見出し画像

「何もしないから大切なんだ」:逆転の考え方

 日頃、死について考えていることを、ゆるゆると書いていきます。
 今回は、前回に引き続き、河合隼雄『こころと人生』の感想を書いていきたいと思います。
※私の感想を書いていくので、本の内容には深く触れませんが、これから読まれる方にはネタばらしになってしまうかもしれないので、ご注意ください。

 前回は、人生の後半に、それまでの「どうやって生きるか」という問題とは異なる「どうやって死んでいくのか」「何のために生きているのか」という課題に直面するということについて考えました。
 今回は、著者の語った「逆転の考え方」について考えていきたいと思います。

 「逆転の考え方」というのは、「普通の考え方とまるっきり逆の考え方をしていくこと」だそうです。本の中では、子供が不登校になったとき、大変だと思うところを、でもそれをきっかけにして夫婦の対話が生まれたから、大切なことだったんだ、などと捉え直すという例が挙げられていました。

 私たちは普段、「何ができるか」をとても重要視して生きているそうです。どんな仕事ができるか、どれくらいお金が稼げるか、そういったことは、生きていくうえでとても重要なことです。
 しかし、人間は次第に老いていき、全ての人がいつかは死んでしまいます。その中で、段々とできないことが増えていくかもしれません。

「何ができるか」を重視して生活をしている私は、段々できないことが増えていくのは、何となく嫌なことだなと感じています。
 しかしそこで、著者はこう言っています。「お年寄りというのは、頑張って何かをしているというのじゃなくて、逆に、何もしないから大切なんだ」。

 このお話で思い出したのは、ミヒャエル・エンデの『モモ』というお話です。児童文学なのですが、時間泥棒という人達が、言葉巧みに街の人達の時間を盗んでいきます。街の人達は、幸せになろうとして、どんどんどんどん忙しく働くようになるのですが、そのことによって、かえって時間を失っていることに気付かないのです。

 「何ができるか」が重要だと思って生活している私は、この時間を失っている人たちと同じじゃないかと思うことがあります。でも、生きていくためには、一生懸命働かなければなりませんから、どうしても忙しくなってしまいますし、例えば、家族を養わなければならないという人は、もっともっと忙しくなるのではないかと思います。

 だからこそ、本の著者は「何もしないから大切だ」と言ったのではないかと思います。その姿を見て、私たちは『モモ』を読んだときのように、本当に大切なものは何かを考えるきっかけを得られるかもしれれません。そう考えると、「何もしないで生きる」ということは、とても難しいことで、その人がそこに存在していることに、すごく価値のあることなのではないかと思います。

 実際に自分がこれから年を取っていったときに、本に書かれていたように前向きな気持ちでいるかどうかは分かりませんが、この「何かするから大切」ではなく、「何もしないから大切なんだ」という逆転の考え方を、心に留めておこうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?