見出し画像

彼は幸せの裏側を見ていた(SH:Sacrificeの考察)

この記事では、Sound Horizon「Elysium」より、Sacrificeの考察をします。

※語っていることはすべてフィクションのお話です。現実ではありません。お許しを。


物語の大枠

この曲はわりとストーリーとして読み取りやすいので、別記事にせずこちらでざっくりと大枠を記します。

登場人物

・姉
とある村で生まれ育った女性。かわいい妹にコンプレックスを感じて生きている。本記事ではソフィと名付けます。

・妹
人から援助してもらわないと生活できないくらいの障碍者。愛嬌があり周りの人から愛されている。本記事ではマリアと名付けます。

・母
姉妹の母親。おそらくシングルマザー。父親の影が皆無なので。

ストーリー


1.とある村でヒロイン:ソフィは妹と母3人で暮らしていた。妹マリアには生まれつき障碍があり、姉は手をかけて育ててもらえず、ストレスを感じていた。

2.母が病死したことで姉妹の家庭は経済的に困窮し、姉妹は働く。生活は苦しいが、姉は幸せを感じていた。

3.妹が未婚で妊娠、村で騒ぎとなる。村人たちと論争の末、妹は死罪を着せられる。

4.理不尽な決定に村人たちを恨んだ姉は、教会に火を放ち、村人たちを焼き殺し報復。燃え落ちる村の風景その先に仮面の男を見る。

姉は本当にかわいそうなだけなのか?

この曲、健気に生きていた姉が不幸に見舞われ続けるお話で、なんてかわいそうなんだ・・と、悲壮感たっぷりのテイストでございます。サンホラらしい。
けれど、本当に姉はかわいそうなだけなのでしょうか。大変だったねぇで終わらせるのは悲しすぎる。考察してみました。


世界観:誰かの幸せは、誰かの不幸の上に成り立っている。

ストーリーを見てみると、各場面で常に誰かが犠牲になっていることが見えてきます。

(対価:犠牲 の関係)
①妹の養育 → 姉の養育
②妹の命  → 母親の命
③姉の幸せ → 妹の貞操
④村の平穏 → 妹の命

①障碍のある妹の養育のために、姉へのケアがおざなりになる。
姉は「妹は天使のようにかわいいから、みんなから愛されてる」と歌っていますが、理由はそれだけではなく、誰かの手助けがないと生活できないほどの障碍があったからです。
妹のお世話が大変なので、周りの人は妹ばかり注目せざるをえない。姉自身も自分の好きなことができない。意図せず姉はネグレクトされ、愛されていないと感じて育つことになった。

②病気の妹を救うために、看病した母が命を落とす。
おそらく妹は伝染病(コレラ)に罹患した。母は姉を隔離し、妹の看病をした結果、伝染して亡くなってしまった。

③姉の平穏な暮らしを支えるために、妹の貞操が犠牲になる。
母の逝去後、姉妹は働くことになった。姉はこの期間、「幸せだった」という。
しかし、妹は実は村人たちから性被害に遭っていたのです。
妹は普通に働いていると見せかけて、性的な仕事をさせられていたのではないだろうか。その障碍のために、誰にも助けをもとめられず、身を守るすべを持ち合わせていなかった。
障碍者の妹なので、働くといっても、健常者と同じような成果を出すことは難しい。性的な仕事をすることで人並みの収入を得て、初めて姉と生活が維持できたのではないでしょうか。
つまり姉の幸せは、妹の犠牲によって成り立っていた。

④村の平和を保つために、妹の命が犠牲になる。
未婚の妹の妊娠により、村は騒然となる。けっして聖書のエピソードのように処女懐胎したのではなく、妹が性的な仕事をさせられていたからです。

なぜ神父様や村人たちは妹を守らないのか。それは、誰にもメリットがないから。
マリアが未婚で出産したとして、彼女は障碍者、子供を産んだとして、普通の女性のように育てることは難しい。姉妹2人暮らしでもギリギリなのに、これ以上情けをかける余裕は村にはない。
さらに子供が成長したら、誰の子か分かってしまう恐れがある。村にとっては彼女を許すメリットが一切ない。そこで姦淫の罪を着せて、彼女を闇に葬ったのだ。
村のみんなが幸せになるために、マリアの命とソフィの幸せは犠牲にされた。

