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ローゼンメイデンを語る(長々考察)

漫画:ローゼンメイデンの愛蔵版を買い、ストーリーを読み解いた感想と考察を語る記事です。
ローゼンメイデンの世界観の延長をお見せできたらなと思います。
長いので好きな部分だけ目次から飛んでください。

原作のネタバレありきなので、それでもOKな人はどうぞお読みください!



ローゼンメイデンってどんな漫画だったか

この漫画、めちゃめちゃ流行ってオタクに人気だったから世間から勘違いされてる空気を感じている。
「かわいい女の子がかわいいことする作品でしょ?」と・・・
違うんだな、これが。

原作でやってることはいたって、最初から最後までまじめ。決してオタクが喜ぶことを見せるための漫画ではないのよ。

謎の人形師によって作られたアンティークドール。薔薇乙女シリーズ。
ひょんなことからその人形を手に入れた、引きこもり中学生のジュンが人形のネジを興味本位で巻くと、人形は動きだし、そのかわいい唇で話し出した。
私たちは闘わなくてはならない。姉妹同士で、たった一人になるまで。アリスに到達するために。

私たちは何のために生まれ、どうして闘わなければならないのか。
孤独や本能とどう向き合うか。

ジュンをはじめとした人間側の人生、人形視点から見た彼らの世界観を通して、哲学的な世界が展開されている。
「生きること」、「成長していくこと」がテーマなのだと読み終わった今では感じている。

そして、奇しくもこのアンパンマンパロの歌と趣旨が一致していた・・・だいたいあってるんだよな。


薔薇乙女たちの武器について考える

ローゼンメイデンは戦うお人形。彼女たちの武器について考察した。

薔薇乙女たちの武器は彼女たちの本質、長所の象徴だと考えた。
キャラ紹介も兼ねて語る。

・水銀燈(翼と羽)

第一ドール、つまり長女。この世の闇を美しく語る。一見攻撃的な人物。

彼女の強みは意志、欲望、使命である。アリスゲームに勝って、お父様の愛を得、復讐を遂げるという強い意志。

彼女はこのように意志を背負っていて、羽の形にしている。これを投げつけて物を傷つけることもできるし、意のままに動かして対象の動きを封じることもできる。または、翼の形に戻してどこへでも飛んでいくことができる。

意志があることによって、人は何でもできるよね。攻撃も防御も、離脱することも。
彼女が絆を軽視するのは「意志は孤独な性質を持つから」だと思う。
人は意志を持つときはいつだって一人だ。仲間と足並みそろえたりなんかしない。お腹が空いたとき、転職したいとき、旅に出たいとき。意志が生まれるときはいつだって一人だし、人は死ぬときは一人。それを見据えて彼女は「絆なんかくだらん」と宣うのだ。個人の意志がある限り人はバラバラになるからだ。

彼女が強いのは、第一ドールとして、ローゼンの強い意志を背負っているからだと考える。意志と欲望は何よりも強いパワー。武器である翼は強みでもあるし、十字架でもある。

・金糸雀(バイオリン)

第二ドール。明るくコミカル。雛苺と遊んでるときは幼く見られがちだが、誰よりもお姉さんしているしっかり者である。

武器は物事に対する真摯さ、努力。
その結果の象徴として、音楽、芸術・・からの、バイオリンなのだと思う。

彼女のバイオリンの音は何よりも美しく、人の心を動かす。美しい音を奏でるには、相当の努力とひた向きさが必要。彼女が桜田家を毎日欠かさず観察していたことからも、彼女が努力できる子だというのが分かる。

2部で真紅たちが雪華綺晶の水晶のフィールドに閉じ込められたシーンにて、バイオリンの音で幻想を打ち破るシーンからこれに気が付いた。金糸雀の武器は美しい音なのだって。

金糸雀は努力家。努力による成果は何よりも強力。普段、コミカルで抜けている部分があれど、なかなかに戦闘力があり、姉妹たちから一目置かれているのはそれが証拠なのかもしれない。

・翠星石(ジョウロ)

