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激人探訪 Vol.9 AKIRA ~「ヘヴィメタル懐かしいね」って日々がもっと早く来ると思ってた~

どうも皆さん、YU-TOです。

前回の激人探訪、何となく予想はしていたが、かなり大きな反響があった。

SNSでは色々な界隈の人達からの反応があったし、こちらが少し身構えてしまうくらいのサポート(訳注:noteの投げ銭機能)をくれた方もいた。

もちろん、前回扱わせて頂いたFUMIYA氏の影響力があってのものだと思うが、少しずつだが確実に激人探訪の名前が広まってきている事はとても嬉しい。

これからも精一杯、執筆頑張らせて頂く次第です。

さて、今回のVol.9のゲストはTHOUSAND EYESで共にプレイし、VOLCANOのベーシストとしても知られるAKIRA氏だ。

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この激人探訪では、主に自分が同じバンドでプレイしているミュージシャン達を取り上げさせてもらってきたが、その枠内ではAKIRA氏が最後である。

以前より"AKIRAさんでやって!"という声は頂いており、もっと早く声を掛けても良かったのだが、AKIRA氏にはどうしても、現在自分が共にプレイしているミュージシャン枠のトリを務めてもらいたかった。

AKIRA氏は自分が今まで一緒に音を出してきたミュージシャンの中で最年長のプレイヤーである。

自分がまだ楽器を手にする前からライブハウスのステージに立ち、国内メタルシーンの最前線でベースを弾いていた人物で、彼が以前リーダーを務めていたYOUTHQUAKEの存在は、自分がドラムを始めて間もない頃から知っていた。

そんな超ベテランのミュージシャンと自分が今、世間で"リズム隊"と呼ばれるコンビを組んでいる(組ませて頂いている 笑)のはどう考えてもおかしな話で今だに恐縮というか、ポジティブな意味で妙な気分になる事がある。

今回の取材でAKIRA氏と話をしていく中で、自分にとっては"レジェンド"なバンドがAKIRA氏にとってはリアルタイムでその活躍を経験したバンドであったりして、話していてすごく新鮮な気持ちになった。

今こうして、AKIRA氏と自分が世代を超えて一緒にTHOUSAND EYESの根底を支えられているのは、紛れもなくAKIRA氏が何十年に渡ってメタルという音楽を追求し続けているからだ。

彼が通って来たその何十年という月日を自分が深掘りするのは、この激人探訪を書き始めた段階ではまだ早いと思っていた。

しかし、ある程度の回を重ねた今のタイミングであったら、それなりには書ける自信も出てきたし、自分が関わるミュージシャンの中で一番キャリアを積んでいるAKIRA氏は、やはりその枠のトリに相応しい人物だとも思っていたので、このタイミングでの登場となった。

AKIRA氏の話はさながら国内ロック、メタルの歴史書のような部分もあり、ここで初めて知れた事などもあった。

今回はそんな国内屈指のベテランメタルベーシスト、AKIRA氏を徹底深掘りしていこうと思う。

第1章 人生を変えた洋楽ロックとの出会い

現在のAKIRA氏が持つエクストリームメタルなイメージからすると意外にも思えるが、彼のルーツは正統派な洋楽ロックだ。

俺、同世代の連中からすると洋楽を聴き始めるのがすごい早かったらしいんだよ。QUEENがきっかけで小学校4年の時から洋楽自体は聴いててね。俺、姉貴がいるんだけど、その姉貴が持ってた音楽雑誌が家に置いてあるわけよ。その雑誌をパラパラ眺めてたら何か変な化粧した人達が目について、、。"これ何?"って聞いたら"KISSってバンドだよ"と。それで"家にもレコードあるよ"って言うから聴いてみたらもう"これだ!"と。アルバムは「Destroyer」だったかな。

ロックミュージシャン、いや、音楽好きであったのならば知らぬ者はいないであろうKISSというバンド。

自分達にド派手なメイクと衣装を施し、音楽という枠組みを飛び出してバンドを商品化し、"ロックアイコン"として自分達の存在を世に知らしめていくという事を世界で始めて成功させ、その道を作ったバンド、それがKISSだ。

自分にとってKISSというバンドは"ハードロック"というジャンルを形作ったレジェンドで、存在を知った頃からもう歴史的なバンドであった。

現代ではそんなハードロックのスーパーレジェンド的存在になっているKISSだが、当時のAKIRA氏は彼らをどういう存在として捉えていたのであろうか?

とりあえず"ロック"だっていうのは分かってたけど、、例えばサブジャンル的に"ハードロック"って呼び方もあったらしいんだけど、それを知ったのもだいぶ後だったんだよね。それこそ当時は"メタル"なんていう括りもなかったから。

今でこそKISSは"ハードロック"というジャンルの最重要格で、"一番最初のハードロックはこれ!"という言い方をされる事もあると思うが、当時は"今まで聴いた事のないカッコいいロック"という曖昧だけれど最先端な立ち位置の音楽だったのだろう。

そんなKISSを皮切りに、AKIRA氏はどんどん洋楽ロックの世界にのめり込んでいく。

毎週金曜日だかに洋楽のプロモーションビデオとかを流す夕方の音楽番組みたいなのがあって、それが好きでよく観てたな。KISSに限らず、当時だとEAGLESKANSAS、あとはEarth Wind and Fireとか、そういうのも全部ひっくるめて良いなって思って聴いてて。そこで衝撃的だったのがVAN HALEN"You Really Got Me"のMVが流れてて、、"何だこの音は?!"ってなってね。そこで色々と音楽を漁ってくうちに"ああ、これがハードロックって言うのか"とか知ってった感じだったね。

この当時はまだ世間的に音楽ジャンルの細分化自体もほとんどなく、ジャンルなど気にせずにAKIRA氏はひたすらに洋楽を聴き漁っていたという印象だ。

そして、このような洋楽との出会いをきっかけにAKIRA氏は小学校6年の時からギターを手にするが、最初はそこまでの熱を持って練習をしているわけではなかったらしい。

しかしそんなAKIRA氏がギターの練習に熱を入れ出したのは、やはり"ヘヴィメタル"と出会ってからであったという。

第2章 ヘヴィメタルとの出会いとベーシストへの転身

AKIRA氏がヘヴィメタルの存在を認識し、本格的にギターを練習するようになるのは中学2年になる頃であったという。

中2ぐらいの時に、いわゆるNew Wave Of British Heavy Metalって呼ばれるバンドが日本に入ってきたの。それでやっぱり当時はIRON MAIDENとかを聴いてて。当時は情報源が雑誌とかしかなかったから、それを一生懸命読んで色々なバンドを知って、"ああ、これヘヴィメタルって言うんだ"ってなったんだよ。その流れでちょっと戻ってJUDAS PRIESTとかBLACK SABBATHとかRAINBOWとか、、その辺に手をつけ出し始めたのかな。中学入ってからギターをチョロチョロ触り出してはいたけど、ちゃんと練習しようと思ったのはやっぱりヘヴィメタルがきっかけだよね。それこそMichael Schenkerとか。当時のギターヒーローってMichael SchenkerかRitchie Blackmoreかって感じで、周りの先輩とかはRitchie Blackmore派が多かった。俺は好きじゃなかったけど(笑)とにかく俺はMichael Schenkerがストライクだったかな。あとはLOUDNESS。"日本にもこんなバンドがいるんだ!"って感じで衝撃的だったね。

