醤油ラーメンに大量のラー油ぶっ掛けちゃうみたいな(笑)"いやこれはこれで良くないっすか?!"って、、、"いやそのまま食えやっ!"みたいなね 笑

こんな風に道元氏は大好きなラーメンに例えていたがこれは言い得て妙だと思う。

本当の意味で醤油ラーメンと大量のラー油を融合させた新しいラーメンを作りたいのだったら既に出来上がっている醤油ラーメンにかけるのではなく、根本のスープを作る段階から配合などをしっかりと考えて0からその"ラー油ラーメン"を作った方が時間は掛かるが確実に美味しいラーメンが出来るのではないかと素人ながら思う。

単純な飛び道具やオモチャ的にガテラルやグロウル、スクリームボーカルを使うのであったらそのサウンドは本当の意味での"オモチャ"にしかならない。

本気で人を動かすスクリームを出したいのなら先人へのリスペクトと己の根源に向き合う真摯な姿勢を持てと道元氏は常に言っている。

第5章 道元氏の詞世界

道元氏は歌詞については本人から何かを語る事はインタビューで聞かれたりした時以外はあまりない。

自分自身も歌詞無く適当に叫んでいる訳では無いのは分かっていたが道元氏が普段どんな歌詞を叫んでいるのかをそこまでわからなかったりする。

今回は今まで自分は触れてこなかった作詞的なことについても聞いてみた。

Thousand eyesに関してはKoutaからこんな歌詞書いてくれっていうイメージを貰ってそれを自分なりに解釈して書いてるかな。一応取り決めとしては政治的な内容はちょっと説教臭いからって事で無しにしてる。そういうのより想像力を掻き立てるような歌詞にしたいんだよね。例えばBloody empireとかは俺がパッと"Bloody empireって最高にカッコいい響きだな!"って思ってそれに合わせて歌詞書いたし、Last rebellionとかも名前だけ先にあってそこに合わせてった感じだったね。

というような形でThousand eyesの歌詞は基本的に"曲名"があり、そこに合わせて書かれる事が多いとの事だった。

メタルというジャンルは"カッコイイ曲名"というのも結構大事だったりする。

考えてみれば中学生くらいの時は色々なメタルバンドのカッコいい響きの曲名やアルバムタイトルの意味が知りたくて辞書を引いてみたり、CDの対訳を読んでみたりした事があった。

Thousand eyesの歌詞の書き方はそんなメタルヘッズならではの体験から来ているのかもしれない。

その曲名からのイマジネーションで書かれた歌詞は具体的にどのような内容なのだろうか?

まあ、基本は"憎しみ"とかになっちゃうよね(笑)別に読み取って欲しいメッセージとかは無くて基本暗い感じ。Thousand eyesの1stに入ってるDivided Worldって曲の歌詞でLife is pain.Pain is lifeって言葉があるんだけどそれはモロに自分の人生観が出てるかなと思う、、、ドM的な(笑) Undead corporationは基本、朱美が全部書いてるから分からないけどAFTERZEROに関してはもっとHATE感のある歌詞だったり、"ヘヴィメタル賛歌"みたいな歌詞もあったりとかで結構好きに色々書いてる。

特に道元氏は歌詞に関してのメッセージ的こだわりは無く、曲やカッコイイ響きの言葉にイメージを合わせたり、とりあえず書きたい事を存分に書いたりと自由に作詞に取り組んでいる印象があった。

それはかなり"メタル的"でもあると感じた。

メタルという音楽はどちらかというと歌詞のメッセージ性よりも抽象的なイメージだったり、楽曲の綿密さや様式美に重点を置く音楽という印象がある。

それはどうしてもメタルという音楽が"内容の無い音楽"と揶揄されてしまうといった事の原因になっていると思う。

ポップスは共感性の高いわかりやすい歌詞にこだわるし、パンクやハードコアは歌詞のメッセージ性や社会問題に対する示唆のようなものが求められるという印象がある。それと比べてメタルという音楽の歌詞は特にこれといった主張や伝えたい事は無く(全てでは無いが)、かといってわかりやすく、共感を呼ぶものでも無い。

でもそれで良いのだと思う。

メタルという音楽はイメージやロマンを持って個人個人が好きなように解釈して聴く音楽であると思う。

特に何か伝えたい事がある訳では無いが、その人の内側から出てくる"生きた言葉"を聴いて自分の中で咀嚼し、書いた本人からのものでは無いかもしれないがその歌詞に自分なりのメッセージを感じ取っても良いのだ。

そんな事を道元氏の話を聞いて思った。

第6章 メタルボーカリストとはどうあるべきか?