第三ドール。双子の姉。淑女の見た目だが、魂は獣でべらんめえ口調が散見される。惚れたマスターには一途である。

彼女の力は、心の生命力を増強させることだと思う。交感神経、アクセルを踏む力的な。彼女が振りまく水は生命力でパワー。

夢という精神世界の中で彼女が水を与えた草木はよく成長する。何が起こっているかというと、心の中の事象を拡大、増強できるというわけ。幸せを2倍に感じさせることもできるし、トラウマの記憶に縛り付けることもできる。

翠星石って、勢いがいい言葉遣いをたまにするよね。「茶をしばく」、「犬にかまれて死ね」とか。それも、あふれ出る生命力からの勢いからだよね。

・蒼星石(ハサミ)

第四ドール。双子の妹。ボーイッシュなガール、理知的。

翠星石と反対で、理性を担当している。副交感神経、ブレーキともいえる。
彼女のハサミは、あふれ出る本能を調整するためのもの。本能を抑えて美しく整える力。

翠星石と蒼星石は二人一緒じゃないと意味がない。それは双子だから、という安易な表現だからではない。本能と理性、交感神経と副交感神経のような存在なのだと思う。どちらかが欠けていたら意味を成さない存在なんだと思う。人間、本能だけ、理性だけだったら成り立たない。でも、ひとつの人格にするにはバラバラすぎる。だから双子。そんな感じ。

彼女がハサミで剪定してくれるから薔薇が美しく咲くように、理性が本能を整えてくれるから心は適切な状態たりうるのだと思う。ハサミは何かを断ち切る力だ。悲しい記憶を断ち切ったり、自分に必要な教訓も捨ててしまえる。

蒼星石の武器は理性の象徴。でも、蒼星石自身はアイデンティティがないことに悩んでいた。双子であること以外に自分がない。自我が薄いから、マスターに従順であろうとするし、言葉の裏を読み取れず、文字通りに解釈してしまうこともある。自分の意思が分からないからね。仕事はできるけど、これがやりたいとかの自分の意思がない。ハサミ(理性)は持ち手(脳)を必要とする。

彼女は理性そのものだから、その分主たるマスターを司令塔として誰よりも必要としているのかもと思った。

・真紅(薔薇の花びら)

第五ドール。マスターおよび人間のことは全員下僕だと思っている。何の理由もなく上のポジションを取り、淹れてもらった紅茶に文句を言うである。なお、しっかり愛情はあるのでハラスメントではないと思う。

彼女は信念、高潔な精神。
「自分はこうありたい」と思い、実現させようとする心。
真紅ははじめから、自分の信念を持ちそれに沿って行動していた。彼女は迷わない。お父様から愛されることよりも、自分の理想を実現する。
苦手な水銀燈に謝ったり、敗北した雛苺を奴隷に迎え入れたり、究極は雪華綺晶にすべてを譲り渡そうとした。

彼女の信念はすでに花開いている。完成している。その信念のひとかけらを具現化したのが「薔薇の花びら」なんだろうなと思った。
水銀燈の羽はメガネにひびを付ける鋭利さがあるけど、花びらの形は丸く、誰も傷つけない。ここからも彼女の理想の気高さが分かるよね。


真紅が水銀燈と不仲なのは対局の存在だからだと思った。水銀燈も真紅も近い武器を持っている。2人とも、「意思や願望」をパワーとするのは同じだからだ。ただちょっと種類が違う。

例えると、マズローの欲求階層のイメージ。
水銀燈は、「生理的欲求」的な、ピラミッドを下支えする位置の願望を担う。誰もが持つもので、強烈だけど野性的。

真紅は、「自己実現」的な、欲求が満たされた先にあるピラミッドの頂点に座る。理想的で美しいが、ここに至るまでには努力が必要。余裕がないとここに来れない。

彼女らは長女と五女という位置関係にあることからも、なるほどと思えてこないだろうか。水銀燈の後じゃないと真紅は生まれてこれないわけ。

水銀燈は「野望」がモトで、真紅は「企業理念」なイメージ。


水銀燈は手段を選ばず野望を果たそうとするが、真紅は人道に沿った行いしかしない。これはお互いいがみ合うよね。水銀燈からしたら真紅は外面良いだけだし、真紅からしたら水銀燈はあまりにも品がない。これは相性悪いですわ。対立するわ。

