ヴァサラ戦記~もう一人の王を名乗る少女~②

第二話「それぞれが、違う道を歩く雰囲気」

 ジンは、己の前に差し伸べられた手を一切掴む事なく、ジッとその先の人物の顔を見つめる。

 「アンタ、もしかして三つの極みを持つミズキって人?」

 今度は恐る恐る、ジンは尋ねた。さっきは、つい思わず叫んでしまったが昔話の中で聞かされた人物の存在を、いざちゃんと目の当たりにすると予想以上にとても大きいと感じた為に。

 名前を呼ばれて更には己の力を当てられたその当のミズキは、当然驚いた表情を見せる。目の前のジンとは、確かに今日初めて逢ったハズなのに。

 「誰に、その名前を?」

 そんな初めて出逢ってからずっと名前を教えていないにも関わらず、何故か己の名前を知って呼んでいるジンに、今度はミズキが尋ねる。このまま隠していても、と思ったジンは再度口を開いた。

 「以前、ヴァサラ総督に昔話で聞いたんだよ」

 ヴァサラの名前を聞いた途端、ああ、とミズキは瞬時に理解し納得出来た。

 「そうか、ヴァサラ総督が・・・」

 ミズキは、フッと笑みを浮かべてさっきまでジンに差し出していた手を引っ込めた。

 「当時の隊長以外に、この私を知っている人が居るのか。それも、まさかジン君が私の事を知っていたなんて盲点だったな。驚いたよ、ずっと隠し通すつもりだったのに。でも、あの人の事だから、君にはいつか話していたかもしれないな。覇王ヴァサラと同じ、無の極みを持つ者だから」

 改めて、目の前の存在がミズキと知ると、ジンもそれまで聞いていた彼女の言動が全てしっくり来た。だから、立ち上がりまだ疑問に残っている事を続けて投げる。

 「そんなヴァサラ総督から、アンタは軍の間では既に死んだ事に成っていて、本当はずっとハズキ隊長の六番隊で眠っていると聞かされた。もしかしたら、永遠に目覚めないかもしれないという事も。なのに、何で急に目覚める事が出来たんだ?」

 「そうか、何となく感じていたけど、やっぱり死んだ事に成っていたのか・・・」

 ジンの質問に対して、ミズキは今度は少し困ったような顔を見せた。

 「実際、詳しい事は私自身もよくわからないんだよ。一体、何がきっかけで急に目覚める事が出来たのか。別に、誰かに呼ばれたわけでも、今すぐ起きろと命令されたわけでもないのに」

 ミズキは、徐に己の左胸を押さえる。

 「ヴァサラ総督に聞いているなら、何故そうなったのかも知っているだろう?無理矢理眠らされた私が、自発的に起きる事は到底不可能なんだよ」

 昔、ミズキのそこには緊急停止装置が取り付けられていた。これは、カムイ軍の”科学“を司る特別幹部のDr.デオジオに、人造人間に作り替えられる際否応なしに取り付けられた、謂わばストッパーだった。これのせいで、ミズキはこれまで己の意思に関係なく、長い間眠りに付かされていた。

 だが、現在は才神ハズキの手によってきちんと取り外されて、だからミズキは目覚めた際幾分か身体が軽くなり動きやすくなったと感じていた。もちろん、そんな事をミズキは知らないし、今更に成って目覚めた要因に決してそれは関係ないが。

 「でも、もしかしたらジン君が、私の事を起こしてくれたのかもしれないね。何故か、君の声だけはよく聞こえたんだ。その途端、ひどく身体が熱くなったように感じた。だから、目覚める事が出来たのかもしれない。君のあの覇王宣言が、思ったより馬鹿デカくて五月蠅かったから」

 「あっ!ひでえ!」

 「でも、すごくカッコ良かったよ」

 ミズキが笑顔で放つその言葉に、またジンは顔を赤らめる。昔話に聞いていたミズキは、もっと恐れ多くて近寄りがたい雰囲気を感じていたのに、実際は全然そんな事なく何ならその笑顔がすごく似合っていた。

 (昔、ジジイの言っていた通り、ハズキ隊長と同じくらい美人だな)

 仄かに、己の顔が熱くなっていくのはきっとこのミズキの笑顔のせい、とジンは感じた。この、綺麗に整った顔立ちから放たれる、破壊力のある笑顔のせいと。だから、未だに全然信じられなかった。こんな笑顔を無遠慮に向ける事が出来る人が、かつて覇王ヴァサラをこの世から消す為だけに今の姿に勝手に作られたとは到底。

