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Sun-kissed

太陽に口づけされた彼女は、
綺麗な色をして
夏という季節の奥に
走り去ってしまった


夏が始まる頃、この形容詞を知った

「日に焼けた」「日焼けした」という意味を持つ


年齢を重ねて過ごす夏数が増えるたび、日焼け、というものはなんだか呪うべき相手のように思える。

肌アレを起こす、カワが剥けちゃう、シミになる…日光から肌を「守る」ために日焼け止めはもう無くてはならない存在だ。数ヶ月のあいだ我こそという顔でポーチ内に鎮座する。ちょっと邪魔だけど、いてもらわなきゃ困る。



けれど今年、日焼け止めを塗らずに一夏を謳歌することにした。

ちょっとした好奇心かも知れないし、健康的な肌いろに憧れてしまったからかも分からない。当然行うべきとされる日焼け対策はほんの少し面倒で、窮屈で。
どことなくこれまでと違う夏、ハタチの特別な夏を過ごしたかった、かも。

そんなこんなで陽の間を隔てるものはなく、わたしは太陽光との戯れに勤しんだ。



始めはちょっとどきどきした。

顔に眼鏡のカタチがついたら、お化粧前の鏡前、恥ずかしいかも知れない。
公園でひなたぼっこなんてしてたら、お風呂のお湯がしみちゃうかも知れない。


けど1週間くらいすると、慣れてくる。

ちょっとやそっと外に出たくらいじゃ憧れたあの褐色の肌にはならないんだ。つかの間がっかりした。その後はまた陽を浴びながら、つつと日常に泳いだ。




さて、夏の背中に続き、ふわふわとした羊毛が大群で空を漂い始めた日。

決まりきったいつもの道順で外を歩き、終りは城跡公園に赤ピンを止める。
ただこの日は、階段の途中に硬い小石が靴中へ滑りこんでしまった。深く踏んでしまわないよう片足を気遣いながら本丸へ向かい東屋の一人幅にそっと座る。
夏中履いた赤いエスパドリーユを手に取り、小石を靴外へ放り投げた。案外遠くまで飛んだ。

一仕事終えたような気分でそのまま足をぶらつかせていた。ふ、と上下に組んでいた足に目をやる。すると気にいりの靴のカタチに色づいた足が、そこにあった。


惚れ惚れするほどのツートーンカラー。

陽に晒す肌は薄めた胡桃色、晒さずに仕舞っておいた方は未だ白さを湛えたうすだいだい。わたしはこの2色を区切る線を見て、本当に本当に、嬉しくなった。



自身の変化は、あまり実感がない。
なんとなく日々を過ごすうちに月の数字が増えていく。細胞を日々こっそりと入れ替えながら、生きてみる。
そうこうするうちに「わたし」という入れ物は、20年も持ちこたえた。これは本当に素晴らしいことなのだと思う。

眼下に伸びる23.5㎝の季節の移ろいは、わたしがハタチの夏を生きたというマギレもない明かしだった。



足先を眺めているうちに陽が傾いた。また赤色の靴でうすだいだいを隠し、この日は帰路につく。
家に着いてすぐ気持ちの高ぶりのままちょっと誇らしく足色を見せてみると、母が口にしたのは、「シミになっても知らないよ」だった。

拍子抜けでちょっと変な顔を見せてしまった気がするけど、その言葉をすんなり放ってしまうくらい、このツー・トーンが愛おしい。
とても大切に、大切に、撫でていたい。


月を重ねるうちにどこかへ行ってしまう。
この誇らしい2色のはだいろも、自分ですらよく理解し得ない気持ちの揺らぎも。


けれどわたしは留めておく。
わたしの20年目の夏は、太陽に口づけされたとっておきの夏だったということ。




#コーヒータウン
#盛岡という星で
#日記
#日焼け

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