・雛苺(いちご轍や人形巨大化)

第六ドール。姉妹の中でも特段精神年齢が幼く、無邪気。みんなの求心力。彼女がいるから姉妹たちがふんわりまとまる。

さて彼女の武器は、無垢さ、まじりけのない愛かな。・・・それがいちご轍や、人形を動かす無邪気な戦闘力として表現されてる。
いちご轍は、翠星石によるツタ攻撃とは本質が違うんだと思う。翠星石は木の生命力がパワーだけど、雛苺は内側からがっつり拘束されるような感じ。小さい子に抱き着かれたような拘束力。

雛苺は序盤でアリスゲームを棄権、さらに雪華綺晶に食べられてしまったので出番が少ないときている。本編のアリスゲームでは、弱体化した姿でしか戦闘シーンがないなかでの考察をしている。

彼女ができることは、いちご轍を茂らせて動きを封じる、人形を巨大化させて動かす以外にもあるんじゃないかと思う。自分の好きなお菓子を出現させるとか。苺を食べさせて笑わせるとか。少なくとも、お菓子やぬいぐるみを作り出す能力はあると思う。マスターの巴の力を最大限使ってやってたことが、Nのフィールドでのお菓子空間生成から。

じゃないと薔薇乙女として戦闘力が低すぎる。それはいけない、バランスがおかしい。素で精神年齢が幼めな子なので、強みを与えられてほしい。
雛苺は幼いせいか、まだ知性もない。セルフコントロールがまだまだ未熟。
メンタル不調だったのが大きな原因ではあるが、巴の力を限界を超えて使ってしまったせいでアリスゲームを降りることになってしまった。でも彼女優しいよね。巴を取り込もうとしなかったことから彼女の善性がはっきり見える。

精神が安定した全盛期の雛苺の戦闘力、見てみたい。ローゼンメイデンのゼロでは描かれているのだろうか。楽しみ。

・雪華綺晶(糸、幻覚)

第七ドール。末っ子だけど、ちゃんとお披露目がないままアリスゲームが始まったせいで、幽霊部員扱いされていた。それはお父様が悪いね。
姉妹の思い出とかがないから、誰よりも率先して姉妹愛を頑張ろうとするタイプ。末っ子の特権をちゃんと使いたいよね。

体を持たない謎の存在たる雪華綺晶。その本質はわかりづらい。

彼女のやってたことを思い出してみましょう。人の意識を乗っ取って操り、水晶のお城(幻影)やまがいものの生命を作り出す。体を得た戦闘では、いばらの蔓を蜘蛛の糸のように伸ばし、けしかけ、絡み取っていた。

彼女の武器は、理想を追い求める力憧憬、可能性だと思う。「まだ見ぬ素敵な自分になりたい」という気持ち。夢見る気持ち。形になっていない、拾い切れていない理想の姿。だからこそ、彼女は体がないのだ。ボディがないことに意味があるわけ。なんにでもなれるし、夢が持てるから。本人はそこがコンプレックスだけど。

雪華綺晶は必要な存在だ。体のない幻影などではない。ローゼンは、雪華綺晶を「可能性」として創り上げた。ローゼンメイデンは6体作り上げたけど、まだまだこんなものじゃない。拾っていない、創り切れない、究極のアイデアがあるはず。その、形に囚われない理想と可能性の具現化としての雪華綺晶という存在なのだ。彼女は究極の未来だ。伸びしろがテーマ。

彼女の武器が、「理想追求力」だとしたら、蜘蛛の糸モチーフなのも納得できる。彼女は幻影であらゆるものを形にできる。人はそれに囚われてしまう。理想を追わせて、絡めとるための蜘蛛の巣だから、糸だったり薔薇の蔦だったりする。捕まえることに特化してるっていうわけ。

2部のラストで、彼女は大人ジュンに「マスターのために理想の世界を私が作って差し上げる」と言っていたが、きっとそれは、かりそめの世界だと思う。雪華綺晶に甘えたって、現実世界は好転しない。彼女にできるのは人を眠らせて理想の夢を見せることだから。