 「ねえ、ところでジン君。君のように私の事を知っている人は、他に誰が居る?」

 そんな事を思っていながらジンが見惚れているところへ、またミズキが尋ねてきたので頭を切り替える。昔話で聞いていた当時の隊長や副隊長以外を除けば、残っているのは確か。

 「今の十番隊隊長のルトと、一番隊隊員のヒルヒル・・・だけだったと思う」

 「一番隊?君は、確か十一番隊だったよね。隊長は、もしかして狂神パンテラ?そして、一番隊の隊長は、鬼神ラショウ?」

 「ああ、そうだよ」

 「そうか、二人とも変わらず元気にしているんだね」

 ひどく懐かしそうに感傷に浸るミズキの姿を見て、ジンはまた思い出した。

 (そういえばこの人、ラショウと関係があるんだった)

 元々、ヴァサラからその昔話を聞かされた発端は、ある日六番隊を訪れたラショウを偶然ジンが見つけたからだった。それに対して、ルトとヒルヒルと話している時、ヴァサラが聞かせてくれた驚きと悲しみの物語にラショウが深く関わっていた。

 「確かに、あの二人がそう簡単に死ぬわけがないか。二人揃って、結構タフだったし」

 ミズキは、以前ラショウと戦った事もあれば、パンテラとも戦った事がある。しかも、その当時から既に二人共隊長の座に就いていたとはいえ、ミズキは同時に二人を相手に最初から最後まで優勢を貫いていた。

 「ジン君、私がここに居た事は、絶対内緒にしてね。どこの誰にも、口外しないように。そうじゃないと、いろいろ面倒な事に成るだろうから」

 そういえば、とジンは思い出した。ヴァサラから聞かされた昔話の最後辺りで、目の前のミズキは死んだ事に成っている。実際は、ただ静かに六番隊で眠っていてその事実を知っているのは、昔話を聞かせてくれたヴァサラと、ずっと側で見守っているラショウとハズキだけ。これは、ラショウの計らいによるものだったが、他の者が知ればきっと大事に成るのは間違いない。それを知ってか知らずか、ミズキは秘匿にする事を依頼してきた。

 (確かに、ウチのパンテラ隊長にバレたらかなりヤバイ感じが・・・)

 己の隊の隊長パンテラは、端から見れば口が軽いイメージがある上に、もしミズキが本当はこうやって生きていると知れば一体何をするか。そんな不安を滅茶苦茶感じたジンは、すぐに頷く。

 「うん、わかった」

 「じゃあ、これは私とジン君、二人だけの秘密だよ」

 ミズキは、己の口元に人差し指を立てて見せる。

 「ラショウにも?」

 しかし、せめてラショウには知らせても良いのではないか。そうすれば、ラショウの気持ちを思うのは何だか癪だが、きっと喜ぶに決まっている。ジンは、そう思った。だが、ミズキはコクンと首を縦に振った。

 「うん、ラショウにも。というか、ラショウには特に」

 「えっ?どうして?」

 「ラショウには、会いたくないから」

 ラショウに会いたくない、というのは一体どういう事なのだろうか。だって、ラショウは今までミズキの事をずっと見守ってきた。それなのに、何故。まだいろいろ聞きたいと感じたジンだったが、子細顔で軽く溜め息を付くミズキを見て、もうこれ以上何かを聞かない方が良いかもと感じて開きかけの口を閉じた。

 「おーい、ジン!」

 そんな空気のところへ、誰かの声が割って聞こえてくる。名前を呼ばれたジンが声の方へ視線を向けると、雷神ルトと続けてヒルヒルがこちらに駆け寄って来た。

 「お前、一人でこんな所で何していたんだよ?」

 「えっ?」

 ルトとヒルヒルが現れて、そういえばとジンが振り返ると、そこにさっきまで立っていたミズキの姿はいつの間にか跡形もなく消えていた。

 「一体、どこへ行ったんだ?」

 「ジン、何をキョロキョロとしているんだよ?」

 ヒルヒルは、ジンの顔を覗き込む。

 「い・・・いや、何でもない」

 全く己の生存を知らせるつもりはないミズキの行動としては、二人の前から姿を消す事は普通の行動とジンは思った。

 突然己の姿をまた眩ませたそんなミズキが、再びジンの目の前に現れたのは、四番隊隊長の炎神ビャクエンがカルミアの里で戦死したと訃報を聞かされたその後だった。

 ビャクエンは訪れたカルミアの里で、カムイ七剣の一人で氷剣のネムロと交戦。満身創痍の中で勝利を収めたビャクエンだったが、突如現れた同軍の十二番隊隊長の龍神アシュラと今度は交戦。アシュラは、ユダと同じヴァサラ軍の裏切り者だった。

