最近の記事

廃墟論

ぼくにとって廃墟の良いところは、「誰もいない」ということだ。 だから、他の見物人や写真家が来るような廃墟は、意味が無い。 もうそれは、観光地でしかない。

    • 心が動く仕組み

      本当に面白いことは、頑張って、苦労して求めないと、受け止めることができないのかもしれない。 運が良かったりして、十分に条件がそれっているふうに見えても、かんじんの心は、動いていないのかもしれない。 頑張って、苦労して求めないと、動かないようになっているのかもしれない。 仕組みとして。

      • 学習し、計画することは「遊び」説

        哺乳類は遊ぶが、爬虫類は遊ばないらしい。 進化論的には、遊びは、さまざまなパターンをシミュレートして学習し、よりよい計画を立てるのに役立つ行為とみなされている。 犬や猫の子供がじゃれあって遊んでいるのは、将来、狩りをするのに役立つのだろう。 『ヒトはいかにして知恵者(サピエンス)となったのか』ペーテル・ヤーデンフォシュ著p..94-95参照 ・学習や、計画の要素が入った遊びが、本来の遊び? ・仕事や勉強などは、一般的に、たいくつで苦痛なものと見なされがちだが、たまに、「仕

        • ななめの地面と空

          ななめの地面と空が、組み合わさると、必ず、美しくなると思います。 空のための、額ぶち・フレームとして、ななめの地面は、最強だと思います。 よけいな風景を消してしまいます。 そして、視線を上へ流して、空が持っている、無限に広がる感じを、強調します。 ゆえに、わたしは、ななめの地面と空の組み合わせが、最強だと断言します。

          つるっとした美しい生きもの

           つるっとした美しい生きもの。 「どう、見て」と言っているような表情。 楽しそうではない。 不愉快そうでもない。 平常心とも違う。 何を考えてるんだろう?  何も考えてない? 見られなれている。 視線に麻痺してしまっている。 自分の体が社会的なものだというのは、どういう感じなのだろう?

          つるっとした美しい生きもの

          1文字のために

          アスリートが、細心の注意をはらって、やれることはすべてやって、1秒、1ミリのためにコンディション整えるように、彼女もコンディションを整えているのだ。 1文字のために。

          1文字のために

          面白いことと、平気になることについて

          面白いと思ったことを、どん欲に求めて楽しむ。 それは苦にならないから、どんどんやれると思う。 それを自分の中で正当化させて、どんどんやる。 それをずっとれるなら、それ以上、幸せな人生はないと思う。 いろいろ、やらないといけないことはなるだろうけど、面白いと思ことを楽しむ時間と質を最大化することを考えてやること。 それが出来てるなら、それ以上は、ありえないと思う。 そうやっていて、 「自分の他に、これだけ面白ことを面白がっているって、そうそう居ないだろう」 と思えるく

          面白いことと、平気になることについて

          音楽を聴きながら、風景の前にずっといたら

          音楽を聴きながら、風景の前にずっといたら、 そのうち音楽を聴いていることを意識しなくなっていたようで、 映画に没頭しているような感じになっていたようだった。 遠くの方で小さく動く人を、ぼおっと見ていた。 白い鳥が二羽、水のすぐ上を飛んでいて、けんかしているのか、じゃれあっているのか、どっちだろうかと、ずっと見ていた。 しばらくして、なにがキッカケになったか思い出せないが、 音楽を聴きながら風景を見ている自己意識に、意識がそれて、戻ってきた。 その時、音楽が、くっきりと

          音楽を聴きながら、風景の前にずっといたら

          更新

          世界についてのイメージを更新し続けたい。 できれば週に1回くらい。 最低でも半年に1回くらい。 5年に1回くらいは、天動説から地動説に替わるくらいの、まったく世界ががらっと反転するようなやつに。 誰かに出会ったからといって、そうそう起こるものではない。 遠くに旅したからって、そうそう見つかるものでもない。 めぼしい本は、あらかた読んでしまった。 構造から、はみ出していて、それでいて感動させられるような物語は、もう不可能なように思われる。 とりあえず、心と体の調

          知らない人みたいに

          名前を思い出せないクラスメイトみたいに いったい、この人って誰なんだろう というふうに感じられる 大好きなドラマのヒロインが 別の物語の中の 別の人になってしまったように 少し離れたところから見ていて 心の中で名前を言うと なんだか違う 知らない人みたいに感じられる

          知らない人みたいに

          自由に、自由に、自由に……

          「ビジネス文章は、このように書かなければならない」 と言われると、抵抗なく受け入れることができる。 接客用語とか、外国旅行の時のホテルや入国手続きとかの基本会話とかも。    ☆ ☆ ☆ ほとんど全ての表現は、それと同じだと考えれば、上手くいくのかもしれない。 一件、クリエイティブな感じが求められているようなジャンルでも、基本文法がきちんとあって、それにそってないと排除されることになる。 (誰から?) 自由な発想で、自由に話して、自由に書いて、自由に描いて、自由に

          自由に、自由に、自由に……

          どこまでが自分か

          裸で抱き合って、からだじゅう隈なくなめあって からだと からだが 溶け合って どこまでが自分か分からなくなってしまう 秘密を打ち明けて、こころの仕切りが無くなって こころと こころが 溶け合って どこまでが自分か分からなくなってしまう

          どこまでが自分か

          人間ゲーム

          僕は今、一生に一度しかダウンロードできないロールプレイングゲームをやっている。 このゲームの特徴は、キャラクターの種類が無限にあって、しかも、自分でどれにするかを選べないということだ。 なので、このゲームの中では実質的に、自分と同じキャラクターは存在しない。 容姿のデザインや知能指数や運動神経などの遺伝子情報、親の資産、親の能力、生まれた地域‥‥‥、それらは神様から与えられたものなのだ。(という世界観になっている) ただし、ストーリーは自分である程度、選べる。 この

          人間ゲーム

          ラランドのサーヤと世界征服

          ラランドのサーヤさんは、YouTubeやポッドキャストで、下ネタや差別的な悪口を繰り返している。 大げさではなく、平均して10分に1度は不適切な発言が出ていると思う。 極めつけは、「お母さんヒス構文」だ。 敵に回すと恐いとされている主婦層を、真っ向から論理的に蔑んでいる。 にもかかわらず、批判がまったく目につかない。それどころか、ゴールデンタイムのバラエティやNHKの教育番組に出たりしている。 なぜなんだろう? まったく不思議だ。 この謎を解き明かせば、世界征服

          ラランドのサーヤと世界征服

          世界征服

          昔の人は、科学技術の進歩にたいして、憧れをともなった高揚した気分を感じていたらしい。 かと思えば、人類が滅亡するかもしれない、といった恐怖の対象にもなったようだ。 うらやましい。 僕だけだろうか? 車が自動運転で走り回ろうが、AIが絵や小説を作ろうが、コンビニから店員が居なくなろうが、「へえ、そうなんだ」としか思えない。 「世界を征服する」と書いてみても、ほとんど興奮しない。 「何が楽しいんだ?」とすぐに思ってしまう。