それから。
とんでもなことを言うと、雪華綺晶は夢女子だと思う!!(どどん

雪華綺晶、夢女子説
雪華綺晶は夢女子だ。しかも自己投影派ゴリゴリの。

実体を借りて世界に干渉しようとするのは、主人公に自己投影してゲームを楽しむプレイヤーの図と同じである。主人公(アバター)に自己投影して仮装の自己実現(恋愛や戦闘)を楽しむってやつだ。だって、3次元に生きる人間が2次元の世界に行くには、二次元の体が必要じゃない。体がないと何もできない。まさに雪華綺晶と同じだよ。

雪華綺晶の究極の夢は、姉たちのボディを全部手に入れて、「どんなドールにも着替えられる、いろんな私になること」だった。それはつまり、プレイ可能なキャラクターを増やして、仮想世界でなんでもやってのけようとする夢女たる発言である。そう、夢小説(創作世界)においては夢主はなんにだってなれる。爆美女にもなれるし、平凡女子でもいいし、果てには動物にだってなれちゃう。いろんな私になれる。そういうことだよね、ゆっきー?

雪華綺晶は夢女子なのはガチだと思っている。夢主って最強だよね。わかる。

よくわからなかった最終決戦について

初見では、最終決戦の勝因がよくわからなかったからここで考察の結果を語る。

「まかなかった世界」と同じ運命なんだよね
雪華綺晶が柿崎めぐと融合して、ほかの姉妹たち全員を喰おうとした最終決戦。脱落するドールたち。水銀燈と真紅が黙って連携プレイ。

雪華綺晶の敗因は、
柿崎めぐがローザミスティカを水銀燈に与えようとしたことで、一つになったはずの魂と肉体に不一致が生じ、更に水銀燈が翼でめぐを串刺しにしたため、存在が崩壊に至った。という感じだよね。めぐと水銀燈が相打ちした。
雪華綺晶はめぐと一体になって、全部を吸収して、姉妹とマスターを手に入れるつもりだったけど、めぐはどうしてもこの世を去りたかった。どうしてもそこだけは一致しなかった。

これ、結局は「まかなかった世界と同じ過程と結末」なんだよね。

まかなかった世界は、蒼星石のボディと大人ジュンが契約したせいで、雪華綺晶が追い出されてしまった。
まいた世界は、めぐと水銀燈が契約を履行したことで雪華綺晶の意思がはじき出されてしまった。

おんなじなの。怖いよね。運命にはあらがえないってこと?

雪華綺晶の弱点とは?

なんか壮大なことができる雪華綺晶だけど、でかい欠点がある。
「憑依先からはじき出されること」だと思った。器に移るだけでもかなり大変みたいなこと言ってたきがするし。

憑依先と自分の決定的な違いが発生して、「モームリ」となったら、彼女は大ダメージ。形も保てない。自分の存在が許されない感覚、これが発生するともう彼女は生きていられないんだろうな。
夢主やヒロインと相性合わないときの夢女じゃねーか。地雷踏むと大ダメージなのだ。

雪華綺晶が雛苺のボディを使わなかったのはなぜ
「まかなかった世界」では、蒼星石のボディを使って顕現したんだから、雛苺のボディ使いなよと思ってしまった。
でもそれはなかった。それどころか、大切な獲物なのに雛苺のボディは「がらくた部屋」に放り出されていたのだ。どうして。

雛苺は、「まいた世界」において存在感が強いから、雪華綺晶が乗っ取ってもメリットがないと判断されたのが理由な気がする。
蒼星石のボディを「まかなかった世界」で使うのはアリ。なぜなら蒼星石を知る人なんか、その世界にいないから。

反対に、雛苺を大切に思う人は世界にたくさんいる。巴やジュン、姉妹たち、オディール。仮にボディを使ったとしても、雛苺に縁がある者たちと接触した途端に、また拒否反応が起きて、「体から追い出される」ことになるだろう。雛苺の体を使うことは地雷と同じ。自爆することが確定しているんだと思った。それゆえに、「がらくた扱い」で放置されていた。

雪華綺晶と相性のいい人間とは
彼女の弱点からお分かりのように、雪華綺晶は、憑依先の人間と意思が乖離するとダメージを負う。彼女にとって居心地がいいのは、自我の薄い、無意識状態が割合多い人間だと思う。意思が弱ければ自分の思い通りに動かせるから。その最もたる例が、彼女の苗床にされて眠り続ける人たちってわけよ。就寝中って意思が最小限だもんね。

