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黄梅院

黄梅院(おうばいいん)は、大徳寺の塔頭。

千利休作庭と伝わる苔一面の直中庭が美しい。

永禄5年(1562年)に織田信長が父・信秀の追善供養のため春林宗俶(大徳寺98世)を迎えて創建、黄梅庵と名付けられた。

天正10年(1582年)の本能寺の変により信長が急逝し、その葬儀が羽柴秀吉により大徳寺で盛大に行われた。秀吉は信長の塔所として黄梅庵を改築したが、主君の塔所としては小さすぎるという理由から大徳寺山内に総見院を新たに創建

その後、春林の法嗣の玉仲宗琇(大徳寺112世)が入寺し、小早川隆景の帰依を受け、堂宇を整備。黄梅院と改められた。天正16年(1588年)に隆景の援助で本堂が建立されている。当院は近世を通じて小早川氏の宗家の毛利氏の保護下にあった。

直中庭(じきちゅうてい)
書院南庭。千利休62歳の時に作られたと伝える苔一面の枯山水庭園で、豊臣秀吉の希望による瓢箪を象った池を手前に配し、加藤清正が持ち帰った朝鮮灯籠が据えられている。
破頭庭(はとうてい)
本堂の前庭にあたる簡素な庭で、天正年間に作られたといわれる。
作仏庭(さぶつてい)
本堂の北裏側にある庭で、生々流転(しょうじょうるてん)を表しているという。

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