ここまで色々と道元氏の話を聞いてみたが、彼の思う"メタルボーカリストのあるべき姿"とはどういうものなのか?

メタルボーカルというものを志す人達はどのような意識や心構えを持つべきなのか?

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カリスマ性然り,親しみやすさ然りどっちでも良いんだけど絶対に頼れる存在じゃなきゃダメだと思う。結局、何かヒョロヒョロした奴が"おいお前ら!前来いよ!"とか煽ったところで誰も前来ないじゃん。変にドラマティックにする必要も無いしライブなんてどうせ人間性が1発でバレるんだから偽るのも良く無いと思うけどね。

もちろんバンドというものは全プレイヤーが頼れる存在で無くてはならない。

しかしボーカリストは絶対的なバンドの顔である為、そんな存在がオドオドしていてはバンドの魅力が台無しになってしまうのはどんな人でも理解出来るだろう。

道元氏とステージを共にしていて思うのだが彼は全く緊張しない。

緊張しないというよりは普段と全く変わらない

会場入りした時からライブ開始直前、そしてライブ中もライブ後の打ち上げなどでも一貫して同じようなテンション感なのである。

自分などライブ直前は緊張感MAXで落ち着きがなくなるのだが、、、(笑)

彼はどんな事を意識してステージに臨んでるのだろうか?

俺の中で自分に無いものってもう"演劇"をするしかないと思ってて。だから演劇をするならMCなんかしないで世界観MAXで演れば良いと思う。でも俺はそれが出来なかった。だから自分をそのまま出してライブする事にしたんだけど、、そしたらMCでモロに自分が出てつまらなかったんだよ。昔は結構MCでスベってたな、、、まあ今でもスベってるけど(笑)

こんな風に彼は話していたがそこまで彼のMCでボロがでた所は見た事がない。むしろ変な間や妙な気まずさの無い、かなりレベルが高いMCだとも思う。どうやってその自分にとって壁となったMCを克服したのだろうか?

もうプライベートからメタルボーカリスト的な生き方をする方に舵を取った感じかな。結構メタルボーカリストってクレイジーな生き方をしてたりするじゃない?(笑)PANTERAのビデオみたいなね。あれを観て育ったからクレイジーな事ってカッコイイって思っちゃう訳よ。だから普段からぶっ倒れるまで酒飲んだりとかちょっと人が行かないような場所行ってみたりしてあまりマトモな人間がやらなそうなことをしてる(笑)やっぱり俺達はロックをやってるわけで常識的である事は大事だけどどっかでタガは外さないと。お客さんだって課長の朝礼聞きに来てる訳じゃないんだから(笑)言ってしえばお客さんのタガを外して先導してはっちゃけさせるのがメタルボーカリストの仕事だと思うよ

この普段からタガを外し、普通ならやらない事をするといった事は実は誰でも出来る事では無い。

むしろ自分も含めた日本人という人種が一番苦手な事なのでは無いだろうか?

真面目である事はいい事だとも思うし、その真面目さを音楽をやる上での強みにする事は可能だ。しかし楽器をプレイする、音楽で人に何かを伝えるという事をする為にはある程度の"人生経験"のようなものが必要だとも思う。

それは誰かを傷付けたりするもので無ければ決して褒められたもので無くてもいいし、恥ずかしかったりするものでも良い。

表現者としてステージに立つにはそのような経験に率先して足を踏み入れる好奇心やある種の勇気のようなものが必要だとも思う。

また道元氏は"自分を信じきる力"の重要さについても語っていた。

"今俺カッケーっ!"てのを淀みなく自分にMAX BET(最大に賭ける)出来る人間じゃなきゃね。だってRob Halfordなんてあのキャラに自分で自分にMAX BETでしょ?(笑)だからカッコいいんじゃん。前に観たSons of texasとかもう5曲目くらいでめちゃくちゃ声枯れてるんだけど本当に全力でパフォーマンスしててめちゃくちゃカッコよかったのよ。上手く歌えるのはいい事なんだけど"その日のライブをこなす"って姿勢でやるよりも"下手でも自分カッケー!"ってMAX BETして全力投球した方がいい。

謙虚である事は大事だ。しかし、自分を信じて時には謙虚さをかなぐり捨てる事はもっと大事だと思う。

彼の言うMAX BETでやった上での失敗や苦い経験は今後の自分への糧になるが、それを避けて小さくまとまった事しか出来ないようになってくるのはミュージシャンとして果たしてどうなのだろうか?