その次に彼女が好きなのは、「現実に居場所をなく、改善を諦めている人」だと思う。大人ジュンとか。頑張っても現実になじめなくて、息詰まっている状態。現実を放棄して、夢という仮想世界に逃げることを肯定する人。現実を諦めているのだから、自分が夢を見せて、現実乗っ取ってしまえるというわけ。そして意思が弱いもんだから追い出される心配もない。現実で居場所なくすと雪華綺晶がやってきます。

雪華綺晶のやりたかったこと

「まかなかった世界」で散々な目に遭い、「お父様も姉妹たちも、マスターも全部自分で創っちゃえ」と思い、ジュンたちに巨大な幻影を見せた。そして、本物を全部飲み込み、自分こそが本物であろうとした。

しかし、雪華綺晶自身は創作力がイマイチであった。鳥海くんはジュンのコピーだし、新しく作った姉妹人形もボロボロの出来。人格もギミックも、どこか薄い。ゆっきーはビギナーだもんね。ゼロからすげーもんを作り出す力はジュンの方が上ってわけよ。

雪華綺晶は、確かに何でも幻想を作り出せるけど、創作力はイマイチなのがかわいいというか、悲しいというか。そう思った。本質を理解していないから、作ったものたちが全部表面的なんだよね。ちぐはぐな双子人形とかね。

めぐと水銀燈がしたかったこと

ここは分かりづらいから整理する。

めぐはやっぱりどうしても死にたかった。でも、水銀燈に任せているとそれは叶わないばかりか、遠ざけられてしまう。そこで雪華綺晶と組んだ。
最終決戦でも同様で、水銀燈が自分を救おうとするのは分かっていたので、敢えて水銀燈を壊すことで、自分を救ってくれるように促した。
彼女にとっては 死 >>> 父親、水銀燈 になっていた。どうしても。

アリスとなり、永遠の少女になるなんて、めぐにはとてもできないんだ。死んでしまいたいから。雪華綺晶は彼女を理解しきれてなかった。

水銀燈はアリスになってめぐを救い、あわよくば生きて幸せになってほしかった。けれどめぐが最終決戦にて決意を見せて救えない段階(ローザミスティカ丸飲み)に行ってしまったので、彼女の望みを叶えて彼女を貫いた。

水銀燈もめぐも、現実にウンザリしていた。こんな世界、飛び立ってしまいたかった。だから相打ちして互いに願いを叶えたってわけ。指輪の契約をきっちり果たした。

ジュンお前、終盤おめかししてどうした?

終盤にジュンが覚醒して、歯車いじったり、身なりが小ぎれいになって、悟りきった感だしてる謎。
これについて私はこう考えた。「ジュンは、人形師ローゼンの意志、その創作の本質を理解したために、ローゼンの力を継承し、世界の仕組みの書き換えが可能となった」のだと。
ご存じの通り、ジュンの創作力はぴかいちだ。ゼロから何かを作り出すことができる力を持っている。彼がローゼンと対話し、彼の作品に触れるうちに理解を深めて、彼の技を引き継ぐことが可能な人間になれたのだと思う。ローゼン並みの創作ができ、世界観を壊さずに新しいものが作れる。伝統芸能の継承。それゆえ終盤で世界の歯車を書き換えることができた。

公式並みの作品が作れる人間なら、原作者もにっこりして後を任せられるだろう。そんな感じ。ジュンは、ローゼンの世界を引き継ぐことができる人間として目覚めた。

今も分からない点は、「ジュンがローゼンになったことで、最終決戦にどう役立ったのか」ということだ。結局アリスゲームは遂行され、真紅は失われてしまったのだし、何がどう変わったのか。わかりづらい。

今思い付く考察としては、
たとえローゼンになったとしても、「アリスゲーム」の遂行は止められない。あまりにもでかい歯車である。これは壊せない。
ジュンが手を加えたのは、アリスゲーム終了後の細かいもろもろかなあ。
アリスとなったドールは最後に願いを叶えることができる。みたいな小さいルールを作って、そのほか姉妹を復活させることができた。みたいな。ジュンの働きがあって、あのラストが実現したのかも。