そんな、自分の年代にとっては完全に後追いでしか知る事の出来なかったようなバンド達の活躍をリアルタイムな肌感覚で感じていた少年時代のAKIRA氏だが、高校に入学すると軽音部に入部し、そこで初めてバンド形態で楽器を演奏する事になったという。

また、それまではギターヒーローに憧れるギタリストだったAKIRA氏が、ひょんな事からベーシストに転身するのもこの時期だった。

同じ中学で仲良かったボーカルやってる奴が別の高校行ったんだけど、そいつもその高校でバンドやってて。それである日"お前ギター弾けるんだしベース出来ない?今度コンサートみたいな事やるからそこでベース弾いてくれ"って言ってきて、"まあやれば出来るか"ってなって、そこで初めてベースを触った感じUFOのコピーとかを演ったりして、生意気にオリジナルとかも作ったりしてたな(笑)公民館とかライブハウスを昼間貸りてライブしてたりして、高校の終わり頃まではそのバンドやってたかな。

そのバンドで小規模ながらも音楽活動を続けている内に、AKIRA氏の中で本格的なバンドがやりたいという気持ちが日に日に強まっていったそうだ。

そして次第にその気持ちは、将来の進路にも影響を及ぼしていった。

高2くらいまでは大学行こうかなって思ってたんだけど、卒業間際になって"何かめんどくさいな"って思っちゃって(笑)"早くちゃんとバンドやりてーな"って思ってたからね。進路相談とかあるじゃん?最後まで俺だけ決まってないから生活指導の先生も心配してて。それで、"お前卒業したらどうすんだよ?"って聞かれても"バイトでもやりながらバンドやります"ってずっと答えてた(笑)とりあえずやりたい事やりたかったから。卒業名簿にみんなは進学する学校だとか就職先だったりが書いてあるけど俺のとこだけ真っ白なの(笑)やってたバンドは卒業と同時に解散しちゃったけど、軽音部の先輩だった人がバンド始めてて、もうライブハウスとかで演ってたりしてたから卒業後はそのバンドのローディーを始めたんだよね。それで、その先輩はベーシストだったんだけど、しばらくしたら辞めることになっちゃってね。そしたらリーダーの人に"お前演れ"って言われて、"えっ?僕ですかっ!?"って(笑)そんな事があってそのバンドに加入することになって、ちゃんとバンドを始めたって感じかな。

高校時代、早々に専門学校への進学を決めてフラフラしていた自分には何とも親近感の湧く話である(笑)

大学という場所は何を学びに行くところなのか?

自分の学びたいことを焦点を絞ってより濃く、より深く学べる場所なのか、"学生"という"最強の肩書き"を持ったまま4年間遊べる場所なのか、それは人によって変わってくるだろう。

"何となく行くだけだったら行かない方が良い"、そんな事を思いながら受験に大忙しな友人達を横目で見つつ、バンド活動とドラムの練習に明け暮れる高校時代を自分も過ごしていたなと、AKIRA氏の話を聞いて懐かしさを覚えてしまった。

時代は違えど、10代後半の学生ミュージシャンが考える事はほとんど一緒なのかもしれない。

第3章 本格的なバンド活動のスタートとYOUTHQUAKE結成

ローディーとして参加していたバンドにベーシストとして加入し、本格的なバンド活動をスタートさせたAKIRA氏。

そのバンド自体は短命で終わってしまったそうだが、待ち望んでいた本格的なバンド活動は充実したものだったそうだ。

ジャンルで言ったらキーボーディストがいるような様式美系のメタルだったかな。俺のそのバンドでのデビューが鹿鳴館(訳注:目黒のライブハウス)だったの。その時はキーボーディストも抜けちゃって4人編成で演ってたな。それで対バンがXだった(笑)その時のXはベースは後にMEPHISTOPHELESってバンドをやるHIKARUさん、ギターはJUNさんって人が弾いてて、その編成での最後のライブだったね。確かその時、渋谷で打ち上げがあって行ったらもうバンド関係者が150人くらいいるわけよ(笑)D'ERLANGERとかhideさんのいた横須賀SAVER TIGERとかがブワァーっていて、"うわー恐いなー"とか思ってガタガタ震えながら飲んでた記憶がある(笑)結局、そのバンドは一年持たずに解散しちゃったけど初めて全国ツアーとかも経験出来て、"バンド楽しいな"って思えたかな。

AKIRA氏は、いわゆる"エクスタシー系"と呼ばれる昨今のヴィジュアルロックや国内メタルの下地を築いたバンド達が活躍していた時代の空気をリアルに体感している存在だ。

自分達が噂でしか聞いた事の無い話や、まるで空想上での話のように思われることも実際に現場で見てきたであろう人物で、今回話してくれたこの話は非常に興味深く、自分にとってはすごく新鮮に感じる。

そのAKIRA氏がライブハウスデビューを飾ったバンドが解散した後、AKIRA氏は約2年間のブランク期間に入ったと話す。

解散したバンドのボーカルの人に"また新しくバンドやるから弾いて"って言われてちょっとだけそのバンドをやったんだけど、"何か違う"と思って辞めてその後しばらく、2年くらい何もやってなかったの。地元の友達とか後輩とかでコピーバンドみたいな事をたまにやるくらいだったね。それが確か23〜24歳くらいの時。

AKIRA氏はこの時のブランク期間は、自分にとって本当に必要なテクニックや、自分に見合ったプレイスタイルを模索する期間であったと語っていた。

この2年間で、AKIRA氏は自身のベースプレイをもう一度見直して再構築をはかり、25歳になる年に彼の最初の本格的キャリアとなるYOUTHQUAKEを結成する。

25歳くらいの時かな、パワーメタル的なバンドが組みたくて地元の友達とか後輩で"こいつ良いな"って奴に声掛けていってバンドを始めたんだよ。そのバンドのギターとドラムが後のYOUTHQUAKEのメンバーになる奴で。ツインギター編成だったんだけど、その内の1人とボーカルが辞めて、地元の仲間のHIYORIがボーカルとして加入するタイミングでそのバンドがYOUTHQUAKEになったんだよ。

このYOUTHQUAKEだが、今だに影響を公言するミュージシャンがいるほどシーンに影響を与えたバンドである。

当時のバンドシーンを席巻していたXのYOSHIKI氏が運営するエクスタシーレコードに所属していたのだが、そのメタリックで鋭角なサウンドは、強烈なエクスタシーレコード所属バンドの中でも異彩を放っていた。

前身となるバンドを結成した当初はパワーメタル的サウンドをプレイしようとしていたが、YOUTHQUAKEのサウンドはどちらかと言えばスラッシュメタル寄りで、スピード感のあるサウンドが特徴的だが、この方向性の変革はどこから生まれたのだろうか?

