怒鳴られるのに慣れた話

 理不尽に怒鳴る人って以外と多い。

 その人の中には何か理屈があるんだろうけど、こっちとしてはその理屈が理解できない。もしくは、理屈はわかるけどそこまで怒鳴り散らすほどの理由がわからない。

 小さい頃、私の周りには、父や母や学校の先生や習い事の先生など、怒鳴る大人はいっぱいいた。

 まあ怒鳴られると怖いから最初は萎縮して謝るんだけど、段々それもバカらしくなってくる。こいつら何で怒ってるんだ。怒るの趣味なだけなんじゃないの?私これ聴いてる意味ある?って。そうなるとがなり声は右から左。内容なんてまともに聞かず「ごめんなさい」「反省してます」「次から気をつけます」をランダムに発射しておけば自然と相手は大人しくなっていく。これが第一ライフハック。

 第二ライフハックは、怒鳴ってる人を完全に無視すること。うんともすんとも言わずにただそっぽ向いてる。もちろん殴られないように距離をとって、やばくなったら逃げる。第二ライフハックの優れた点は、第一とは違い、相手に「こいつに怒鳴っても意味がない」と思わせることで怒鳴られる回数それ自体を減らせる点である。

 怒鳴られることに慣れて、これらのライフハックを身につけたは良いものの、少し厄介な事もある。

 感情的になってる人にまったく歩み寄れない。

 激昂してる人、泣き崩れる人、相手の感情が高ぶれば高ぶるほど、私はどんどん冷静になってくる。なだめようとか、励ましてあげようとかいう気がまったく起きない。この人は謝罪してほしい、この人は自分を肯定してほしい、それぞれの望む行動は予測できるけれど、それをしたらこの人ら図に載るんじゃないかとか、この茶番に付き合うの馬鹿らしいと思えてしまって実行することはない。どうやら、一線を引くのが癖になっているようだ。

 何が厄介かといえば、私が一線を引いた人々は必ずしも理不尽に感情を昂らせている人ばかりではないのにもかかわらず、私はその人たちとの対話を拒絶してしまっている点だ。理不尽を拒絶する私のライフハックは、いつの間にか他の物まで拒絶していた。

 私は何も、そこまで拒絶したいわけではないというのに。

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