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食べることと生きること

 日頃、死について考えていることを、ゆるゆると書いていきます。
 今回は、食べることについて。

 人は、何かを食べなければ生きていけません。だから、私が死について考える中で食べることについて考えようと思ったのも、自然なことではないかと思います。

 人間は、植物と違って生きるために必要なものを自分では作り出せないので、何かを食べて生きています。そして、食べ物はほとんどの場合、他の生き物です。だから、生きるためには、動物であれ植物であれ、他の生き物の命をいただかなくてはなりません。自分は死にたくないのに、生きようとすると他の生き物の命を奪ってしまう、そんな葛藤があります。

 昔、珊瑚や地衣類に憧れていたことがありました。
 私はずっと珊瑚は植物だと思っていたのですが、実は動物らしいです。固い家(枝のように伸びている、あれです)を作って暮らしています。珊瑚は一人暮らしをしているわけではなく、褐虫藻という植物プランクトンと同居しています。珊瑚が赤いのは、この植物プランクトンの色だそうです。
 珊瑚は、褐虫藻に固くて安全で日当たりの良い家や、自分が生きるうえで排出した二酸化炭素などを提供する代わりに、褐虫藻から光合成で生じた酸素や、生きるのに必要な栄養をもらっています。

 地衣類は、光合成をするシアノバクテリアと一緒に生きている菌類です。菌類の部分を地衣類と呼ぶのが、菌類とシアノバクテリアを合わせて地衣類と呼ぶのか、よく分からないのですが、ここでは取り敢えず置いておくことにします。
 菌類が自分の体に水分を溜めておけるので、シアノバクテリアはそれを使って、光合成を行います。だから、水が少ない乾いた場所でも、地衣類は生きていくことができるそうです。菌類は、シアノバクテリアから生きるのに必要なものをもらいます。

 珊瑚も、地衣類(菌類)も、自分だけでは生きていけませんが、植物プランクトンやシアノバクテリアと一緒にいることで生きていけます。さらに、褐虫藻やシアノバクテリアにとっても、良いことがあります。二つの生き物、どっちにとっても得な生き方です。
 この話を聞いたとき、私は「何だか優しい生き方だなぁ」と思ったのを覚えています。

 しかし、私は人間です。これは、私が生きている間、ずっと変えることのできない事実です。体内にシアノバクテリアを住まわせて、一緒に生きていくことはできません。だから、やっぱり何かを食べる必要があります。

 最近、ヴィーガンという言葉を知りました。肉や魚だけでなく、卵や牛乳、蜂蜜も食べないベジタリアンのことを指すそうです。決まりごとは人によって違うと思いますが、食べ物だけでなく、皮製品など、動物が使用された製品を使わないという方もいらっしゃるそうです。
 動物を苦しめないため、また健康的な生活のために、このような生き方をされていると思うのですが、自由に買い物ができない、周囲の人の理解が得られないなど、現代の生活の中で実戦していくのは大変だと思います。それでも、生きるためには食べなければならない、食べるためには殺さなくてはならない、という人間の宿命と向き合っていこうとするのは、すごいことだと思います。

 私自身は、基本的に何でも食べますし、動物がすごく好きというわけでもありません。(だからといって、積極的に傷付けたいとも思わないのですが……。)
 だから、死について考えることがなければ、ヴィーガンという生き方を選択した人々のことも、食べることについての問題も、考えることがなかったのかもしれないな、と思います。

 珊瑚や地衣類などの他の生き方からも、他の人々の生き方からも、学ぶこと、考えさせられることが沢山あります。普段自分が当たり前だと思っていることを疑ってみて、様々な人や生き物の暮らし方から学んで、自分の生き方を考えていけたら良いなど思います。
「死ぬのが怖い」という気持ちは、私にとって、消してしまいたいものであると同時に、様々なことを知りたいと思う原動力になっているような気がします。

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