姉妹の幸せは両立しない

物心ついたときから、「私より妹が愛されてる」状況に苦しんでいた姉ソフィ。そんな彼女が幸せを感じていた時は、母親がいなくなり、姉妹だけで肩を寄せ合って生活していた期間でした。
それはなぜかというと、「働きに出ることで妹から解放され、1人で自己実現を行う時間がもてたから」と考えました。

母親が生存中は、母が働きに出て、ソフィは妹の世話に終始する生活を送っていたと思われます。一人で生活できない妹。家族たる姉がお世話するほかない。妹の方が周りの人から愛されてるとかは置いておいて、妹と生きるためには、自らを犠牲にする生活となる。
でも、働きに出れば彼女は初めて家庭から解放される。彼女だけの力で働いて、収入を得る体験ができます。職場には妹はいないので、他の人と比較して落ち込む心配もない。いっぺん妹から離れた生活をすることで、彼女は彼女だけの人生を得ることができる。この生活がソフィに幸せをもたらした。
まさに、「あの子なんて死んじゃえばいいのに」なのだ。そうならなければ、ソフィは幸せになれない。ソフィにとっては、妹を切り離すことが幸せなのだ。

では妹マリアの視点から見たらどうか。妹が幸せに生きるためには、誰かに常に傍にいてお世話して守ってもらわないといけない。
この曲の時代は、介護サービスなど整っていない中世。農民たる彼女たちにとって、金銭などで人を雇う力などあるはずがなく、常に周りの人の良心に依存している。
マリアの幸福は、誰かの時間と手間を犠牲にして成り立っている。

姉妹は幼く、世間知らずだった

妹の妊娠が分かった際、姉は「まさか、そんなはずは。神様のお力だよね?なのにどうして」と話している。
妹が処刑されてもまだ信仰を捨てられないようですからね。聖母マリアと同じ境遇なのに、なぜ周りの人は妹を罪人にするのだろう、と思っている。

このことから、姉は目の前の現実より、信仰を優先する人だと分かる。確かにカトリックではマリア様は処女懐胎したとされるけど、現実そんなことは起きえない。妹はレイプされていたんだ、という思考に大人だったらなるはずです。それが分からないのは、子供だということ。ソフィはまだ、未成年だったのかなと。

優しい男たち、冷たい女たち

母親の死後、姉妹に対して「男たちは優しいけど、女たちは冷たくなっていった」の解釈。
今まで家にこもって生活していたマリアだけど、外に出て働くようになったら、かなりモテるようになった。それに対する影響。

ソフィ以外の村人たちは、マリアが売春をさせられていたことを知っていたのではないだろうか。男たちは、それを隠すためにソフィに哀れみをもって
優しくする。女たちは、「妹さんが売春してるのによく平然としてられるわね」、「オマケで優しくしてもらえていいわね」と軽蔑や嫉妬のまなざしを向ける。村ぐるみで姉妹一家を罠にかけていたのだ。

「妹さん、性被害にあってるよ!」って教えてくれる人が誰もいなかった問題。ソフィは未成年で、性的なことを知るには早すぎたので、それもあって隠されていたのかな・・・それとも、彼女自身が周囲からの声に疎かったのか。

妹は誰に加害されていたのか

神父様および村の男たち全員なのかなと。村の外の人間もありうる。仕立て屋の女将さんのセリフ「泥棒猫、恩知らず」から、仕立て屋の旦那さんとも関係持ってたと伺われます。または、神父と女将さんが裏で繋がってて、そう仕立て上げたのかも。(仕立て屋が仕立て上げる・・?
ともかく、レイプされてたから妊娠した。裏には絶対神父がいる。

村の神父の仕事として、地域社会の社会的弱者を支える役割も担っていたらしいとのことから、障碍を持つマリアと村の教会とは、幼い頃から深い信頼関係があった。その神父が裏切って、マリアに売春めいたことをさせていたのだ。
妹は見た目が可愛らしく、一人では何もできず、人を恨まない。だから男性からモテる。女性は嫉妬する。自分を守るすべがないマリアは、誰かの悪意に利用され、性加害を浴びてしまったというわけ。

マリアが一人では何もできない子だと、村人たちも知っていながら彼女を切り捨てるなんて。よほど生活に余裕がなかったんでしょうね、きっと。

仮面の男とはどう繋がった?姉の罪は

例のごとく、ソフィも仮面の男についていくことになりました。

でも、歌を聞いた限りだと、彼女が不幸になるなんてひどい流れだと思いませんか。彼女は理不尽を浴びてきただけではないのか。妹の世話を焼き、生活を支え、必死に生きただけだ。それがなぜ、人の道から逸れた扱いになっているのか。結果には要因がある。それを考えました。