 『お前を、殺す』

 今まで一切口を開かず無を貫いていたアシュラから、初めて声を聞きそして驚愕の事実を知ったビャクエンは、己の持つ剣(傘)の切っ先をアシュラへ突き付けて決意を表す。

 しかし、ネムロ戦で負った深いダメージと、元よりアシュラの隊長としての高い実力。ビャクエンは、残っている力でこれでもかと応戦していたが、やはり敵わず。

 更に、そこへ闇の帝王カムイが現れ、部下のネムロを、そして同時にビャクエンを手に掛けた。それにより、カムイはまた新しい五神柱の基礎格の力を吸収して、完全体へ近付いてしまった。ジンは、その時の光景がしっかり見えていたのに、結局止められなかった事に心から悔しがった。

 悪い事は、更に悪い方向へ全速力で駆けて行く。

 カムイ軍アジトでは、氷剣のネムロが死んだ事について残っている七剣同士が、互いに不穏な空気を漂わせながら話していた。そんな中に、また一段と空気を不穏に導く特別幹部のDr.デオジオが、いつもの不気味な笑いを高鳴らせて割って入ってくる。

 「しかし、カムイ様は更に完全体へと近付き、今や最盛期の力を取り戻していル。いよいよ始まるんだヨ、まだ誰も見たことのない混沌の時代がネ!」

 七剣がたった一人抜けたところで、闇の帝王カムイは全然痛くも痒くもなかった。むしろ、今までの十二神狩りで手に入れた十二神将の力が、カムイを完全復活へドンドン導いていく。もっと言えば、エイザンとセトに続いてビャクエンが戦死、魔神ユダと龍神アシュラは軍を裏切り、ファンファンは未だに消息不明で覇王ヴァサラは昏睡状態。いろんな要因によって、これまで絶大だったヴァサラ軍の戦力がドンドン削らされていく結果に成ってしまった。

 そして最後に、Dr.デオジオはこのように口に出した。もう一人の特別幹部、誰よりも侵略が好きな異常者の男“ジェフ“が帰って来ると。

 同じ頃、ラショウは再びミズキの眠っている六番隊を訪れていた。

 しかし、今日はすぐにミズキに話しかける事はなく、ベッドの側に腰掛けているだけで口を開く素振りも見られない。ただ、じっとミズキの顔を見つめていた。

 ラショウがそんな風に陥る原因は、この部屋へ入る前にハズキと交わした言葉だった。

 『ねえ、あの子を眠りから覚ます事は考えていない?』

 ラショウは、思わず目を見開く。

 『今、何て言った?』

 決して、ハズキの声が聞こえなかったわけではない。しかし、一体何を言っているのかと一瞬理解し難い内容の話に、ラショウは普段より低い声で背後のハズキに聞き直す。

 『もしかしたら、目覚めさせる事が出来るかもしれない。昔、あの子から貰った設計図を元に、彼女を目覚めさせる装置を作る事が出来る』

 もう一度聞き返しても、やっぱり理解し難かった。何故、わざわざ今に成ってそんな事を提案してくるのか、ラショウは更に聞き返した。

 『私の計算で、あの子の三つの極みはその極み一つ取って、隊長クラスの力に匹敵する。それを三つ合わせると、隊長三人分の力に匹敵するのよ。適当に話しているわけじゃない、だって私も一度手合わせした事があるから、実力は十分わかっている。ヴァサラ軍最強と呼ばれた十二神将が、今や半分。更に、軍のトップのおじいちゃまは昏睡状態。現在のカムイ軍の戦力が一体どれほどのものなのかまだよくわからないけど、この悪い現状を何とか打破する為には、私は今こそあの子の力が必要だと思うわ』

 花は土の極みの派生、鉄は雷の極みの派生、凪は風の極みの派生。ヴァサラ軍にとって心強い味方が出来ると同時に、同じ土系統で地の極みを持つエイザン、もう一人同じ風系統で風の極みを持つセト、この二人が抜けた穴は何とか埋められるのではないのかとハズキは思っていた。

 ラショウは、思わず剣(傘)の柄を強く握り締める。覇王ヴァサラの右腕であり、現在軍の指揮を担っているラショウも、この置かれている負の状況を決して理解していないわけではなかった。改めて、その現実を強く突き付けられたからこそ、ハズキの提案は恐らく誰が聞いても最も高い効率性を感じる、最適な提案だろうと嫌でも考えざるを得なかった。