もしメタルボーカリストとしてステージに立つというのならば自分の強みをいち早く見つけ、そこに疑いを持たずに自分で自分にMAX BET出来る人間になる事がカッコいいメタルボーカリストになる最短の近道かもしれない。


第7章 ドラマーに求めるもの

道元氏はドラマー好きでもある。世間で話題のドラマーにはハッキリ言ってドラマーである自分より詳しいし、普段から色々なドラム動画をチェックしていたりする。

そんな道元氏がドラマーに求めるものは何なのだろうか?

ロックの一番下。俺達はドラムの手の平の上で踊ってるようなものだから。特にボーカルなんて一番そうじゃん?だからそこのボトムエンドを大切にしてほしいっていうのが一番デカイかなー。

「手の平で踊る」という表現は"バンドのドラムの立ち位置"に対してかなり的確な例えなように思う。

2バスを使った派手なフレージングなどの目立つ要素が必要なメタルというジャンルでも根本にあるロックドラミングを忘れずにボトムエンドを支えるのはメタルドラマーとして最重要と言っていいポイントだ。

派手なフレーズとかやってドラマーとして認められたいのならソロでやれば良いわけでさ。バンドとして演るんだったらまず絶対的にボトムなんだよ。別に派手な技をしても良いんだけどそれを演ってもバンドの屋台骨になるようなドラマーがベストかなー。もっと言うなら屋台骨を支える自分に酔えるような奴が良いかな。"俺目立てないんだけど?"じゃなくて。やっぱ絶対に観てる人は観てるから。

このような道元氏のバンドサウンドのボトムに対する意識はやはりベーシストを経験したというところから来ていると思う。

実際に自分でリズム隊を経験しなければこのようなサウンドのボトムへの価値観と美学は中々持てるものではない。そしてリズム隊の価値観を持ち合わせたボーカリストというのはかなり希少な存在とも言える。

俺とかみたいなピンのボーカリストは立ち位置的にドラムを隠しちゃうけど逆に俺の事観てねーでドラム観てる人なんて死ぬ程いると思う(笑)こないだSepultura観に行った時も結局、何が一番印象に残ってるかってEloy Casagrandeだからね(笑)ボーカルも凄かったけどやっぱ強烈だったのはEloyだった。俺、ベースでレッチリ(Red hot chili peppers)のコピバンずっとやってたからそこでドラムの大切さもよくわかったかな。

ドラムはバンドサウンドの一番下に位置し、ボーカルは一番上に位置する。時にボーカリストは"目立つ"という事に意識を向けすぎてボトムの大切さを忘れてしまいがちなように思う。

もちろんそんなもの意識しないでボーカリストには思う存分暴れ回ってもらいたいという気持ちもあるが、大切さを理解した上で暴れ回るのと理解なしに暴れ回るのとでは質が全く異なるものになってくる。

やはりサウンドのボトムへの理解とリスペクトがあるボーカリストと演奏する方がこちらも安心感があるし、何よりもバンドサウンドが飛躍的に向上するだろう。

どの分野のボーカリストにもボトムの大切さは理解して欲しいものである。

第8章 "FUN(オーディエンス)とFUN(楽しむ)"の精神

以前、道元氏がSuffocationを観に行った際、ボーカルのFrank Mullenがとにかく楽しそうだったと話していて、そこに彼はロックやメタルの理想像を感じていたらしいのだがそこについても話して貰った。

俺達は常にメタルヘッズであるべきだと思うんだよ。目線はファンと一緒であるべきだと思う。ファンを下に見ちゃ終わりだと思うよ。その時点でそいつはメタルヘッズではないしメタルボーカリストでも無い。ライブもやっぱりファンと一緒に楽しむべきなんだよ。Frankを観てて同じボーカリストとしてもいちファンとしてもそんな様な事を感じた。