当時のギターの奴が、"スラッシュっぽいのも演りたいんだよ"って言ってきて。俺、スラッシュメタルを最初に聴いた時の印象が良くなかったからちょっとどうかなとは思った。それまではYngwie Malmsteenみたいな速弾き系のアーティストが好きだったから、それにパワーメタルが合わさったような音楽性が良いかなって思ってたんだよね。でも最初は嫌いだったMETALLICAとかも2ndとか3rdを聴いて印象が変わったりして。こういうちゃんと起承転結がある感じだったら良いなって思った。それこそSLAYERとかも、「Show No Mercy」とか「Hell Awaits」は全然ピンとこなかったけど「Reign in Blood」を聴いて"強えーなこいつら"ってなって(笑)またそこでも考え方が変わった感じだったな。それでその後にPANTERAが出てきた。あの人達もスラッシュ系の要素を取り入れたりはしてたから"ああ、こういうのも良いね"って。でもその後に出て来たEXODUSとかTESTAMENTとかの方がどちらかと言うとのめり込んだかな。それで趣向がスラッシュメタル寄りになっていって、YOUTHQUAKEって名乗るようになってからスラッシュメタルを基本に演ってこうってなったんだよね。

YOUTHQUAKEの放っていた異彩は、このように往年の伝説的なスラッシュメタルバンドがリアルタイムでAKIRA氏に与えた影響によって作られたといっても過言ではない。

そして、その異彩の放ち方が当時のシーンの中でも際立っていたことが、現在でも数々のミュージシャンが彼らからの影響を公言している所以だろう。

このYOUTHQUAKEから、AKIRA氏のメタルベーシストとしてのキャリアが本格的にスタートする。

第4章 YOUTHQUAKE本格始動

前述した通り、YOUTHQUAKEはエクスタシーレコードに所属していたわけだが、それはXのhide氏の推薦によるものだった。

ボーカルのHIYORIがhideさんと知り合いで、hideさんが"こういうバンドがいるよ"ってYOSHIKIさんにうちらを推薦してくれて2ndからエクスタシーで出すようになったのかな。1回、鹿鳴館でワンマンやった時にhideさんが観に来てくれた事もあって。2階席でデッカいサングラスして帽子被って観てるのがステージから見えて、"うわっ、hideさんいるよ、、嫌だな、、"とか思ったりした(笑)で、そのうちお客さんが気付き始めちゃって、"あ!hideがいる!"って大騒ぎになっちゃって(笑)そんな思い出があるね。終わったら楽屋くるかなと思ったら結局来なかったんだよね。ビールケースが楽屋に山積みになってて、スタッフが"hideさんから差し入れです!"って(笑)"本人は?"って聞いたら"帰りました!"って言われて、"なんだよ!"って感じだったよ(笑)

この時代の豪快さを感じさせる、なかなか面白いエピソードだが(笑)

やはり当時のバンドシーンの盛り上がりの中枢を担っていたエクスタシーレコードに所属したことでメディアへの露出は格段に増え、ライブの動員も飛躍的に伸びていったらしいのだが、その事自体はAKIRA氏にとってはどうでも良い事だったという。

雑誌関係に対する露出はいきなり"ボーン!"と上がった感じだったよね。取材だったりライブレポートだったりが載り始めて、、もうエクスタシーから出すってなった時点で名前がかなり広まっていってたかな。でもね、何だろ、、やっぱり一番力を入れてたのはライブだったし、個人的な事を言うと正直レーベルなんてどうでも良かったの。たまたまエクスタシーレコードに拾ってもらってアルバムも出せて、ライブも全国色々な所に行けるようになれたけど、何かずっと突っ走ってた感じだったよね。周りがどうとか全く気にしてなかった。

90`sAKIRAさん

もちろん、この時代のYOUTUQUAKEの活動をリアルタイムで体感したわけではないが、当時の彼らの立ち位置はかなり曖昧だったように思う。

派手なメイクを施した出で立ちでスラッシュメタル的スピード感のあるメタルをプレイする事は、AKIRA氏にとっては普通の事であったが、当時のメタルシーンからは少なからずバッシングを受ける事もあったらしい。

"ヴィジュアル系"って言葉が出始めたのもYOUTHQUAKEがエクスタシーから出すってなった時期と同じくらいだった気がするんだけど、髪の毛立てたりとかメイクしたりっていうのは俺らの世代では割と普通の事だったの。だからその点に関して俺は特に抵抗もなかったけど、明らかにメタルなサウンドだけどメイクしてるっていうのはスラッシュメタル界隈の人達から少なからずバッシングもあったみたいで。それこそ"メイクとかしてなきゃうちから出すんだけどな"ってメタルレーベルの人から言われた事もあったしさ。でも自分達がやりたい事出来るんだったらそれを頑張ってやれば良いんじゃないの?って思ってたし、そういうレーベルの色とか周りの事とかは全然気にしてなかったよね。

その立ち位置の曖昧さ故に当時はメタルシーンから白い目で見られる事も多かったというYOUTHQUAKEだが、本人達は自らが追求したい道を信じ、独自の活動スタイルを貫いていった。

時に"ヴィジュアル系"というような言葉で一括りにされ、音楽的に"アウェー"とも思える界隈のイベントに混ざる事もあったそうだが、その当時の音楽ファンは、今とはかなり違う感覚を持った人達が多かったとAKIRA氏は感じているらしい。

当時はあんまりメタルっぽい音楽を演ってるバンドがいなかったからね。だから割と"ヴィジュアル系"って呼ばれるような人達と一緒にライブやる事が多かったかな。それこそ初期のL'Arc-en-Cielとか黒夢とか、、あとSOPHIAとか。その辺のバンドとかとも一緒にライブやってたんだよね。何か一括りにされちゃってたとも思うんだけど、自分達の好きな音楽出来てるし、色々なところから呼んでもらえて名前も知ってもらえるから当時はあんまり気にしないでやってた感じだよね。あと当時のお客さんの方が耳が肥えてたっていうか、、今の人達と比べたら色々なものを聴いてた傾向があったんじゃないかな。"あのイベントで一緒に出てたあのバンドもカッコいいな"とか、そういうのが今より全然融通がきくというか、すごい自由だった気がする。でも一貫してメタル寄りだった俺達とヴィジュアル系って呼ばれてる人達が演ってる音楽は全然違うんだっていう意識もあったし、自分達の演ってる事に自信もあったから、だんだんある時期からヴィジュアルシーンからは離れていったんだよね。そこからはAIONとかGargoyleとかのメタル寄りのバンドを集めたイベントへの出演が段々と多くなっていって、あんまりヴィジュアル系のバンドとはやらなくなっていったかな。