 『だから、今から話し合うならその事をしっかり念頭に置いて』

 そんな話を交わしてから、ラショウは今ここに座っていた。

 元々、ある事を話す為にミズキの元を訪れたのに、今ずっとこのままの状態で時間を無駄に過ごしている気持ちに陥ったラショウは閉じていた口を開く。

 「また一人、俺達の仲間が死んだ。四番隊隊長の炎神ビャクエン、多くの隊員達に心から慕われる、まだ若くて未来のある奴だった。そんな奴を殺したのは、闇の帝王カムイ。その時、五番隊隊長の魔神ユダと、十二番隊隊長のアシュラの裏切りが発覚した。まさか、ヴァサラ軍に二人も裏切り者が隠れていたなんて」

 やっと重い口を開いたラショウは、結局いつもと変わらず、まず定期連絡から始めた。今日は、そんな事より真っ先に話す事があるというのに。

 「今、ヴァサラ軍は大切な仲間が死んだ事に、深い悲しみに暮れている。いつだって、大切な仲間が戦いで死ぬのは本当に辛い事だ」

 そこまで話したところで、ラショウは深い溜め息を付く。

 「お前の前では、ほんの少しだけ弱音を吐ける気がする。多分、聞いても応えてくれないからだろう」

 ラショウは、人間と鬼の間に生まれた半妖。当然、普通の人間とは元々身体付きが違い、とても丈夫で頑丈。そのおかげで、大抵の怪我や傷は負ったその日にすぐ治る、ラショウはそんな体躯の持ち主だった。しかし、その体躯からはあまり想像できないほど、今は背中が丸く小さくなっている。

 その端正な顔にこそあまり出さないが、軍の現状にラショウは少しばかり落ち込んでいた。ハズキに改めて教えられるまでもなく、頭できちんと理解していた。

 「夢に出てきて、以前話した事を思い出した。お前は、まだこの俺に敵意剥き出しの頃だったから、全然憶えていないどころか憶える気がなかったかもしれないが」

 ラショウは、過去の記憶を呼び起こす。

 それは、まだミズキがヴァサラ軍へ無理矢理連れて来られてすぐの頃。互いに、死について軽く話した事があった。実は、その話を交わす前にも、また大切な仲間が一人亡くなっていた。ラショウは、あまり面識はなかったが、それでも同じヴァサラ軍の大切な仲間で心からその死を悼んでいた時だった。

 『それならお前は、この俺よりも生きるんだろうな?』

 『少なくとも、アンタより先に死ぬ気はしないね』

 そんな会話をいくつか交わして、いがみ合った過去がついこの前の事のように感じた。

 「確かに、お前は死ななかった。でも、そんな事を話したお前が、まさか今こんな事に成っているなんて。当時のお前は、思いもしなかったのか若しくはまたいずれ成ると感じていたのか、どっちだったんだろうな」

 ラショウは、優しくミズキの頬に触れる。柔らかいが、冷たい感触が何とも言えない気持ちにラショウを陥らせた。

 「今でも、お前が腕の中で冷たくなっていったのをハッキリ憶えている。眠っている今のお前も、あの時と同じ体温のまま。だから、お前がいつかこのまま死なないか心配になる」

 ミズキのこの異様な冷たさは、人間が死ぬ時と同じ体温にものすごく近かった。

 ラショウは、目の前のミズキが現在のような状態に陥ってから、これまで多くのヴァサラ軍の仲間を失った。だから、幾度もこの体温を嫌でも味わってきた。

 (ハズキの話す通り、ミズキを目覚めさせれば少しは状況を良い方向へ変える事が出来るのか?俺も、こんな気持ちをこれから感じる必要ももうないのか・・・?)

 かつて敵同士で、ずっと一人で戦って必死に生きてきたミズキも、現在はヴァサラ軍の大切な仲間であり家族のようなものだった。

 ミズキは、半分機械とはいえ、元々は血の通った歴とした人間。いつかは、死ぬ。それが明日か、今日かもしれない。身近な大切な人が、ある日急に死ぬ事はここに居て散々味わってきた。

 「これ以上、ヴァサラ軍の大切な仲間が死ぬのは御免だ」

 ラショウの脳裏に、今でもしっかり焼き付いているミズキの笑顔がふいに浮かぶ。

 「でも、お前が大嫌いな戦いに繰り出されて死ぬのを見るのはもっと御免だ。お前は、きっとヴァサラ軍の為に戦う事を望んでいるかもしれないが。だから恨むなら、俺を恨め。これは、俺のわがままだ」