規模感が変わってくると急にファンと距離を取ろうとするバンドもいる。それはある種仕方のない事でもあるし、バンド側の意向に反するが諸々の諸事情でそうせざるを得ない現状という場合もあるだろう。

ただ道元氏は常にファン(メタルヘッズ)の精神を忘れたくないという。

結構すぐにお高くとまっちゃう人らもいるじゃない?それが俺の中で超ダサい。自分がファンだった時代を思い出してみ?って。自分自身がメタルヘッズだったら絶対に同じメタルヘッズであるファンの事は忘れないしだからこそ対等に話せると思うんだよ。それが出来るからこそ出てくる説得力もあると思う。アンダーグラウンドな考え方かもしれないけど。

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バンドとファンを無理に二分割するのではなく、同じ立場で同じ事を楽しむ。それが道元氏のライブのあり方であり、ボーカリストとしてのAttitudeなのだと思う。

道元氏の中ではエクストリームな音楽を演奏する人間とエクストリームな音楽を聴きに来る人間という二分割の認識はない。

自分もお客さんも同じエクストリームな音楽のファンであり、自分は演奏して楽しみ、お客さんはそれを聴いて楽しむ。どっちが上という事はなく、感じてる事は皆同じ"FUN(楽しい)"という事だけだ。

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本気で不機嫌になりながらパフォーマンスしてもお客さんがそれにビビりながらも"うわーかっけー!"ってなるのは一部のカリスマだけだと思うよ。結局、俺もお前も同じエクストリームな人間何だから一緒に楽しくやろうぜって気持ちでいつも演ってる。

このような常に気取らず、ファン目線を忘れないのも道元氏にとってなくてはならない要素の1つだ。

過剰にカリスマ性や異端性を演出し、バンド側とファン側を分断しようとする行動は場合によっては宗教的になり過ぎ、良からぬ偶像を生み出す危険性もある。

敷居を下げ過ぎるのは良くないが、演者とお客で立場は違えど、同じ目線で一緒に楽しむといったぐらいの敷居の方がメタルボーカリスト然としていて良いと思う。

道元氏にはこれからもこのAttitudeを貫いてもらいたい。

第9章 メロディを歌う事について

スクリームとクリーンボイスの両方を操れるボーカリストは世の中にたくさんいる。

中にはR&Bシンガーにも匹敵するくらいの歌唱力を持ったボーカリストもいるが道元氏は頑なにクリーンボイスを使おうとはしない。

例えばリハーサルなどでは喉鳴らし程度にメロディを歌ったりする事はあるし声量もあるのでクリーンボイスに全く対応出来ない訳では無いと思うのだが本人は何故クリーンボイスで歌う事を拒むのか?

何かね、歌ってる俺を自分自身がカッコいいと思えないの(笑)そういうボーカルは好きなんだけど自分でやるのは何か恥ずかしいんだよね。俺、みんなが思ってる以上に捻くれてるから(笑)半端にやるんだったらハゲ頭に汗を散らしながらギャーギャー叫んでる自分の方が俺はカッコいいと思ってる。

言ってしまえば第3章で触れたTimもクリーンで歌うし、Phillだってクリーンで歌う。しかし、どうしても道元氏はそれを自分自身に投影する事は出来なかったという。

本当に歪んでんだよねー、心が(笑)何か"わー歌上手い"っていう評価のされ方とか"ここまでのハイトーンが出せる"とかそういう評価のされ方がどうにも抵抗があるのね。さっきのガテラルとかもそうなんだけど"超絶ハイトーン"みたいなのって"だから何?"って思っちゃうんだよ。そういうののアンチテーゼもちょっとある、、というか大分ある(笑)

確かに単純に"歌が上手い"と"歌が心に響く"は全く別物ではある。

言ってしまえばカラオケの採点機能で高得点を取る事は曲にもよるが素人でもある程度トレーニングをすれば誰でも出来る。実際にボイストレーナーの方も同じような事を言っていた。

しかし自らの歌詞と曲を持って歌い、人の心を動かす事は誰もが出来る事では無い。

結局クリーンボイスを使おうがスクリームを使おうが人の心を動かしてさえいればその人は立派な"歌手"であり、プロフェッショナルという事だと思う。

自分で自分を俯瞰した時に"違う"と感じてしまう事は恐らくどんなに上手く取り繕ったところでカッコ良くはならないし、それだったら自分の持つ一番の武器を磨いて尖らせた方が良い。

道元氏がクリーンボーカルを歌おうとしない理由はそういう事なのかもしれない。

最終章 怒りを根源としたエンターテイメントの追求

道元氏はスクリームの根源には怒りが無いとダメだと言う。

その道元氏の怒りというのはどこから来ているのだろうか?