ソフィの罪は、「自分だけの信仰を妄信し、幸せの裏にあるものを見ようとしなかったこと」だと考えます。

信仰の強さ。神と自分が世界の中心。

ソフィは大変信心深い女性です。妹が可愛らしいのも「神に愛されたから」だし、妹が病気になれば「私が神に願ったから」としている。
妹が妊娠しても、「それは神様のしわざだから問題ない」と思い、周りの人の悪意に気が付かない。
自分の周囲で起きたことは、全部神様のせいだと思ってる。
現実は、目に見える周りの人間が作ってるものだということに気が付いていない。
現実の解像度が低いんです。

また、ソフィは妹マリアを愛していながらも、自分の生活に手一杯となり、マリアの面倒を見切れていなかったのではないだろうか。
ソフィは、姉妹2人暮らしが幸せだったと語っている。それは、姉が自分の生活に夢中になっていたからであり、妹から関心が逸れていたのではないか。妹を守って生きていく意思が強ければ、何か異変に気が付けたのではないか。

ソフィは最後、妹を犠牲にした村人たちを焼き殺します。その理由は何かと言うと、彼女にとって村人たちは「悪魔」だからです。
「よくも妹に酷いことをしたな!」とは思わない。妹は処女懐胎したんだ、それを信じずに殺す村人たちは悪魔なんだ。
その価値観から「罪深いモノはすべて、等しく灰に還るがいい!」と叫んでいます。
あれだけの理不尽がありながら、信仰は捨ててないのです。悪意のある人間がいたから、妹が妊娠に至ったとは思っていない。利用されたことに気が付いていない。あくまで信仰の中で世界を捕えており、裏切られてもそれはやめない。
本当になにせ中世ですから、無宗教になる発想がないかもしれませんが。

ソフィは敬虔な信徒なのか。それとも。

ソフィは村人たちを悪魔だと断罪して、村を焼きました。
では、ソフィは、まったく清らかな信徒なのか。ただ家族を犠牲されただけの、かわいそうな被害者なのか。私は違うと思います。

彼女は村人を焼き殺したことで教えに背きました。「人を赦す」ことです。
カトリックには「他人を罰する心を捨て、人を赦しなさい」という教えがあります。神が罪人を赦したように、自分も他人を罰する気持ちを捨て、罰は神にゆだねて、人を赦しましょう、という教えです。
ソフィが敬虔な信者であろうとするならば、辛くても、村人たちを赦し静かに暮らすべきでした。しかし、彼女は赦さなかった。その憎しみで断罪を実行した。

神のことは信じている。でも、村人たちはけして赦さない。この思想を受け入れてくれる場所は、この世界のどこにもない。しかし仮面の男ならばそれを肯定してくれる。
ソフィに仮面の男が見えたのは、「自分だけの信仰を守るために、村を犠牲にしたから」です。
彼女が村で教え込まれてきた信仰は、もはや彼女だけのものになっていました。現実に何が起きても、彼女は信じることを止めないでしょう。

ソフィは、世の中が犠牲の上に成り立っていることを理解できなかった。

小ネタ

妹の最後の言葉「ありがとう」
これ、マリアの優しさを表現するセリフだと思ってたんですが、違います。
彼女が発することができる言葉の一つが「ありがとう」なのだと思います。
彼女、人の助けがないと生きていけないので、母親からそう教えられて育ったんです。関わる人全員に、「ありがとう」と言おうね、と。
処刑の際も、赦すかどうかの判断も何もできないまま、ただ発した言葉なのかなと。そう思うと泣けてくる。

この世は所詮、楽園の代用品
カトリック的には楽園は天国にあります。地上は、神が作った試練の場であり、アダムとイブが放逐された場所です。
いくら地上で頑張って楽園に近づけても、楽園は天国にあるので、所詮代用品なわけです。

分からない点

なぜ村人・神父は姉妹を捨てたのか。愛情とかないの?
母子家庭のソフィ一家と教会は長い信頼関係があったはずです。家族みたいなものだったかもしれない。
それが母親の死後、状況が変わるなんて。なぜだろう?
母親の死がターニングポイントで、彼女がカギを握っていそうな気がします。母親が生きている間は、村にとって確実なメリットがあった。
例えば、母親がめちゃめちゃ稼いでいて、姉妹を養うために村に税金を納めていたとか・・・
亡くなってしまったら姉妹は厄介者なので、排除の動きに移った。
もしくは、神父の入れ替わりがあって、親のような神父から、姉妹を人間扱いしてくれない担当者になってしまったとか。

