セクハラの責任

 男性に触られるのは不快なことだと、経験則でそう考えていたのだけどどうやらそうではないらしいと気がついたので、ちょっとまとめていきたい。

 そもそも私は他者とのスキンシップを自分からはしない。それは別に恥ずかしいとか誰も信用していないとかそういうことではなく、単純に触れたいと思わないからだ。だから自発的なスキンシップというだけの話であって、握手もハイタッチもハグも求められれば拒否することはない。電車の中で眠っている隣の人に肩を貸すのもそこまで苦痛ではない。

 ただ、男性からのボディタッチだけはどうにも気持ちが悪くて、今まで明確に、相手に伝わるように拒否をしてきた。私は、その不快感の原因はずっと、男性が嫌いな自分にあると思っていた。
 しかし、私はとある男性からのボディタッチを少しも不快に思わなかったことをきっかけに、その考えを改め始めた。その男性は仕事で関わったエジプト出身の方で、とても気さくな人だった。彼は打ち合わせの際、私が出したアイディアを高く評価して、「そんな考えがあったなら早く言ってくださいよ!」と笑いながら嬉しそうにわたしの肩を叩いた。その時私は少しも不快ではなかった。今までは、仕事相手だろうと関係なく不快であったのに。

 そして気づいた。彼のボディタッチの目的が私のアイディアを称賛することだったから、不快ではなかったのだと。そして、それ以前の男性からの不快なボディタッチの多くが「女性」であることが理由になっていたことに。車が通ったとか、ちょっと話があるだとか、なにかと理由をつけて肩や腰や手を触ってくる人たちが不快だったのは、触れる建前を用意し上でベタベタと無遠慮に触ってくるからだったのだろう。そしてそれらが俗に言う「セクハラ」だったとようやく気がついた。

 気が付かなかったのは流石にアホだと思う人もいるかもしれないが、言い訳したい。最近のそれは「女性だから」という理由を表立っては主張しないのだ。少し昔のドラマや漫画に見られる、「お姉さんにイタズラ」みたいなテンションで触れてくることは一切無かった(わたしの場合に限るが)。何かと正当っぽい理由をつけて、胸や尻などを避けて触ってくるのである。問題になったとしても、「スキンシップの範囲内」と言えるようなやり口で、まあ問題意識もなくスルーしちゃう訳だった。

 セクハラに気がついたことで私には嬉しいことがあった。セクハラが不快で、それ以外は不快でないということは、不快感の責任を私が負う必要はないということ気づいたことだ。今まで私は、男性であるという理由だけでスキンシップを拒絶し、相手を傷つけているのではあるまいかと、罪悪感に苛まれていた。しかし、セクハラの責任を負うべきは加害者であって私ではない。気に病むだけ損だと思えるようになった。

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