当時のヴィジュアル系バンドのライブに来るお客さん達の熱量が、現代のシーンより高かったというのは容易に想像できる。

現代は、とにかく自分のお目当てのバンドを"推す"という事が全てで、あまり他のバンドに目を向けるような人達が少ないようにも思う。もちろん、そういうファンの人達もバンド側にとってありがたい存在ではあるのだが。

AKIRA氏はこの時のヴィジュアル系のシーンを"健全"とも語っており、今よりも情報源が少なかった分、ライブの現場で新たな刺激をくれるバンドを探している人も多かったのであろう。

そんなヴィジュアル系のシーンと絡みながらも、徐々に自分達が本当の意味でしのぎを削れるメタルの現場へと主戦場を移していったYOUTHQUAKE。

90年代の国内メタルシーンをリアルに体験し、2020年現在でもシーンの第一線でベースを弾き続けるAKIRA氏は、その時代のメタルシーンを思い返して何を思うのだろうか?

第5章 AKIRA氏の語る90年代と現代のメタルシーン

90年代というのは、自分がまだ楽器すら始めていなかった時代だ。

下手をすれば、現在活躍するミュージシャンが生まれてもいなかった年代である。

何となくだが、その時代の方が"バンド"というものにしっかりとしたポジションがあり、集客面で今のシーンよりも優れていたイメージがあるのだが、実際のところはどうなのだろうか?

うーん、どうなんだろうね?当時メタル寄りのバンドが集まってライブやるとそれなりにお客さんは入るんだけど、例えばUNITEDとかみたいなもっとコアなバンドのシーンに流れてく人ってあんまりいなかった気がする。俺らくらいで止まっちゃってて、もっとエクストリームな感じのメタルに移行したお客さんって多分少なかったと思うよ。見た目から入って来てる人達も多分多かっただろうし、そのお客さん達が他に流れてくって事は少なかったと思う。

この時AKIRA氏がいたシーンは、またコアなメタルシーンとは別なヴィジュアル系の名残があった場所であったようだ。

ヴィジュアル系的なルックスでメタルを演るバンドは今でも存在するが、90年代のその手のバンドの方がより攻撃的というか、"ヴィジュアル系でいたいから"という理由ではなく、自分達の過激さやオリジナリティを体現するための手段としてそのようなルックスで自分達を固めていたバンドが多かったのではないかと思う。

そんな過激なイメージゆえ、当時のミュージシャン達はプライベートもかなり"ロック"でめちゃくちゃな生活をしてる人達が多かったという勝手なイメージが自分の中にあるのだが、、、(笑)

いやめちゃくちゃっていうか、、(笑)でも普通にツアー行って大酒飲んでってくらいだったけどね。たまにお姉ちゃんにちょっかい出したりだとか(笑)可愛いもんだと思うよ。まあ、犯罪の一歩手前くらいまで(笑)ヤンチャはしたけどね。

まあ、詳しい話は聞くことは出来なかったが、少なからず"ロック"はしていたようである(笑)

もちろん、当時のメタルシーンを実際に体感していたわけでは無いので、予想でしかないのだが当時はシーン自体は盛り上がりつつも、スラッシュメタル的なサウンドをプレイしているバンドや、ライブハウス自体も少なかったのではないかと思うのだが、実際はどうなのだろうか?

まあバンドはいっぱいいたけどね。OUTRAGEとかもそうじゃん?あとはJURASSIC JADEとかもいたし。ライブハウスだったら俺たちはやっぱり鹿鳴館が多かったかな。あとは目黒ライブステーションとか。サイクロンとかがいつ出来たかは覚えてないけど、当時は渋谷でライブやってるバンドとか少なかった気がするな。あと新宿とかもほとんど無かった。だから鹿鳴館に割と集中してた気がする。

そのようにライブハウスすらあまり無い時代にシーンの第一線で活躍していたAKIRA氏であったが、昨今はあまり稼働出来ずとも至る所にライブハウスが溢れ、メタルバンドもサブジャンルを含めたら星の数ほどいる現代のシーンは、彼の目には、"違ってはいるけど似ている"ように映っていると言う。

まあ、変わってはいるよね。でも90年代前半のシーンに似ているような気はするな。何だろうな、、いくつあるかはわからないけど色々な"コミュニティ"があって、バンドが"ここに行きたい"とか、"この仲間に入りたい"みたいに思ってるみたいな事が結構ある気がする。で、コミュニティ同士の交流はあるんだけど、観る側は全部一緒になってる気がする。シーン自体が画一化しちゃってるというか、どのコミュニティ観ても頭1つ飛び抜けてる奴がいないなって思ってしまう。似てるバンドが多いなって。バンド単体の売り方じゃなくて、なんか手っ取り早く"こんな感じになりたいな"とか、"あそこのイベントに出てれば何とかなるかな"みたいな事が優先されてて、どのバンドもあんまり訴えかけてこないというか、、。色々な地点で色々なシーンが盛り上がってて、どこからでも"ポンっ"って頭飛び抜けた奴が出てきてもおかしくないんだけど出てきてないみたいな。そんな感じはする。90年代前半もそんなだったなって。"気づいたら誰もいないな"みたいな、何かそうなって来るんじゃないかって思ってしまう。適当にやってる奴なんてもちろんいないんだろうけど、周りを見過ぎちゃって"こうなる為にはあのバンドみたいにやる"とかそういう自分らと比べる対象があり過ぎるから、そこでガタガタ自分達が崩れていくバンドがこれから増えていくんじゃないかって気がする。そろそろ観る側の目も耳も肥えてきてるから、色々ふるいにかけられる時代が来てるのかなって感じはしてるよね。そこで独自のスタンスとかが持てれば生き残れるんだろうなって思ってはいるけどね。

シーンのガラパゴス化みたいな事は各方面で言われてきている。

孤立したシーンがあって全てがそこの中で完結されてしまい、仮にシーン同士の交流があっても、あまり良い方向には作用しない事が多く、結果的にまた無難に孤立したシーンに戻ってしまったり、結局お客さんも一緒になってしまったりする。

例えば、自分が加入前の話だがTHOUSAND EYESは一度、Fear,and Loathing in Las Vegasという全く毛色の違うアーティストとの対バンをしている。