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それこそ街中歩いてたら"てめーこの野郎"みたいな事もあるし飲んでてうるせー奴いたら普通にムカつくし、、、そういうので良いんだよ(笑)別に政治とかみたいな大それた事が怒りの根源じゃなくても良いと思うんだよね。元々短気なとこもあるしやっぱ昔から惹かれるテーマが"恨み辛み" "妬み嫉み" "憎しみ悲しみ"とかだからそういうの表現するにはやっぱスクリームが一番しっくりくるのかなと思う。

日常生活でネガティブな感情が生まれるのは恐らく世界中の誰もがそうだろう。

道元氏の言うようなネガティブな感情からは誰も逃れられないし、生きている中でネガティブな感情に心を支配されてしまった経験は誰でもあるだろう。

しかしネガティブな感情というのは自分の心を食い潰すし、ずっとそのような感情を抱えたまま生きるのは決して気持ちの良い事では無い。

だから人はそのネガティブな感情を外に出そうとしたり、蓋をしようとする。単純なネガティブな言葉(愚痴とも言う)として発する場合もあれば、嗜好する何かにどっぷり浸かり、気を紛らわすといった事は誰もがやってる事だ。

道元氏にとっての叫び、歌うという行為はそれと同じような事なのでは無いだろうか?叫ぶ事は道元氏にとって自分自身のネガティブな感情と戦う為の手段であり、同時に"癒し"でもある。

ただ道元氏はその手段を芸術、エンターテイメントとして昇華する事が出来る。芸術やエンターテイメントはどの分野においてもそのような形で生まているように思う。

道元氏はボーカリストという立場でだけではなく、エンターテイナーでもありたいという気持ちも持つ。

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結局"激情"みたいな事ばっかやってても辛いし俺はそこまで突っぱねられない。Motrey crueとかやりたい事やってるけどエンターテイナーじゃん?凄いなって思う。シンプルに観てて楽しいし。やっぱり"楽しい"って結構デカい事だと思うんだよ。シンプルにそれって一番根っこにあるべき事だと思う。ステージで怒りとかスクリームしてても"何か楽しい" "何かウケる"って存在でありたいの。その為にはさっき言ったけど日常でクレイジーなことやんなきゃなって(笑)そしたらこういう能天気な馬鹿人間が生まれる訳だけど(笑)そういうのって絶対にステージで伝わるから。ウケを狙ってやるのはメタルボーカリストとしてあり得ないって思うけど"本気でやってるけど何かウケる"って存在でありたいの。エンターテイメントとしてね。俺、プロレスとか全然観ないんだけどプロレスラーとかもそういうとこあるじゃん?"めちゃくちゃマジで戦ってるけど何かウケるし楽しい"みたいな。そんな感じかな。

日本人という人種の気質だとも思ってしまうのだが真面目に安全な道を選んでばかりだとどうにも何か突き抜けない人間にしかなれない。

真面目に楽器を家で練習する事は大事だが単純なテクニック的な巧さにプラスして何か人としての"コク"というかクセがある方が"愛されるミュージシャン"になれると思う。

ミュージシャンというのは結局人に何を与える事が出来るのだろうか?という事を考える。特にメタルミュージシャンは。

それは単純な楽曲やライブの楽しさというのもあるし、"こんな風に俺もなりたい!"という夢もあるかもしれない。

だがそれはメタルという音楽じゃなくても与える事は出来る。ではメタルでしか与えられない事は何なのだろうか?