全体を通していろいろ


「迷子」はこの作品の伏線で一貫テーマ。
ローゼンメイデンでは、居場所がどこにもなくなってしまった存在を迷子として、救済する/されるべき存在として描いている。

1部のエピソード3に登場した初回の敵、壊れたブーさんぬいぐるみは迷子だった。真紅が抱きしめて泣き、ジュンが修理して救った。

2部では大人になったジュンが迷子だった。大学でもバイトでも居場所がない彼の成長物語だった。

3部では雪華綺晶が迷子。彼女はかりそめの世界を創造し、人間の体を手に入れるも結局追い出され、行き場所がないと泣いていた。そこで真紅が全てを譲ろうとした。

居場所がないのなら、自分で創り上げよう。迷子がいたら手を差し伸べてあげよう。この作品の主要テーマの一つだよね。それが3部作一貫して描かれており、美しいと思った。ひゅー!

姉妹たちのエネルギー供給方法にばらつきがある謎。

水銀燈はマスター以外の人間から力を奪い取れる。
雪華綺晶は、マスターとその候補の人間たちから力を吸い取ることができる。
ほかの姉妹たちはそういうのできない。

能力の差がありすぎる、なぜだ。

さっきの考察を元にすると、水銀燈は「意志と欲求」、雪華綺晶は「無意識に潜む夢」を武器としている。ゆえに、人間から力を得やすいのではと思った。意志と無意識なら大小誰でも持っていると思う。人の三大欲求と、無意識の時間とか。それらを吸い上げるには、そこまで人と仲良くなる必要もない。人は生きているだけで黒薔薇と白薔薇を咲かせる。

しかし真紅たちは、美しい理想や知性を元にして活動する。それは、不特定多数より一人に絞ったほうが力が得やすいんだと思う。一人一人と向き合って、対話を重ねて得たエネルギーこそ意味があり、強いみたいな。そういう感じで理解した。

真紅とジュンが出会ったワケ

ジュンは不登校で引きこもり中学生だ。端的に言えば世間体が悪い。第五ドールで気高い真紅のマスターになるには体裁が悪いように感じる。
ではなぜ真紅はジュンを選んだのだろうか。

完結を経て分かった。真紅とジュンの共通点としては、「創り上げる力」なのかなと。
ジュンの得意なことはドレスや小物などの創作だ。ナイスなアイデアが生み出せる。
真紅の信念は、「誰も傷つけないアリスゲーム」、「理想の世界を作り出すこと」だ。「作る」ことが共通している。確かな理想を持ち、創り上げることができる部分に真紅は感じるものがあったのではないだろうか。

不登校とか関係ない。ジュンは真紅のマスターたる資質があった。やっぱりドールのマスターになる人間は、ドールの魂と共通する部分を備えていると思う。

真紅って侍みたいだよね(!?)

物語の最後で、「私はみんなを愛したい。生み出したい。誰も一人にしたくない」と願い、姉妹たちを復活させた真紅。

美しい姉妹愛、自己犠牲である。
そんな彼女を見て、「周囲の和を尊び、自己犠牲を厭わない精神」を感じた。それって、日本的な価値観に近いと思った。

真紅は女の子で、和の要素は縁遠く、英国風レディが適切だ。しかし、自身のことよりも周囲の平和を大切にする心って、なんとも日本風な気がしてしまった。

アリスって、勝ち取って到達するものではなく、選ばれて成るもの

終盤のジュンのセリフ「人形たちが最後に選んだのは真紅だった」から考察。
え、アリスゲームって選任性だったっけ。

はじめから言われていた通り、アリスゲームは姉妹たちで奪い合い、競い合い、勝ち残ったたった一人が成るものだとされていた。ガチ勢の水銀燈はもちろん、がんばりや金糸雀も、理想に生きる真紅もその認識でやっていた。

しかし本来のあるべき姿はそうではなく、「周りから認められて成るもの」だった。その証拠に、不当な手段で手に入れたローザミスティカは自身のものと反発し、常に身を焼く。力は倍増するが不調をもたらす。反対に合意のもとに得たローザミスティカは心地よく馴染み、持ち主の記憶とスキルを惜しみなくもたらしてくれる。
水銀燈が目指していたように、略奪を繰り返して全部集めてもアリスになれなかったのではないかと思う。