そのような、全く違うシーンにいるバンドとの対バンはとても楽しかったとAKIRA氏は語っている。

あの時は面白かったよ。俺らの事なんか知らない人達がほとんどだったわけだけど、ライブ終盤ごろは手とか上がってきてたしね。まあ後でSNSでは"スラッシュメタルいまいち分からない"みたいな書き込みはあったけど(笑)ああいう事をもっと色々なバンドがやって良いんじゃないかと思ってる。ガチガチに自分らのテリトリー守ってるバンドにはそういう感覚はあまり無いだろうけど、もっとフリーな感じで自分達の活動の仕方を考えて良いんじゃないかなって思う。ジャンル関係なくやったほうが健全だし、聴く側の幅が広がるのはすごい良い事だと思うし。音楽を楽しませるのが俺たちの役目だから、お客さんにそういう幅を持たすためにはもっと大胆な組み合わせのライブとかもあって良いんじゃないかって思うんだよ。

このような考えをAKIRA氏が持っている事を自分は意外と感じてしまった。

いい意味でもっとオールドスクールなメタル寄りの偏った考えを持っていそうだと思っていたが、そのような幅広い対バンを楽しめるようなミュージシャンであったとは意外だ。

前述の通り、AKIRA氏は自身の音楽性とは毛色が違うヴィジュアルシーンのバンド達とも積極的に対バンしてきている。

やはりその頃の、ある意味では雑多な混じり方をするライブイベントの面白さや、それをしっかりと受け取れるお客さんの耳があるシーンの面白さをAKIRA氏は体験して来ているのだろう。

その頃体験したような"健全"なシーンの混ざり方と、お客さんの耳を"肥えさせる"ような対バンが現代でもあって良いとAKIRA氏は思っているのだろうし、自分もそう思う。

例え最初は芽がでなくとも、そのような事が頻繁に出来るようになればシーンの活性化に繋がる事は明らかだし、何か面白い事が起こるに違いないとも感じている。

第6章 YOUTHQUAKE解散とVOLCANOの存在

2013年9月2日、YOUTHQUAKEはその23年の活動に終止符を打つ。

AKIRA氏はその時の事をこう語っている。

当時のギターの奴が曲作りをしてる時点で、メロディ云々じゃなくてギターフレーズとかの細かい部分だとか変拍子だとかを全面に出そうとしてて、"何かそれは違うんじゃないか?"って俺が思ってしまったんだよ。"俺が目指すのはそっちじゃ無いんだよ"ってなった時に、もうそのギターの奴は俺とは出来ないって判断したんだろうね、辞めるってなって。その時の4人で作った最後のアルバムの時に発売記念ツアーを割と広範囲でやったんだけど、その時点でこのままやってみて何かトラブルじゃ無いけど、誰かが辞めたりだとか音楽性で仲違いするような事があったらもう辞めようって個人的に決めてたの。だからもうダメだなって。前々から覚悟してたっていうのは言い方変だけど、そこで"ああ、じゃあもうバンドも解散しよう"って。あのバンドでやれた事に100%満足してたかって言われたらそうでは無いんだけど、自分達の力でここまでやってきたし、誰かが辞めるってなった時のタイミングで終わらせた方が良いんじゃないかなって思ってたからスパっと辞めれたよね。あんまり葛藤とかも無かった。

23年続けてきたバンドを終わらせるのはそう容易い事ではない。

しかし、それでも葛藤など無しにバンドを終わらせられたのは、最後のツアーがAKIRA氏のYOUTHQUAKEでのキャリアの中で最も充実したものだったからなのではないかと勝手に思っている。

それだけ最後のツアーで決めたある種の決意のようなものはAKIRA氏の中でブレないもので、確信を持って感じていた気持ちだったのだろう。

また、AKIRA氏には99年から途中脱退しつつも08年に復帰し、現在も活動を続けているVOLCANOの存在がある。

参加したのは99年だったかな。確かYOUTHQUAKEも新メンバーを入れてアルバムを作る準備をしてたくらいの時期だったと思う。その前に屍忌蛇がソロアルバムを出したんだよね。カバーアルバムみたいなの。そこで俺がベース弾いてて、NOVもそこに参加してて。そこからだったかな?色々屍忌蛇と話すようになったのは。それで"今度また新しいの始めるから手貸してくれない?"ってあいつから言われて”おもしろそうだね"って感じでVOLCANOが始まったんだよ。

YOUTHQUAKEではソングライティングの中心に立っていたというAKIRA氏だが、いちベースプレイヤーとしても新たなアプローチへの挑戦がしてみたいという事もAKIRA氏がVOLCANOに参加した理由だったという。

VOLCANOをやりたいなって思ったのは、YOUTHQUAKEで演ってるベースとはまたちょっと違う色を出せるんじゃないかなって思ったのがきっかけで。どこまで自分の引き出しを出せるかっていうところに集中できたというか。YOUTHQUAKEの場合は曲作りとかでいかに自分の可能性みたいなのを出せるかってところが前提にあったけど、VOLCANOは逆っていう感じだった。"ベーシスト"としての自分の可能性というか、どこまでいけるかっていうところを追求出来そうというかね。だからバンドの捉え方とか向き合い方が、全然違うものになりそうで面白そうって感じたからVOLCANOを始めた感じだったんだよね。

今までとは全く違う新たなベースのアプローチが出来るかもしれないと感じたAKIRA氏だが、具体的にはどのような部分で違いを出せると感じていたのだろうか?

YOUTHQUAKEって割とリフ主体のバンドだったから、ベース弾くにしてもバッキング的な要素がすごい強かったんだよね。VOLCANOは全く別で、NOVのボーカルスタイルも屍忌蛇のギタースタイルもメロディアス寄りのスタイルだったから、今までとは違うベースが弾けるんじゃないかってワクワクした感じだった。もともとメロディアスな音が好きだったし、VOLCANOをやることによって自分のスタイルが広がると良いなって思ってたし、ひょっとしたらVOLCANOで得たものをYOUTHQUAKEに還元出来るかもしれないって思いもちょっとあった気がする。VOLCANOに対するそういう考えは今もあんまり変わらずあるかな。THOUSAND EYESはギターはメロディアスだけどバックはそんなメロディアスにならなくて良いかなって思ってて、ストロングスタイルのリズム隊の上にメロディアスなギターが乗った方が映えると思ってるから考えてみるとVOLCANOとは全然違う感じで接してる気がするな。

今でこそエクストリームメタルのイメージが強いAKIRA氏だが、前述の通り、元々はハードロックなどのメロディアスな音楽をルーツとしている。

VOLCANOはNOV氏が強烈なハイトーンで歌うメロディと、屍忌蛇氏の泣きのギターが曲の要となるバンドであり、そこでのAKIRA氏のベースプレイはその2つのパートの土台、架け橋となり、時に一緒にメロディを刻むという彼ならではのものだ。

時にAKIRA氏は、THOUSAND EYESでも瞬発的にではあるがメロディックなアプローチをすることがあり、その一節が曲の重要なアクセントになっているという事があるのだが、このようなプレイはVOLCANOをやる事で生まれたのではないかと今回の話で感じた。

ツインギターのハモリが生命線のTHOUSAND EYESでは、AKIRA氏のベースがリズムギター的役割を担っている部分があり、そことの対比が生まれるメロディアスなアプローチにはハッとさせられる事も多い。

そんなTHOUSAND EYESは、AKIRA氏にとってどのような存在なのだろうか?