道元氏との話も終わり、帰り際に彼が何気無く言った言葉がある。

結局俺はね、歪んだ奴の味方でありたいんだよ。

ここに全てが集約されていると思う。

世界中の誰もが心の中に歪みを抱えてる。歪みの種類は人それぞれであるにせよ、何の歪みも無い品行方正過ぎる人間は逆にあまり"人間的"では無い。

大袈裟な言い方かもしれないがメタルを愛する"メタルヘッズ"は多かれ少なかれ自分の歪みと対峙してるのかもしれない。

怒り、憎しみ、欲望、そんな人間の情動が表出したメタルという音楽は自分の中の歪みに寄り添ってくれる。

もちろんそんな事をいちいち意識してメタルを聴いてきた訳では無いし、聴いてる訳では無い(笑)

しかし道元氏の話を聞き、色々と考えていると結局自分がメタルを聴いてきたのはそういう事だったんだと理解した。

自分は子供の頃、みんなが好きなものが好きになれなかった。みんながしてる遊びを楽しめなかった。いつだって自分がのめり込めるものは周りとは違うものだった。それは道元氏も同じだったと思う。

でも、メタルという音楽は"お前はそれでいいんだぜっ!"と言ってくれてる気がした。"俺達だってそうだから!"と。

それは自分にとって本当に"力"となっていたし、その力を享受出来なかったら今日の自分は存在していないだろう。

道元氏はその"力"を受け取る立場から今度はその"力"を与える立場になっている。だからこそ彼のスクリームは聴く人の心にリアルに響き、圧倒させ、夢中にさせる。

彼は今後も"歪んだ奴ら(メタルヘッズ)の味方"であり続けるだろう。

また彼のスクリームを聴きながらドラムを叩ける日が来るのを楽しみにしている。

STAY HOME. BUT,STAY METAL&STAY TRUE. 


                                                                                       

あとがき

今回の記事を書いる最中に何故かずっと頭を過っていた雑誌の記事がある。

それはYOUNG GUITARの2001年2月号のZakk Wyldeと故Dimebag Darrellの対談記事だ。

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ギタリストである自分の双子の兄が買ったものだがギターを弾かない自分でもこの対談記事はよく読んでいた。

まあ単純に読んでて楽しかったし、メタルを聴く上でこの二人の事は避けては通れないから別段考える事では無いかもしれないが今思えば自分がこれを読み込んでいたのは不思議な事でもある。

それは何故だったのだろうと考えた時 、これは全てのメタルミュージシャンのバイブル的内容だったからだと思った。

恐らく探せばまだ家にあると思うのだが当時の雑誌は今だに捨てられず、溢れかえっているので見つけられなかった(苦笑)

いきなり"お前の愛する本当に弾きたい音楽を弾け!誰にも文句は言わせるな!"という発言で幕を開ける何とも破茶滅茶かつ熱い対談だったが、かなり確信めいた発言が多かった記憶がある。

Zakk、Dimebag共に先人達へのリスペクトを忘れない事や、トレンドに惑わされずに本当に自分の演りたい音楽を追求する大切さについて語っていて、当時流行っていた"ラップメタル"を「ロクにギター弾けない奴がギター背負ってピョンピョン飛び跳ねてるだけのクソみたいな音楽」と何とも赤裸々かつ辛辣に批判してるのも印象的だった。

今ならコンプラ違反にでもなりそうな発言だがこのくらい過激な発言も飛び出すくらい真に迫ってその人の内側が垣間見れる記事が自分は好きだった。

この激人探訪はなるべく具体的な音楽的テクニックや今までのキャリアの話は避け、その人が何を感じ、何を思って音楽と向き合ってきているのかを探り、それを自分の中で解釈して発信していこうと思っている。

その方が具体的なテクニックやメソッドを発信するよりも人の心を強く刺激し、何か良い影響を読んだ人に与えられると思ったからだ。

事実、記事を書いている自分自身が楽しかった。録音したその人との対話を聴き返しながらその人の心の内や矜持を自分自身のものと照らし合わせて、感じた事を文章にしていく作業は大変ながらもどこか気持ちが晴れやかになる作業だった。

今回の道元氏はやはり同じバンドのメンバーという事で色々とわかっていた事も多かったが今後はもしかしたらもっと違う分野の人達に話しを聞いて記事にさせてもらう機会を作るかもしれない。

また次回の記事を書く事が楽しみでならない。

今回、最後まで読んでくれた方、一部だけでも読んでくれた方、どちらにおいてもありがとうございました。

そして何より今回色々な話を聞かせてくれた道元氏に感謝します。

また堂々と皆さんの前で彼と演奏できる日がいち早く来る事を祈っています。

                                                                                    2020/5/2 YU-TO SUGANO

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