「目覚めた」とか「生まれつき」とか聞かれても

 LGBTQの人々がカミングアウトしたとき、「いつ目覚めたの?」と聞かれることがたまにあるのだが、正直私は答えに窮してしまう。これはあくまで私個人の話だが、今のセクシャリティを自認する過程で「目覚めた」というような感覚を覚えたことは一度もない。しかし、「気づいた」という感覚なら幾度となくあった。
 
 小学生の頃、同年代の女子たちが好きな男子の話で盛り上がっているときに、自分は彼女らと同じ気持ちは持っていないと気づいた。年を経るにつれて、自分の身近な人の間に限らず、世間においても異性に恋をする人の方が多数派だと気づいた。異性愛以外の形の恋愛をする人たちは少数派と考えられているようだが、私はその少数派にすら入れず、世間との間に「ズレ」を感じて生きてきた。そして、そのまま大学生になり、アセクシャルという言葉を知って、ずっと感じていた「ズレ」は私がアセクシャルであることから生じていたと気づくことができた。

 何か劇的な瞬間があって、その瞬間を境に今のセクシャリティになったとか、そういう感じじゃない。いつの間にかそうなってて、自分のセクシャリティと合致する名称が落ちてたから名札の横に付けただけ。ただそれだけ。自分のセクシャリティに「気づいた」瞬間のことを「目覚めた」と表現している人がいるのかもしれないが、私は徐々に徐々に気づいていったというか自覚していった感じなので、「目覚めた」って表現を使うのには違和感が残る。だからやっぱり、「いつ目覚めたの?」と聞かれると困ってしまう。

 似たような話で、「生まれつきなんでしょ?」と言われるのも困ってしまう。赤ちゃんの頃に自分のセクシャリティなんて考えたことないし、遺伝子の配列云々なんてもっとわからない。違う環境で育っていても今と同じセクシャリティになっていたかどうかもわからない。答えは「わたしにもわからん」だ。しかし、わたしの気持ちで正直に答えれば、差別されるのではないかと思って正直に答えることができないのが今のわたしの現状である。

 というのも、「セクシャルマイノリティの人々はそのセクシャリティをもって生まれてきたのであり、それを自分たちの意思で変えることはできない。だから、そのセクシャリティを変えるように強要したり、差別してはいけない」という主張を何度か目にしたことがあるからだ。(もっとも、最近は主流ではないとも聞いたことがある。)生まれつきだから差別はダメという主張は、生まれつきでないなら治せばいいという主張に繋がりかねない。環境に原因があるなら、環境を正す必要があると思われるかもしれない。

 「生まれつき」を理由に差別をしないでいた人に「生まれつきではない」ということで、差別していい理由を与えてしまうことがわたしには恐ろしい。

 しかし、カミングアウトをされた方だって気になるから聞いているだけで悪気はないだろう。答えに困ったとしても正直に答えればいいし、伝わらなければたくさん話をすればいいだけかもしれない。その上で拒絶されたなら、縁がなかったということだ。そう考えると、本音で話し合えない相手にカミングアウトするのは避けた方がいいかもしれない。私はどんな人の前でも自分らしくいることが理想だから、人を選ぶことは矛盾しているようにも思えるけれど、カミングアウトしない方がかえって自分らしくいられる場合もあるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?