第7章 自身の理想とする音"THOUSAND EYES"

AKIRA氏がTHOUSAND EYESに加入した経緯は、AKIRA氏の方からリーダーのKOUTA氏へアプローチした事がきっかけだった。

道元とかは前からの繋がりで元々知ってたんだよね。KOUTAはその当時LIGHTNINGで弾いてて、そのLIGHTNINGのリーダーのCHINO君が屍忌蛇の教え子だったんだけど、それがきっかけでVOLCANOとLIGHTNINGで一緒にライブやった事があって。そこで"CHINO君じゃない方のギターの奴もなかなか良いギター弾くな"って思ってたんだよね。それで何かの飲み会があって、そこに道元とKOUTAがいたんだけど"今度メロデスプロジェクトみたいなのやるんですよ"って話をそこで聞いてたんだよ。まあそこでは"へーそうなんだ"って感じで終わったんだけど、そこからしばらく経ってどこかの打ち上げで道元とまた会って"あのプロジェクトどうなってるの?"って聞いたら割と良い感じに制作が進んでるって話で。それで確か、聴かせてよってKOUTAに連絡して音源聴かせてもらった感じだったのかな、、?それで聴いてみたら"おお、なかなか良いじゃない"って思って。割とその時YOUTHQUAKEで自分が演りたいと思ってた音が具現化されてたの。クオリティも高かったし、何か"こうやりたかったな"っていうような羨ましさとか悔しさみたいな気持ちが自分の中にあったんだよね。それでmixi(訳注:当時のSNS)のKOUTAの"ベースどうしよう"ってつぶやきを見て、"演っても良いよ"って書き込んだら速攻でメールが来て(笑)多分何分も経ってなかった気がする(笑)

この時のYOUTHQUAKEは、第6章でAKIRA氏が語っている解散直前の時期で、曲作りに行き詰まっている真っ最中であった。

そんな中で偶然なのか必然なのか、興味本位でたまたま聴いたTHOUSAND EYESのデモが当時彼が演りたかった楽曲スタイルとピタリと合い、AKIRA氏は少しばかり驚愕したのだろう。

ギターのメロディがしっかりしてて、複雑じゃないストレートな感じ。それが自分に刺さったんだよね。YOUTHQUAKEの晩年はギターの奴がやりたい事を全て詰め込んだような曲で、俺が何を弾いて良いのかわからない感じだったから。でもTHOUSAND EYESはすごいストレートだった。YOUTHQUAKEを終わらせたのってTHOUSAND EYESを始めたちょっと後だったんだけど、ぶっちゃけ言うと"YOUTHQUAKE無くても、このバンドあるから頑張れるな"っていう気持ちもやっぱりあったよね。

AKIRA氏がここまで言うくらい、THOUSAND EYESの音楽性は当時のAKIRA氏に突き刺さった。

THOUSAND EYESの他メンバーは、全員AKIRA氏よりもかなり下の世代のミュージシャン達だ。

しかし話を聞いているとTHOUSAND EYESのメインコンポーザーであるKOUTA氏とAKIRA氏は、例えばMichael Schenkerなどルーツとなるアーティストが被る事も多く、そこもTHOUSAND EYESの音が自身に刺さった要因なのではないかとAKIRA氏は語る。

あんまり世代とか気にしてなかったけどね(笑)KOUTAは気にしてたかもしれないけど(笑)でもあいつとは接点があると思う。何か通じるものがあるって言うか。全く一緒じゃないけど通ってきたところは色々重ねってる部分があるよね。だからその点、向こうも安心感があるんじゃないかって気がするんだよね。あいつが好きなものを俺が色々わかってるっていう安心感というのが俺に対してあるんじゃないかな?本人からそういう事を直接聞いた事はないけどね。だからあいつが作る曲に関しては共感出来るんだと思う。

そんな経緯があってTHOUSAND EYESは結成され、1stアルバムの「Bloody Empire」が生み出されたわけであるが、このアルバムはメタルシーンでかなりの高評価を得た作品である。

激人探訪 Vol.5でKOUTA氏を取材した際、当時の"BURRN!"のレビューで予想以上の高得点を獲得していて、それを見たAKIRA氏の目が飛び出ていたという発言があったが(笑)AKIRA氏は当時どんなことを思っていたのか?

まあびっくりはしたよ(笑)最高点と最悪点、両方を想像してて、その最高点にすごい近かったからそれでびっくりしたんだよ(笑)でも、"このくらい取れて当然だよ"みたいな気持ちもあったね。まあ、あの評価がKOUTAの自信に繋がったんならよかったけどね。直接あいつには言った事はないけど、"もっと自信持って自分のやりたい事やりなさいよ"って、今でもそうやってあいつの事を見守ってる感じかな。

自分は、AKIRA氏のことをTHOUSAND EYESの影のリーダーという捉え方で見ている。

基本的に、黙ってメンバーを見守る、いかにもベーシストらしい立ち位置に徹しているが、圧倒的なキャリアと強烈に曲をドライブさせるベースプレイがバンドを牽引しているのは明らかだし、それはVOLCANOでも同じなのではないのかと思う。

AKIRA氏と一緒にプレイしていると、特にライブにおいて如何に彼のベースプレイが曲を引っ張っているのかが良くわかる。

ドラムに粘りつき、ヘヴィさをさらに際立たせてくれるようなプレイは今までに体感したことがない感覚で、最初はその感覚に持っていかれ、異常なくらいに力んだプレイになってしまった記憶がある。

AKIRA氏はよく、"グルーヴって何や?"と冗談交じりにスタジオなどで言うことが多く、自身の音楽論やグルーヴ論についてあまり自分からは語らないのだが、それは何故なのだろうか?

最近はライブ配信などでベースセミナーを行っていて、自身のプレイのレクチャーも発信しているAKIRA氏だが、今回は彼のベーシストとしての矜持の持ち方にも迫ってみた。

第8章 ベーシストとは何か?

