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いつか死ぬ僕らのキラカード ーちばぎん ラストライブ

上京して7年、ずいぶん聴く音楽が変わった。

今、AirPodsから流れている音楽は、最近出会った友人が勧めてくれたシティポップだ。

銀杏BOYZ、大森靖子、ナンバーガール、ゆらゆら帝国、ミドリ、黒猫チェルシー。何もない田舎で、iPodで繰り返し繰り返しそればかり聴いていたアーティストたちは、最近の邦ロックや、シティポップやらヒップポップやらに沈んで、Apple Musicのシャッフル機能で、たまにふわりと浮上するだけ。

あまりの閉塞感に息がうまくできなくなって、わけもわからず泣いていた夜に、救いを求めるように必死に聴いていたバンド「神聖かまってちゃん」も、今ではそんなアーティストのひとつだ。

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2020年1月13日、Zepp DiverCityで開催された「メランコリー×メランコリー」ツアー最終日。

ゆりかもめに揺られながら、斜向かいに座る女の子に目を向けると、イヤホンで音楽を聴きながら、寂しそうな顔をしている。

赤いアイシャドウで目元を囲み、マスクをした高校生くらいの彼女は、あの頃の私にそっくりだった。

神聖かまってちゃんのライブに行くのは、思えば6年ぶりだ。

2014年、恵比寿リキッドルーム。
の子がmonoに掴みかかり、スタッフにステージから降ろされた。ちばぎんが土下座して、「こんなバンド辞めてえ!」と言って、私たち観客は笑っていた。

あの時からもう6年。

今日は、ちばぎんのラストライブだ。

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「xx君も、神聖かまってちゃん、だっけ、好きらしいよ」 

放課後、高校最後の文化祭の準備をしながら、友達が教えてくれた。

つまんねー、みんな死ね、と思いながら、学校に行きたくないと心で叫びながら、お友達ごっこをしているのは、私だけじゃなかった。丸2年も、君はどこにいたんだ。

友達に手を引かれ、騒がしい放課後の廊下を抜けて、ドキドキしながら彼を見に行った。
小窓から教室の中を覗く。サッカー部で万年補欠らしい彼は、残念ながら、顔も全くタイプではなかった。

それでも、私は「彼も神聖かまってちゃんが好き」というだけで、すでに彼のことを好きになっていた。

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Zeppに到着して、一通りツイートをチェックする。ちばぎんのツイートに、私まで少し緊張してくる。

久々のかまってちゃんのライブ。熱量の高いファンに引け目を感じ、あまり前方に行けなかった私は、会場中央あたりのモニター前にいることにした。

18時、まだライブは始まらない。

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高校最後の文化祭当日、私はずっと彼を探していた。

汗とダンボールの匂いのする廊下で、彼を見つけた。文化祭の浮ついた雰囲気を味方にして、私は勢いで話しかけた。

「かまってちゃん、私も好きなんだ。」

彼は挙動不審で、明らかに戸惑っていたけど、確実に嬉しそうでもあった。すぐに赤外線でメールアドレスを交換した。手が震えていたと思う。

その後、メールのやり取りをして、CDを借りて(確か「バンドじゃないもん!」の新譜だった)、何度目かの一緒の帰り道に、告白されて、付き合った。

普通すぎる流れで付き合った私たちは、どこまでも普通のカップルだった。放課後に一緒に勉強して、話題の映画を見て、公園でキスをして。あまりにも普通だったので、ほとんど覚えていないくらいだ。神聖かまってちゃんが好き、それ以外のことはそもそも求めていなかったのだから。

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18時を5分ほどすぎて、会場が暗くなる。慌ててスマホをポケットに入れた。すぐにステージがパッと明るくなって、歓声が上がる。

4人は、私がいる場所からはほとんど見えなかった。
モニターを見ると、光が強すぎて、4人とも発光しているようだった。やっぱり私の神様みたいな存在だ、と思って、感傷的になっている自分に気づいて恥ずかしくなった。

「いつだって終わりはくる。人生でもなんでも。今日はまた一つの終わり。神聖かまってちゃんとして一つの終わりがくる」

の子の最初の言葉に、一気に会場がつかまれるのがわかる。

「お前ら、終わりの終わりまで、叫べ、動け、お前らの衝動をくれよ」

あの頃と変わらない、私たちにとって、強くて優しい、本当の言葉たち。

「別に歌わなくたっていい、垂直立ちでもなんでもいい、体育すわりでもいい、なんでもいい、ただその、衝動をくれ。全部感じ取ってやるから」

1曲目の「怒鳴るゆめ」を、私は垂直だちで、一緒に歌った。

るーるらら。

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私の上京を機に、彼とはあっさり別れた。

東京の生活は楽しくて、あの頃感じていた閉塞感はいくらか和らいだ。たくさんの人との出会いの中で、彼のこともすぐに忘れてしまった。

私よりずっとたくさん邦ロックを知っているあの子、ドライブでおしゃれなシティポップを流すあの子、私の好きそうなヒップホップを教えてくれたあの子。私が嫌いだったメロコアの魅力をうざったく語るあの子。