この点は根拠がないのと、私の知見がないので想像の範囲内ですね。

時代と国と地域が分からん。
服装や暮らしに詳しければ特定できるんでしょうね。直感でフランスかなと思ってます。ヨーロッパは広すぎるので、特定できないとつらいです。

なぜラストで姉は裸足なのか
火から逃げるために靴を忘れていたのか。裸足で歩いたら危ないよ!
深い意味があるに違いない。分からない。

感想系の考察

別の曲でも触れられていますが、「人は幸せのために盲目的に犠牲を払い続けていて、最後まで気付くことができないんだよ」というRevoからのメッセージを感じました。何も悪いことをしていないのに、社会に巻き込まれて犠牲を払わされる。税金かよ。

そしてこの曲、姉視点だけで進むんですよね。Arkは兄視点とかあって忙しかったのに。
姉視点では、母親が妹の代わりに亡くなったことも、実は妹によって自分が支えられていたことも、全く触れられていません。気づいていません。姉の幸せは誰かの犠牲の上にあった。それを知らず「何も悪いことをしていないのに、健気に生きていたのに、どうして」と。ずっと歌っています。
確かに姉妹は何も悪いことはしていません。苦労に見舞われてきました。彼女たちがカトリック信仰に一所懸命なのもそういう時代だし、特に彼女たちは社会的弱者であるので、教会に依存して生きていくのは仕方のないことです。村人たちも酷いです。こうなってしまったのは責められません。

だけど、ちょっと視点を変えてみれば、この社会の仕組みに気付いて、何かが変わったのかもわかりません。妹を失ったソフィが苦しみを乗り越えて幸せになる未来だってあったと思います。妹を失わずに済んだかも。分からないけど。
少なくとも、全部神や悪魔のせいにするのではなく、社会を見つめて戦っていくことも、ひょっとしたらできるのでは、と外からみて思いました。

各所で「こうしていれば・・~できたのでは?」と述べてきましたが、ソフィだっていっぱいいっぱいだったんだよね。教育されてないし、環境的にかなり厳しいよね。責め立てるつもりは全くありません。れぼの用意した村がひどすぎるだけだ。

人は生きているだけで何かの犠牲を払って幸せを保っている。盲目的に、無自覚に対価を払い続ける。そういう社会の中で生きている。
その構図を見せるために、戦うすべを持たず、運命に巻き込まれる姉妹という状況をRevoは用意したのではないか。
と思いました。

今回は「信仰捨てられなかった」ということで、やっぱりArkやStarDustと共通点を感じます。何かの価値観を妄信し、現実を否定すると仮面の男が来てしまいますね。時代も状況も異なる別の話なのに、日本語だと同じになってしまい悔しい。全然違うストーリーなのに。

おわりに

正直に言います。この曲の考察、かなりしんどかった・・・
性被害に遭う女性が出てくるってだけで同じ女性として辛いものがあった。
曲全体も悲しい響きですからね。

何がよくて、何が悪いのかもう分かりません。ソフィはただ一所懸命生きていただけだった。黙って犠牲にした村人が明らかに悪い。しかしソフィは、彼らを皆殺しにして教えに背いた。当然の報復か?
仮面の男に捕まったからといって、不幸かどうかも分かりませんしね。何が正しいのやら・・ほんとに・・
ソフィは悪なのかどうか。全体を通して判断つきませんでした。私は仮面の男と繋げるために彼女に罪を着せたけど、ほんとはそんなことしたくなった。読み手の感性に委ねられています。好きな方を応援しましょう。

でも考察したおかげで、Sacrificeってただの悲しいお話ではなくて、幸せの裏にあるものを気付かせるお話なのだなって、深めることができました。幸せは誰かの不幸の裏に成り立ってるって、あんまり見たくない現実ですけどね。考えるのは大事ですよ。いただきますと同じ。
今の幸せの裏で、私は何を犠牲にしているんだろう。絶対にタダではない。怖いなあ・・

姉もちゃんと幸せになれた時間があったということで、ちょっと安心できました。来世は現代に生まれて、ぜひ自分のためだけに生きて欲しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?