死を想う2

自分の固定観念に気付けば、死への恐怖は軽減される……?

 日頃、死について考えていることを、ゆるゆると書いていきます。
 今回は、死に対する固定観念について。

 最近、どこでだったか忘れてしまいましたが、臨死体験をした人の共通点について聞く(読む?)機会がありました。大雑把に言うとそれは、次のようなものでした。
 雑音のようなものが聞こえて、自分の体を上から見下ろして、何者かが現れて、自分の人生の価値を問われる。その時に、自分の人生を見せて、振り返りの手伝いをしてもらえる。その世界は、愛で満ちている。そして、突然生き返り、現実に戻ってくる……(かなりうろ覚えです)。
 へぇ、そんなことがあるのか。と思い、自分の死に際を想像してみます。

 まず、雑音が聞こえて、自分の体を見下ろして、何者かが現れて……。

 ……怖っ!

 この時点で、背中に寒気が走ります。よく分からない雑音が聞こえてくる状況がもう怖いし、何者かが現れるって、何者なんだ……? ファンタジック過ぎて、この世のものとは思えない怖さがある。実際あの世の出来事なので、この世のものではないのですが……。

 ここで、いつもの私なら、「あー、怖いな。死ぬの嫌だなー。」と考え始めます。しかし、今日はここで、以前調べたABC理論というものを思い出しました。

 ABC理論のABCとは、次のようなものです。
 A:Activating event(出来事)
 B:Belief system(信念)
 C:Consequence(結果)

 ある出来事(A)を、人は、自分が持つ信念(固定観念のようなものでしょうか)(B)を通して理解します。その結果、出来事に対する感情(C)が生じてくるという意味です。

 これを、先ほど、「死ぬの怖いなー」と思い始めていた私に当てはめてみます。まず、出来事(A)は、「死」。信念(B)は「死ぬときに私は、臨死体験者のような不思議な経験をするだろう」で、結果として出てきた感情(C)は、「怖い」です。

 ここで大切なのは、信念はあくまで信念であって、事実ではないということです。そのことを、私はよく忘れてしまいます。そして、不必要な恐怖を感じていることが、よくあるのです。

 今回であれば、「死ぬときに私は、臨死体験者のような不思議な経験をする」かどうかは分かりません。今生きている人は皆、死んだことがないので、確かめる術がないからです。そうすると、私は、実在するかどうか分からないものを恐れていることになります。
 私はよく、死後無になることや、死後生まれ変わることを恐れて眠れなくなるのですが、死後無になるかどうかは分からないし、死後生まれ変わるかどうかも分かりません。私が勝手に、自分の固定観念で、「死後はこうなるんだ」と決めつけて恐れているに過ぎないのです。

 このことに気付くと、「なぁんだ、自分で作り出した考えを恐れていたのか!」と思って気が楽になります。比較的気分の良いときに限りますが……。気分が落ち込んでいるときは、「分からないってことは、そうなるかもしれないってことだ……」と思ってそれでも落ち込みます。でも、「こうなるに違いない!」と思っているときと、「こうなるかもしれないし、ならないかもしれない」と思っている時では、やっぱり感じ方が違うので、強い悲しみや恐怖を感じたときには、自分が固定観念に囚われていないかを、一度冷静になって考えてみるようにしたいと思います。

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