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興臨院

興臨院(こうりんいん)は、大徳寺の塔頭。通常は公開されていない。

大永年間(1521年- 1528年)に、能登国の戦国大名・畠山義総が大徳寺86世の小渓紹ふ(「ふ」は「付」の下に「心」、仏智大通禅師)を開山として建立

その後、畠山家が没落するが天正14年(1586年)に加賀百万石の基礎を築いた戦国大名・前田利家により改修が行われ、前田家の菩提寺となり庇護される。

室町時代の方丈建築様式の特徴をみせる入母屋造・檜皮葺の建物。床の間は日本で最初のものであるといわれる。また、かつて狩野元信や土佐光信などの障壁画を飾っていたとされるが幕末から明治維新の混乱期に失われた。

涵虚亭(かんきょてい) - 蘇軾の詩から名付けられた古田織部好みの四畳台目に隅板を加えた茶室で、床の間は袖壁が出ているために洞のように見えることから洞床(ほらどこ)と呼ばれている。

方丈前庭 は1978年、方丈の解体修理完成時に資料を基にして中根金作により復元されたもので、白砂に石組を配し、理想的な蓬萊世界を表したものという

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