死を想う2

人は死んだらどうなるの?:認識できない世界を考える

 日頃、死について考えていることを、ゆるゆると書いていきます。
 今回は、死後の世界について。

 死について考えるうえで、個人的に避けては通れないのが、「死後に自分はどうなるのか」という問題です。これは、人によって様々な考え方があると思います。

 本を読んでいても、色々な考え方に出会いました。「死後は全くの無である」と書いている人もいれば、「輪廻転生する」として、その仕組みを詳しく書いている人もいます。また「死後は意識だけの存在になる」と書いている人もいます。私の読んだ本の中には、たまたま書いていませんでしたが「天国か地獄に行く」と思っている人もいると思います。

 私は基本的に、死後のことについては「よく分からない」と思っています。明確に「これは間違っている!」と思わない限りは、可能性を考えることにしているので、「生まれ変わるかもしれないし、何もなくなるかもしれないし、意識だけの存在になるかもしれないし……」と思っています。
 しかし、いずれ訪れる死後に対して、全く予想も立たず、自分なりに納得することもできないと、どんどん不安になってきてしまいます。そこで、本を読んだり、人と話したりして色々な説を取り入れて、ああかもしれない、こうかもしれない、と考えます。その結果、自分が追い詰められることもあれば、楽になることもあります。

 先日、面白い話を聞きました。
 私たちもこの世界も、細かく分けていけば分子や原子でできています。その原子は、中性子、陽子や電子でできていると習いました。さらに、それよりも小さいものがあって、それを量子というそうです。その量子は振動していて、止まってしまうと「無」になるというのです(私は物理に詳しくないので、間違っていたらごめんなさい)。
 つまり、私たちは振動でできているということになります。でも、そんなこと言われても、全然実感がありません。
 お話してくれた方によれば、さらに、私たちが認識している3次元(時間を入れて4次元?)の世界というのも本当は一部で、本当はもっと何次元もあるのだそうです。ただ、私たちには認識できないのだそうです。

 前回のnoteに感想を書いた、高柳和江さんの『続・死に方のコツ』という本の最後の方に、宇宙についての話がでてきます。宇宙が存在するのは、人間が宇宙を認識しているから。人間が認識できない宇宙は、(認識できないのであるかどうかも分かりませんが)超宇宙と呼ぶらしいです。

 高柳さんは、超宇宙ではどんな突飛なことがあっても不思議ではないのだから、そこが死後の世界だと考えることもできる、と書いていました。
 このことが、先日たまたま聞いた「すごく小さい振動」や「人間には認識できない次元」の話と繋がって、「私に認識できないものって、沢山あるんだなぁ。自分が認識できないところでは、何があるか分からないから、死んだ後も何かしら残るのかもしれない」という風に思いました。

 この前「死後は無である」という本を読んだときも「そうなのか!」と思った私ですから、「死後も何かあるかもしれない」と思ったこともそんなに当てにはならないかもしれません。それに、死後の世界があったとしても、すごく悪いところだったら、いっそのこと何もなくなってしまった方が良いような気もします。勿論、とても良い世界だったら是非行きたいのですが……。

 私には、実際に死後どうなるかは決めることができません。しかし、「死後こうなるんだろうな」と勝手に考えることはできます。だから、なるべく素敵な死後を思い描いて、毎日、心配せずに楽しく生きていきたいです。
 でも、何の根拠もないことをずっと信じ続けるというのも大変なので、やっぱり色々な人に聞いてみたり、本を読んだりして自分が納得できるようなものを探し続けるのが、大切なことなのかなと思います。

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