AKIRA氏のベースプレイには、その楽曲での自分の立ち位置をしっかりと把握できている"芯"のようなものがある。

それはある意味では"グルーヴ"をわかってると言えるのではないかと思うのだが、AKIRA氏自身はまだ体感として"グルーヴ"というものがわからないと言う。

何か自分が体感出来てないって言うか、"ドラマーと合わせてグルーヴが生まれる"っていうのが自分の中で全然ピンとこない。YU-TOの時もそうだったけど、ドラマーと初めて音出す時って、自分が前に行けば良いのか、後ろに行けば良いのか、それともジャストが気持ちいいのかってドラマーによって違うじゃん?でそれがピタって合った時に"気持ちいい!"って思うのがグルーヴだと思うんだけど、調べるとそうじゃないんだよね。何か言いたい事はわかるんだけど、自分が体感出来てないというか、"ひょっとしたらこれがそうなのかな?"っていうくらいの確信くらいしか持ててない。

"グルーヴ"という言葉自体の意味は非常に曖昧な部分があり、正解が無いものでもある。

だが自分は、AKIRA氏の言う事がグルーヴであると思っているし、それが出来ているという事は、もうドラムと共にグルーヴが構築できているものだとも思っている。

ただ、AKIRA氏は、それは言葉ではなく体感として感じている事で、その感覚を"グルーヴ"という一言で片付けるのは違うという考え方なのだろう。

結局、どこが気持ち良いのかって言うと、ドラムとタイム感が合った時に上物が"ガッ!"って気持ち良く乗っかれるのが理想的なリズム隊というか、それが俺達が作るべき事だと思うんだよね。ただそれがグルーヴなの?っていう、、(笑)例えばTHOUSAND EYESだったらライブの位置的に俺はTORUと近いわけじゃん?だからギターを聴きつつ"ちゃんと気持ちよく乗っかれてるかな?"っていうのは気にしてて、その上でYU-TOともタイム感間違ってないよな?っていうのも気にかけて、、真ん中にいるっていうか。ベースとドラムで基本的な土台を作ってやれれば、他の楽器は気持ちよくプレイ出来るんじゃ無いのって。だからヴォーカルがどうだったりとかギターがどうだったりとかを俺達はちゃんとわかってないといけないと思ってる。まあ口では色々言えるけどやってみなきゃわからない部分ってあるし、細かいニュアンスが出せるのって色々なところに耳がいってないと出来ないって思うんだよね。それがリズム隊の仕事なんじゃないのかな。個人的な考えだけどね。

ここでAKIRA氏が語っているベーシストとしての矜持は、"ベース"という楽器の本質を突いている。

正直、メタルベーシストでこのような本質的なベースの立ち位置の考えを持っているプレイヤーは極めて少ない。

メタルという音楽におけるベースの役割は軽視されてしまう事も多く、存在感をアピールする為か、妙にテクニカルな方向に走り過ぎてしまうプレイヤーも数多くいるような気がする。

また、AKIRA氏は元々ギタリストだったわけだが、ベースからギターに再転しようとは考えなかったのだろうか?

高校出るまではベースとギターを並行してやってたんだけど、その時期にYngwie Malmsteenがデビューしたの。それで聴いてみたら"あっもう無理だな"って(笑)多分この先はこういうギタリストが主流になって注目を集めるんだろうなって考えたらもう無理だって思った。だからベースをメインで演っていこうと。実際演ってみると面白かったしね。ギターキッズだった時はIRON MAIDEN聴いてもギターしか聴いてなかったけど、ベースを始めてから初めてSteve Harrisのプレイをちゃんと聴き始めて"こいつすげぇな"って。そこからどんどん面白くなっていった感じかな。ベースを演っていくうちに、バンドでのベーシストの立場って凄い面白い位置にいるなって思えるようになったというか。何かイメージ的には"地味"って捉われがちだけど、Steve Harrisとかを聴いてると"別に地味じゃないな"って。かといって凄い派手になる必要もないけど、土台を作れるって事は"やり甲斐がある"じゃないけど、凄い面白いんじゃないかなって思うようになったんだよね。

メタルというジャンルにおいてベースは、ギターとユニゾンのフレーズを弾くことが多い。

その事からどうしてもベースという楽器を"上物"として捉えてしまうプレイヤーも多いのが事実なのだが、本来ベースというのはAKIRA氏の言う通り、楽曲の"土台"をドラムと共に作り上げる楽器だ。

AKIRA氏の根本にその意識があるから、彼のベースは楽曲を強烈にドライブさせ、ヘヴィさに加重を加えることが出来る。これは紛れもなく、メタルベーシストとしての"あるべき姿"だ。

もちろん、メロディ的なプレイや、テクニカルなプレイのベースも非常に魅力的なのだが、ベースという楽器を弾く以上は"土台になる"という根本的な役割を忘れず、その上で何をするのか?ということを忘れないでもらいたいと、ドラマーとして常に思っている。

AKIRA氏のベースプレイには"ベース"という楽器が持つ根本の役割と、その魅力の全てが詰まっている。

最終章 ヘヴィメタルを懐かしむ日々

去年のTHOUSAND EYES大阪公演の打ち上げの時だったであろうか?

"60になったら流石にバンドは無理かな"とAKIRA氏が話していたことを鮮明に覚えている。

多くの同世代のミュージシャン達が引退し、ましてやエクストリームなメタルなどAKIRA氏と同じ年代でプレイしている人など極めて少ないだろうが、やはり引退を考える時もあるのだろうか?

うーん、何だろうな、、今こんな時期だからライブとかはあんまり出来ないけど、何かね、突然わかる日がくる気がする。何がきっかけになるかは分からないけど"もうダメだな"っていうのが直感的にわかる日が来るような気がしてるんだよ。それは遠い未来でもなさそうだし、かえって来年って感じも全然しないし。本当に、ある日突然来る気がする(笑)だから"いつまで"とかそういうのは全然決めてない。ひょっとしたら"来年還暦だよ"って時でも続けてるかもしれないし、その前に辞めてるかもしれない。それはわからないね。

AKIRA氏が言う"わかる日"が来た時、自分は何を思うのだろうか?

きっとこの日の会話を思い出すのだろう。"ああその日がきたのか"と。

しかし、AKIRA氏のプレイには"その日"がもうすぐ訪れるという片鱗は一切感じられない。変わらずパワフルで、メタルベーシスト然としたプレイは当たり前に今も健在だ。

約30年以上、バンドを続けてきたAKIRA氏だが、彼は何に突き動かされてこんなにも長い間バンドを続けることが出来たのだろうか?