アリスゲームの本来の持ち味とは、姉妹たちと絆を結び、合意のもとに融合を繰り返すことだったのでは。そのためのちょっとした解決策の戦闘技能だったとか・・・
確かにその方が筋が通っている。まっとうな作り手ならば、愛する我が子たちに「争え」と命じるわけがない。娘たちにバトロワさせたい親なんかいないよ。姉妹だから愛し合ってほしいと願うはずで。

誰だ血で血を洗うガチバトルだって言い出したのは。全然意味が違うじゃねえかと。

深まる水銀燈の魅力!

1部までの水銀燈は「悪役」「いやなやつ」だった。
固まって馴れ合いがちな妹たちに対し、「おら!アリスゲームやるぜおら!」と現実に追い立てる役割をしていた。

しかし2部から「頼れる強い仲間」のポジションになり、彼女の生い立ちとマスター、妹たちの絆が描かれるようになった。美しすぎる。

作中でも示されているように、水銀燈がめぐを愛するのは、「自分と似ているから」、「こんな自分でも愛してくれるから」だよね。

水銀燈は自分のことが嫌いであり、お父様から愛されたくて仕方がない子なのだと思う。長子として生みだされ、がらくた部屋に配置されたまま、6回妹が生まれるという絶望を喰らった。その間にすっかり闇が濃くなってしまったんだ。ジャンクが地雷ワードなのは、長子たる自分が誰よりもジャンク(いらない子)なのではないかという自責の念があるからだ。自分がお父様にとっての最愛でありたいのに、妹の創出によって否定され続け、部屋に押し込まれている。彼女にとって妹はかわいいものではないので、好んで近づいたりしない。自分が至らなかった証拠を突き付けてくる存在に見えていると思う。だからあの態度なんだと思う。

私の見解だけど、彼女は自分のテーマカラーが黒で、無差別に人からエネルギーを奪い取れる仕様であることも気に入っていないと思われる。自分で「私はローゼンメイデン最凶のドール」と表し、天使と呼ばれることに違和感あることから。自分の本質は人に幸せをもたらす存在ではないと認識している。
どうせなら、長子で一番であるなら、もっと明るくて健全な能力と色を与えられたかったと無意識に思ってるような気もする。
金糸雀はバイオリン演奏ができ、翠星石は花を咲かせられる。けど、水銀燈は羽を広げて何かを傷つけることが得意。人から勝手に生命力をもぎとる。真っ黒な見た目からカラスを連想されて、不吉な人形だと思われてきたかもしれない。どうだろう、あんまりかわいい能力とはいえないよね。
お父様、周りの人から愛されたくても、愛されるための能力が自分にはない。かといって、姉妹たちをいじめるのは筋違いだからしまっておく。せめて嫌味を振りまいて美しく生きる。ここが彼女の生き様。

「私たちは絶望するために生まれてきた」のセリフは、彼女はもう絶望しきっているから。妹たちによって存在を否定され続け、自分には人を幸せにする能力が与えられていない。かといって、唯一の希望のお父様は自分を特別だと思ってもくれず放置。妹を愛したとしてもどうせ殺し合う運命だからやる気がでない。絶望というわけ。長女として一番愛されるべきなのに一番愛されないという図。

そんなわけで、水銀燈は自分のことが好きではない。不本意な環境にとじこめられている。

そんな彼女でもめぐだけは愛おしいと思えた。めぐは自分でも笑顔を向けてくれる。天使とまで言ってくれる。お父様以外に自分を喜んでくれた、貴重な人間だ。更に自分と生い立ちが似ているし、大切にしたくなってしまったのだ。そして何よりめぐだけは、自分の力で幸せ(死)にできる。ここも大切なポイント。