色々な人と会って、色々な経験をして、色々な感情を知るたび、色々な音楽が好きになる。

かまってちゃんは、その分だけ、どんどん聴かなくなっていって、23歳の夏休みには、九十九里浜に行こうとしてグーグルマップで調べたけど、遠くてやめた。かまってちゃんは進撃の巨人の主題歌になった。好きなアーティストでかまってちゃんの名前をあげなくなった。ネオニーが死んだ。カラオケで「夕方のピアノ」を歌わなくなった。monoが離婚した。私は大学を卒業して、普通に就職して、毎朝ちゃんと起きて、仕事に向かう。ちばぎんは今日脱退する。

私もかまってちゃんも、あっさりと変わっていった。

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Apple Musicで聴いた『児童カルテ』は、どこか懐かしさを感じるアルバムだ。『友達を殺してまで。』、『みんな死ね』と同じような、メロディアスで聴きやすい楽曲に、鬱々とした歌詞。

中央線に飛びこんで
傍迷惑な奴だと言われて
いつだってそこにいたんだ
少女はさっさと死んじゃった

もちろん、進化はしている。着実に演奏は上手くなっていて、隙がない、すごくすごく綺麗な曲だ。それでも、かまってちゃんらしさが強く感じられて、「るるちゃんの自殺配信」を初めて聴いた時に、やっぱりこのバンドが好きだと嬉しくなった。

中央線に飛び込んで、傍迷惑な奴だと言われて。

人混みの合間にチラチラと見えるの子に合わせて、新曲を口ずさみながら、私はあの頃に戻った気持ちだった。

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色々な人に出会って、少しずつ変化していく一方で、特別なことなんて何にもできず、存在しているのかもわからない、夢を見てきた東京で相変わらずくすぶっている私もいる。

人付き合いはやっぱり苦手で、LINEの未読は溜まっていくし、Instagramは苦しくなるから見られない。リアルな友人と全く繋がっていないTwitterばかりを延々と見ている。

いつまでも何者にもなれずに、休日はベッドでYoutubeを見ながら、かろうじてコンビニだけ行く生活をして、このまま人生が終わっていくのだろうか。

東京は楽しいけれど、この生きづらさは変わらない。多分、ずっと変わらない。いつまでも、新宿駅で迷子になっては、途方に暮れる。

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聴き馴染みのあるイントロが流れる。の子のボイスチェンジした高い声が会場に響く。

「諦めなよ」黙れまじで
少し寂しいからやってみるよここからさ
動けないよ 見つけたスタートでエロビデオ見てるだけ

世界がつまらなくて、みんな死ねばよくて、諦めているのに期待している。頑張ろうとして頑張れない。器用に見えて不器用で、カッコつけようとするのにクソダサい。

かまってちゃんは、こんな綺麗なメロディーにのせて、いつまでも変わらない本当の私たちを歌ってしまう。

の子と一緒に「ファッキュー」と叫んだ私は、久々に、すごく本当の私だった。

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もっと東京で輝いていたはずの私は、いつものように二日酔いで寝込みながら、LINEチケットで神聖かまってちゃんを検索した。一体、いつまで酒に溺れるんだ私は。

最悪の体調の中で、クソな人生について考えていたら、かまってちゃんが聴きたくなった。せめて、ちばぎんが脱退する前に、一度ライブに行かないと、ただでさえ後悔ばかりの人生に、さらに後悔が増える気がした。

この勢いで彼も誘ってみようかと思ったけど、もし彼が変わってしまったとして、もうかまってちゃんを聴いてなかったらと思って、チケットは一枚だけにした。

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「35歳になっちまったけども、いろんな変化あるけれども、そんなの知ったこっちゃねー!」 

大好きな曲の途中で、の子が叫ぶ。

大人になっていく僕らは、いつになったらちゃんと大人になれるんだろうか、大丈夫になれるんだろうか。いや、そのことにどれだけの意味があるだろうか。

風に吹かれてしまおう
落ち葉のようになり果てよう
考えて生きていくような価値なんて
どこにあるんだと僕は思うのです

月日は流れていく。変わっていくことの意味なんてなくて、ただ淡々と時間がすぎていく。

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2年後に2年前の今の僕らを
笑い飛ばせるように
時折僕ら真ん中道歩けますように

