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『老いる勇気』前編

 日頃、死について考えていることを、ゆるゆると書いていきます。
 今回は、岸見一郎『老いる勇気』を読み始めたので、その感想を書きたいと思います。
※私が思ったことを書いていくので内容には詳しく触れませんが、これから読まれる方にはネタばらしになってしまうかもしれないので、ご注意ください。

 この本の著者は、哲学とアドラー心理学の研究をしているそうで、『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』など、有名な本を沢山書かれています。
 哲学と聞くと、私はとても難しい本をイメージするのですが、『老いる勇気』はとても読み易く、分かり易い本でした。老いや死、介護で悩んでいるという方におすすめしたい、とても素敵な本です。読むとちょっと気持ちが楽になるのではないかと思います。

 本の中には、「なるほど!」と思うことが多くて、何を書いたら良いか迷ったのですが、私は日々死について考えているので、老いや死など、「先のことが気になり過ぎてしまう」ことについて書きたいと思います。

 『先々のことを案じるのは、「今、ここ」をなおざりにしている』と著者は言います。
「あと何年生きられるだろうか」「もう人生の半分を過ぎてしまった」と先のことを考えて落ち込むよりも、「今、ここ」を楽しく生きた方が幸せなのではないか、ということです。
 人生は、ゴールに向かって走り続けるマラソンではなく、踊っているその瞬間瞬間が楽しいダンスのようなものだ、と著者は捉えています。死という結果が全てなのではなく、そこに向かうまでの過程それ自体に価値があるということでしょうか。

 自分が、いつ、どのようにして死ぬかは、考えても考えても分からないものです。いくら考えても分からないのだから、考えなくても良いというのは、その通りではないかと思います。来るかどうか分からない未来のことを案じるよりも、生きている今を大切にした方が幸せに生きていけるように思います。

 しかし、私の場合は、考えないようにしよう、考えないようにしようと思うほど考えてしまいます。「今を一生懸命生きよう!」と頭では思ったとしても、「人はいつか死ぬんだ」と考えるのをやめられず、気分が落ち込んでしまって、やる気が出ないこともあります。
 でも、「死ぬのが怖い」とずっと怯えているだけで、何もできなかったら、やっぱりその時間は勿体ないような気がします。そして、死への恐怖に加えて「人生の時間は限られているのに、私は一体何をしているんだ!」という焦りも生まれてきて、さらに落ち込んでしまうこともあります。

 ですが、考え方を少し変えてみると、死について考えている時間は、何もしていないわけではありません。死について考えいます。死について考えることしかできないといっても、死について考えることはできます。「死が怖くて、何も楽しいことはできない。時間が勿体ない!」と焦るくらいなら、楽しくはなくても死について全力で考えていれば、何もしていないことにはならない、むしろ一生懸命生きているのではないかという気がしてきました。

 本の著者は「余命は誰にも分かりません。この事実は変えられない。変えられるのは、私たち自身の意識です。」と書いています。今の私には、死の存在を忘れて毎日を楽しく生きることはできませんが、自分の意識が死に対して前向きに、もしくは、そこまでいかなくても毎日怖がらなくても良いように変化するまで、一生懸命死を考え続けていきたいと思います。
 死について考えるなかで、素敵な本と出会ったり、生きるうえで大切なことに気付いたりすることもあるかもしれません。また、「考えないようにしよう」と思うと考えてしまいますが、「考えなきゃ」と思うと考えたくなるなるかもしれないので、そうしたら結果的に、死ぬことばかり考えず、今を楽しく生きられるようになるのではないかと期待しています。

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