めぐと出会って彼女は変わった。彼女は誰よりもアリスになりたかったはずなのに、それを第一目的にしなくなった。証拠にこのセリフ。

私のマスターに相応しい病んでイカレた子。
そんな子だけど早く取り戻さないといろいろとヤバイのよ。

エピソード50水銀燈のセリフ

「私のマスターに相応しい、病んでイカレた子?」相応しいんかい?!
本気で言っているのか、皮肉なのか分からないが彼女はそう言ったのだ。

水銀燈が本気でアリスになりたいならめぐなんてマスターにすべきじゃない。もっと心身共に健康な人間を探すべきだ。勝ち残るために。
しかし水銀燈はそれをしない。「病んでイカレている」人間がぴったりとまで言っている。
ここから、水銀燈は勝つために手段を選ばない子なのではなく、人との絆を重んじる、良心を持つ子なのだと分かる。
マスターを愛し、幸せをもたらそうとする心を持ったドールなんだよね。悪役顔してるけど、サイコパスではないのよ。

水銀燈が天使で、心に決めた人としてめぐを選び、めぐのために戦う構図であるならば美しいなと思った。一途なのが美しい。

特に3部は、水銀燈は大きく成長する。蒼星石との和解を通してアリスゲームの隠された本質に触れ、マスターや姉妹たちとの絆を再評価し、自分の運命を切り開いていく。この時の彼女の表情がいいのよ。大人になっちゃって。もう悪役ではいられないよ。

水銀燈の長女プレイが最高なのよ。さりげなく妹を守ったりなんかして。イヤイヤ共闘に賛成するけど、一度約束をすればキッチリ守るし、なんなら積極的にリードするまである。有能で統率力があるんだよね。できる姉ちゃんである。
3部こそアニメ化してほしい。3部はとても複雑でアニメにするの難解だと思うけど、水銀燈のいいところ詰まってるから観たい。

最後に私の大好きなセリフで飾っておく。
このシーンが好きすぎる。闘いでこそ彼女の能力が活きるものね。
水銀燈にとってアリスゲームは希望なの。

闘ってやるわ!何もかもと。姉妹の誰をも引き裂いてあげる!
それが私の復讐!お父様への!私を生み出した何もかもへの!
私はアリスゲームを歓迎するわ!歓迎しますとも!

エピソード103より


創作活動の意義について考えさせられた

この漫画では、「創作活動の意義」についても語られている。中盤ではドール服製作に人生をささげるみっちゃん(金糸雀のマスター)の想い、終盤では人形師ローゼンの創作意欲が語られる。
私も創作活動をしているから胸に刺さった。

ローザミスティカというのはローゼンの魂を込めたものだった。それはとても理解できる。私も小説を書くときは自分の魂の一部を込めるもの。書きたいものがあるとき、テーマを決めたときにそれを形にすることを意識している。生きた創作物を作るためには、作者の技巧と魂が必要だ。わかりみすぎる。
胸に刺さったセリフを置いておこう。私もこういう小説を書きたいよ。

有象無象の凡作よりも、たった一つの輝くもの。それが何より必要とされる世界なの。

エピソード40 みっちゃんのセリフ


薔薇乙女ってつまり?

ローゼンメイデンって、ただ動いて喋る謎人形に見えていた。けど、私は物語を最後まで読んでみて思ったんだ。

ローゼンメイデンって、精神的な存在だよね?と。ただの人形に魔法をかけている、という単純構造じゃないような気がしてる。彼女たちは、確かに物理的な人形として存在するが、半分霊的な存在なんかなと。
だって、Nのフィールドっていう心象世界に入れるし、破れた服は元通りだし、空中浮遊ができるし。現実で説明がつかないことばっかり。

薔薇乙女とは、人の心の輝く部分を元にした生命体ではと思った。先も述べていたように、姉妹たちの能力、魂の本質を並べると、意志、努力、本能、理性、信念、無垢さ、可能性。これらから花開いたのが薔薇乙女。薔薇乙女は人の心に咲く薔薇の花です。人はみな、真紅たちを迎え入れる素質があると思う。
人の心の理想形が真紅たち薔薇乙女。人形は美しく造形される。自分の心と向き合うと、そこには真紅たちがいるかもしれない。あなたは既にマスターで、自分の心の一片でお人形遊びをしている・・・なんてね。

仙台のオルゴール博物館で撮影した、椅子型オルゴール。
アンティークを見てローゼンメイデンを思い出した。この記事が生まれるきっかけ。

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