"頑張って続けよう"って思ったことがないっていうか、、本当に自然な流れでここまできてた感じ。"絶対ああなってやる!" "絶対売れてやる!"とかそういうのは全く思ってなかった。昔は50代になった時の事なんて考えられなかったもんね。30代の時に今と同じ考え方してたかな?っていう、、。何かいくつまで演ろうって事は考えたことがないというか。自分がその時置かれてる状況とか立場によって違うだろうけど、幸い辞めなくて済んでいられてるっていうかね。まあ続けられてるんだから、俺は違った意味で成功してるのかなって。売れる事=成功っていうのであれば全然違うけど、好きで演ってることがこんなに長く続けられてるって事は、もう"成功"って言っていいんじゃないかって、ふと何年か前にそんな考えが出たのを覚えてる。

バンドを、音楽を続けるということは非常に難しい。

自分と同世代のミュージシャンでも止むを得ない理由で辞めてしまった仲間もいるし、むしろ辞めてからの方が一般的な人生においては成功している仲間も数多くいる。

しかし、AKIRA氏が今もこうしてバンドを続けてきてくれたからこそ、今自分が彼と一緒に音楽をプレイする事が出来ている。

下手をすれば親と子ぐらい育ってきた年代も全く違う自分とAKIRA氏が、今こうして一緒にリズム隊を組んで同じステージに立っているという事自体がもう稀少な事で、それは奇跡としか言いようのない事なのかもしれない。

何かさ、歳とってきたら丸くなるとか言うじゃん?俺それが大嫌いで。ずっと尖ってたいんだよね。老人向けの生温いハードロック演るくらいだったら死んだ方がマシだなって思う。常に刃を研いでたい感じというか(笑)いつも切れ味鋭い感じでいたい。何か、こんなおじさんでもこんなエクストリームなメタル出来るんだなっていう道標じゃないけど、そういうふうに思われても良いのかなって。パープル(訳注:Deep Purple)とか演ったって眠くなるだけで面白くないじゃん?別に嫌いではないよ?(笑)でも演るんだったら常に鋭角でいたい、切れ味の良い刃物でありたいっていうかね。決して人は傷付けない刃物だけど(笑)

"メタルバンド"という集合体の中では、その場を"ピリっ"とさせる存在が1人は必ず必要だ。

もちろん、そういうメンバーばかりでもバンドは成り立たないが、その役割を担うメンバーがいないと、メタルバンドが放つべき緊張感や凄みのようなものが出なくなる。

THOUSAND EYESにおいてその役割を担っているのは明らかにAKIRA氏だ。

口煩く演奏に口を出したり、自身の音楽感を押し付けるという事はせず、あくまでベーシスト的な位置に徹しつつもバンドがしっかりと同じ方向を向けるように、静かに目配せをしている姿勢というか、ある種のミュージシャンシップのようなものを自分はAKIRA氏から感じる。

恐らくそれはメンバー全員が感じている事で、それは30年以上も自身の刃を研ぎ続けてきたAKIRA氏だからこそ出来る事であるのだとも思う。

そんなAKIRA氏がいるからこそのTHOUSAND EYESで、もしAKIRA氏に"その時"が来てしまったら、恐らく後任が誰であってもバンドの雰囲気はガラッと変わってしまうだろう。

だから少なくともTHOUSAND EYESが存続している内は、AKIRA氏にベースを勤めて貰いたい。

初合わせの時に、ドラム人生20年で初めて感じた"ベースに喰われる"感覚をこのバンドではいつまでも自分に味わわせて欲しい。

考えたらさ、長くバンド続けてきて、少しでも俺が演ってきた事を知ってる世代と同じバンドとか対バンで一緒に演れてるって良いなって、単純にそう思うよね。ちょっと恥ずかしい気はするけど(笑)"メタルを演る為に生きてきた"って言うと大袈裟かもしれないけど、いつ来るかわからない"出来なくなる日"が来るまでは一生懸命演ろうかなって。キザな言い方かもしれないけど、メタルに生かされてきたんだからメタルの為に死にますよっていうかね(笑)自分が生かされてきたものに対して恩返しが出来る生き方はしたいかな。音楽に出会えた奇跡じゃないけど、そういうのをちゃんと楽しめる環境とか心意気だったりとかを長く持ち続けた方が面白い人生歩めるんじゃないの?って思うし、何か抽象的だけど、"生き方"だった気がするよね、"バンドをやる"って。ライフスタイルって言い方は違うかもしれないけど、そうやって生きてきたから。突然バンドがなくなって普通に生きて行くってなったらどうして良いかわからないと思う(笑)"何やればいいんだろう?"みたいな。ずっとそうやって生きてきたから他の生き方がわからないというか(笑)普通に仕事して生きて行くことは出来るけどそうじゃないんだよなって。ここまでやれて幸せだなって思うしね。"ああ、ヘヴィメタル懐かしいね"って日々がもっと早く来ると思ってた。でもそうじゃなかったな。そうじゃない人生を送れる人が、1人でも多くなれば良いよね。

"ヘヴィメタルを懐かしむ日々"など、一生来てたまるものかと思っている。

AKIRAさん、どうか死ぬまで現役でいて下さい。それまで、自分も一緒に頑張りますので。

自分が言いたいことはそれだけだ。

あとがき

やはり濃い内容の回になったなと思う。

AKIRA氏の30年以上に渡る音楽人生を自分如きにまとめられるのかと思ったが、何とか形にすることが出来た。

本章でも述べた事だが、全く違う時代を生きたと言っても過言ではない自分とAKIRA氏がこうしてリズム隊を組み、バンドの土台を作り上げる仕事をしているというのは本当に奇跡のような話だ。

まして、YOUTHQUAKEという90年代のメタルシーンを代表するバンドをずっと続けて来た経緯があるAKIRA氏であるから尚更である。

YouTubeに落ちている90年代当時のYOUTHQUAKEのライブ映像を観ていると、やはりあの時代のエクスタシーレコードのバンド達が持っていたギザギザに尖った過激な雰囲気が物凄くあり、どこか別の世界で起きている出来事のようにも感じられる。

明らかに今の音楽シーンとはバンド側の姿勢も、観る側がバンドという存在に求めるものも大分違うのだろうという事は、実際に体験せずともその映像を観れば容易にわかる。

そしてその時代を超え、今もAKIRA氏がステージに立ち続けているからこそ、自分とAKIRA氏が今一緒のステージでプレイする事が出来ている。

この事実はとても素敵な事で、音楽を続ける醍醐味の1つであるかもしれない。

自分自身も、音楽を続けていれば今自分が残しているもの、例えばこの激人探訪や、色々な自分が携わっている音楽に何らかの影響を受けた自分よりずっと歳下の若い世代のミュージシャンと、一緒に音楽をプレイ出来る日が来るかもしれない。

そんな日が来る事を夢見て、今後も活動を続けていこうと思っている。

そんな下の世代とバンドをやるのは自分にどんな感覚をもたらすのだろうか?

そればかりは実際に体感してみないとわからないし、それはドラム、音楽をずっと続けていかないと得られないものでもある。

"YU-TOのドラムとの相性バッチリですね!"

と誰かがAKIRA氏に言うと、必ずAKIRA氏はこう言う。

"合わせてあげてるんですよ"

今後も合わせてもらえるように頑張りますね(笑)

                                                                                       2020/8/3 YU-TO SUGANO

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