「最後の曲でした」とちばぎんは言ったけれど、最後の曲ではないことはみんなが知っている。

「最後はあるんだよ」

そう言い放ってステージを去ったの子を見送って、観客のちばぎんコールが始まる。

終わりの終わりが近づいてくる。

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ここ数日は、連日二日酔いで、あらゆる予定を断っていた。ライブ当日はお昼までに起きたけれど、内臓の底から身体がだるい。

新橋駅を降りて、久々にかまってちゃんを聴きながら、ゆりかもめに乗った。

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長いちばぎんコールの間、の子は、ちばぎんはどんな気持ちだったのか。

アンコールは、私たちが聴きたかった名曲ばかり。天文学、ロックンロール、フロメモ。終わっていくのがわかる。

最後のMCなのに、何を言ってるかわからないmono、空気の読めないみさこ、人の話を遮るの子、優しくつっこむちばぎん。最後のMCも、いつまでも噛み合わないグダグダな4人が嬉しい。

「終わりはくるんだよ。終わりはもうすぐでくるぞ。」

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ゆりかもめに揺られて、斜向かいの女の子を眺めながら、彼のことを考えていた。

彼に偶然会えたら、なんて妄想しながら、もう一生会わないような気もする。

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ダブルアンコール。終わりの終わりが始まった。

「最後はある。死はある。」

俺MCしねえもん、と笑いながら、の子の長いMCが始まる。

「この中に、成功している人も、失敗している人も、いっぱいいると思う。死は平等にやってくる。それはすぐくる。」

絶対的に横たわる死は、救いようもない恐ろしさがあるけれど、一方で、その事実のみが救いである気もする。

その生々しい感覚だけは、あの頃からはっきりと変わらない。かまってちゃんと私の間で共鳴する鮮明な感覚。

「あれをやっておけばよかった、あの場所に一とけばよかった。あの時にあの思いを伝えておけばよかった。って絶対思うんだよ。どんだけやっても絶対に思うんだよ。」

私たちは死ぬ。そして死ぬ前には悔いが残る。絶対に。

「悔いがちょっとでも残るから。これ。THIS。この瞬間、もっともっと感情を爆発させておけばよかったと、お前は思うだろう。将来、死ぬ前に。だから今やるんだよ。だから今やるんだよ。」

最後を前にした私たちにとって、この場所のこの瞬間の衝動を、感じ合う他に、何が本当のことがあるだろうか。

「最後だよ!」「最後ですねえ」

チグハグに叫ぶみさことmonoの後に、「タイトルコールいえ」とちばぎんにパスを出すの子。

「お前ら、一緒に歌ってね。」と、ちばぎんのやさしい声がタイトルコールをする。「23歳の夏休み」の合唱が始まる。

ギアをあげて今を過ごしています
ひどすぎる夏休み走り出す
君が僕にくれたあのキラカード
その背中に貼り付けてやるよ
今すぐに

の子は、30年前に、幼稚園時代にちばぎんから盗んだキラカードを見つけたと報告し、ちばぎんの背中に貼り付ける。

僕たちの、ひどすぎる夏休み。明らかな一つの終わりの終わりが近づいてきて、私たちは泣いていた。

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「終わらせねえぞ!!」

何度も何度もそういって、なかなか終わらせないの子。

グダグタと続く時間、早く終わってほしいような、永遠に続いてほしいようなそんな終わりの終わり。

るーるらら

いつか全部終わる、私たちは死ぬ。夢を見た少年少女も、絶対に死ぬ。

るーるらら

終わりの終わりのその瞬間まで。

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翌朝、当たり前のように私は仕事に行って、かまってちゃんを聴きながら、死んだ顔でPCに向かう。

私のスマホを見た先輩が「え、神聖かまってちゃんとか聴く系なんだ」と引き気味に言ってくる。「いや、昔は聴いてたんですけど、なんか久々に聴きたくなって」ととっさに返す。

昨日のことはもう夢みたい。死に向かっていく長い一日。

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「神聖かまってちゃんじゃなくなった初日ってどんな感じなんだろ」とちばぎんに思いを馳せながら、新宿駅のホームで、私はもう別のアーティストの曲を聴いていた。

結局ライブにもいなかった彼は、私と同じか、それよりもっと、かまってちゃんから離れているのだろう。

それでも、絶対的な死が生み出す、絶望と希望の間に存在する今この時という圧倒的な真実をもって、私はかまってちゃんと繋がっていく。

大人になったとか、変わったとかなんて、どうでもいいくらい。私は、終わりの終わりまで何度も、ここに戻ってくる。