死を想う2

誰かを見送ることについて

 日頃、死について考えていることを、ゆるゆると書いていきます。
 今回は、誰かを見送ることについて。

 辛酸なめ子・寺井広樹『辛酸なめ子と寺井広樹の「あの世の歩き方」裏道マップ』という本を読み始めました。これは、臨死体験をした方々に取材をし、その内容をまとめた本です。沢山の方の経験が語られていますが、今回は、私が特に気になったウィリアム・レーネンさんのお話から、「誰かを見送ること」について考えたいと思います。
※主に私が考えたことを書いていくので、本の詳しい内容には触れませんが、これから読まれる予定の方は、ネタばらしになってしまうかもしれませんのでご注意ください。

 以前、介護士の友人と話したり、看護師の方の本を読んだりして、自分自身ではなく、「大切な誰かの死」について考えたことがありました。普段、私は自分の死についてばかり考えていますが、死は、誰も避けられないものなので、私だけでなく他のみんなにも訪れます。
 実際に身近な人が亡くなったときのことを考えると、どうしようもない不安と、恐怖を感じます。私は、大切な人とできるだけ長く一緒にいたいし、周りの人に、苦しんだり怖がったりして欲しくありません。私の大切な誰かが亡くなったとき、私はそれを受け入れて、生きていけるのだろうか……。あまり、自信がありません。

 しかし、本の中で、ウィリアムさんの次のように仰っています。
「悲しむのは3日間だけ。」
 ウィリアムさんは、遺された人がいつまでも死を悲しむのは、死んだ人のためにならない、ということを語っています。死後、魂が成長するのを妨げてしまうというのです。

 死後の世界を信じるかどうかは、取り敢えず置いておくとして、私は「他者の死をいつまでも悲しまない」という考え方に新鮮さを感じました。本の著者である寺井さんは、「亡くなった人の目線」を今まで考えたことがなかったと書いていますが、私も同じです。
「私はお別れが悲しいけれど、死んだあの人は、私に元気でいて欲しいと思っているかもしれない。」そのようなことを、今まで考えたことがありませんでした。 確かに、本当に辛いのは、亡くなった人ではなく、大切な人との別れを経験した「生き残った人」なのかもしれません。

 また、私は今まで、死は当然悲しく、恐ろしいものだと考えてきましたが、みんながそう思っているわけではないようです。世界には、人が亡くなったときに、あの世での誕生を祝って、歌ったり踊ったりして送り出す文化もあるそうです。死を前向きに捉える、私と全く異なる価値観があることに驚きました。

 ここまで、本で読んだ内容から「他の人の死を長く悲しまない」ことについて考えて来ましたが、このようなお話を聞いても、やっぱり私は、大切な人の死を受け入れられる自信がありません。でも、死は避けることができず、いつかは必ず訪れます。だから、私にできることは、生きているうちに、なるべく後悔のないように精一杯その人と一緒に過ごすことではないかと思います。
 そして、もしその人が私より先に亡くなったら。そのときは、ウィリアムさんのように3日で忘れるのが難しくても、例え何年かかかるとしても、今回本で読んだことを思い出して、「死んだあの人は、私に、元気に生きていって欲しいと思っているのではないか」と、死んだ人の目線を考えて、前向きになることができたら良いなと思います。

 
 

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