優しさって処世術

あらすじ
・優しさそれ自体は美徳じゃない
・優しさには巧拙があるし、強さも必要
・強くなろう


押しつけがましい人って、いる。

すぐ自分の得意分野に引っ張り込もうとする。
上から目線で説教を垂れて尊敬されたがる。
自分のことしか考えていないから、やり方もタイミングも親切にする相手も間違えている。

結果、疎ましがられる。
人の温もりを求めているのに人の中では生きられない悲しきモンスター、彼の望むものは永久に手に入らない。


翻って、自分はけっこう優しいヤツだと思う

他人に親切にするのが好きだし、金銭的・労力的なコストもあんまり厭わない方だ。
それで感謝してもらえたら人一倍うかれてしまう。
逆に他人に嫌われたり怒られたりするのはすごく苦手だから、そういうのはなるべく避けようともしている。

でもそれって、そんなに褒められたことか?


優しさって処世術だ。

人が人に優しくする動機って、突き詰めれば
・自分が気持ち良くなりたいから
・何らかの見返りを期待して
のどちらかに帰着する。
別に美徳とかじゃない。他人や社会と上手くやってくためのものだ。

その点は自称・優しい俺くんも、前述のモンスター達と何も変わらない。
徹頭徹尾自分のため。
当たり前だよなあ?


この事実はどう言葉を弄してもごまかせなくて、優しさは尊いものだと思って生きて来た自分は一人で考え込んで勝手に落ち込んだりしていた。
結局すべては自分のためなんだから、自己犠牲にも利他精神にも尊いもクソもない。そんな優しさに価値なんてない、ってね。

でもあんまり関係なかった。
価値なんてないって思ってても、人に優しくすると気分がいい。
感謝までしてもらえたら更に倍率ドン

人に優しくすると気分が良くなるのは、きっと本能に近いところに埋め込まれたプロトコルだ。
尊いものに殉じるから気分が良くなる訳じゃない。利己的だろうが美徳じゃなかろうが、気分がいいもんはいい。
それを自覚してからずいぶん楽になった。


それに気付くと、優しさもどんどん合理的になって来る。
・過度な自己犠牲は効率が悪いからダメ
・自分が得意なことでも相手が必要としていなければダメ
・親切アピールはよっぽど上手にやらないと鼻につくのでダメ
・親切がスベっても恨み言は逆効果なのでダメ、学びを活かして次に行く
・ダメダメばっかりじゃ試行回数が減る、失敗を恐れず果敢に人と関わる

尊いから、価値があるから優しくするんだってイデオロギーの中では気付けなかったことばかり。
優しさ自体に価値を見出さなくなってから逆に上達したと思う。縛りプレイをやめたわけだ。


自分のためにするって事を明確に意識すると、自然と相手のことを真剣に考えられるようになる。
自分のため=感謝されるため=相手のため
このシンプルな図式に、美徳だの尊さだの余分なものが入り込む余地はないからだ。

利害が一致した他人と協力関係を築く。
優しさ自体に価値がなくても、それはとっても素晴らしいことでしょう?


無神経な事を言って人を傷つけたり、イライラして乱暴な言葉をぶつけたりする事も人間なので当然ある。昔はそういう時に自分を責めて落ち込んだりしてたけど、それもだいぶ減った。

美徳だの尊さだの言ってたら、失敗すると自分がそれを失ったように感じてしまう。
でも失敗はただ技術的にヘタクソだっただけ。疲れていて実力が発揮できなかっただけ。これから上達できるし、コンディションを整えて再挑戦すればいいだけの話だ。


優しさは技術。
スポーツやゲームと同じで巧拙があるし、追い詰められていれば実力を発揮できない。

失敗を重ねながら学んでいくこと、肉体的にも経済的にも強くあること。
それが優しさの秘訣です。
やっていきましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?