 ゆっくり、ミズキの頬からラショウは己の手を退けた。

 「ミズキ、今日またお前に会いに来たのは、本当は謝る事が出来たからなんだ。悪い、今までよりお前に会いに来る事がかなり難しくなった。俺は、ある事情でしばらくヴァサラ軍を離れる。詳しい事は、たとえお前にでも話せない。でも、きっと帰って来る。それまで、お前の事はハズキに任せるから、安心しろ」

 ラショウは、スッと椅子から立ち上がる。

 「俺は、まだ死ぬつもりはない。この手でカムイ軍を、闇の帝王カムイを倒すまでは」

 多くの仲間の死を無駄にしないと、ラショウの心を改めて奮い立たせる。そして、今ここで眠っているミズキも、必ずこの手で守ってみせると心の底から誓った。

 「だから、お前は何も気にせずゆっくり眠っていてくれ」

 ラショウは、身体を翻し扉の方へ歩いて行く。

 心のどこかでは、ここをしばらく離れる前にもう一度ミズキの笑顔が見たいと思っていた。しかし、それはきっと叶わないと理解していながら、それならせめて声だけでも聞きたいとも。

 「絶対、帰って来てね」

 ラショウは、突然何故かそう聞こえて、思わずミズキの方を振り返った。しかし、そこには普段と変わらず、ただ深い眠りに落ちているミズキが。

 「空耳、か・・・?」

 そんな風に思いもしたが、実際はっきり聞こえた気がした。だけど、もう一度聞きたかった声が聞けて、更にこれから己がやろうとしている事に対して、ラショウは背中を強く押された気がした。

 「行ってくる、ミズキ」

 ラショウは、扉を開けていつ帰って来れるかわからない道のりに向かう。

 「それで、答えは決まった?」

 部屋の外では、ハズキがいつものように煙草を吹かしていた。

 「ああ、断る」

 たった一言、ラショウは己の答えを返した。当然、ハズキの眉はピクッと動く。

 「私がさっき話した事、ちゃんと憶えている?」

 ヴァサラ軍は、現在鬼神ラショウ、天神イブキ、聖神ヒジリ、才神ハヅキ、雷神ルト、狂神パンテラの六名。それに対し、カムイ軍は邪剣の夢幻、火剣の瑛須、風剣の寅、毒剣のアカネ。そこに、ヴァサラ軍の裏切り者で元魔神のユダ、元龍神のアシュラの二人。真意は不明だが、拳神ファンファン。更に、以前ルトとイブキ各々がしっかり倒した雷剣のライチョウと剛剣の猛悟が生きている。これは、まだヴァサラ軍は知らない。その全員の下に、いったいどれだけの部下が在籍しているのかははっきり把握出来ていないが、恐らく力ではこちらが不利。

 「ちゃんと憶えているし、現状は理解している。だが、断る。アイツが、己の意思で目覚めるならまだしも、こっちの都合で無理矢理目覚めさせるのは断固反対だ。それに、アイツはずっと利用されて、そうやって今まで大嫌いな戦いに参加させられた」

 ハズキは、ラショウのその言葉にハッと目を見開く。

 「今、確かに戦いは激化している。そんな時に、ミズキを目覚めさせたらまた戦いの日々に見舞われるに決まっている。だから、俺はいつか自然に目覚めるのを待つ。たとえ、これからまた何年、何十年経っても」

 ラショウは、頑なにミズキを目覚めさせる事を拒否する。ハズキはその事に、どこかホッとした。

 「まったく、頑固ね。何となくだけど、アンタの事だからそう言うと思っていたわ。嫌な思いさせて悪かったわね、私もこの嫌な状況に少し切羽詰まっていたから。だから、アンタがそう言ってくれて、正直助かったわ」

 危うく、カムイ軍と同じ事をしてしまうところだったとハズキは心から反省する。

 「その事だが、俺はあまり心配していない」

 「えっ?どうしてよ?」

 「まだ、ヴァサラ軍には屈強な隊員達が居るだろう」

 以前、緊急の十二神会議でラショウが話した言葉。カムイ七剣の一人で火剣の瑛須が、ヴァサラ軍に奇襲を仕掛けたその時に、軍に残っていた隊員達が命懸けで戦いその脅威を退けた。それだけではない、まだまだ大勢居る。

 「だから、アイツを、ミズキをよろしく頼む」

 ラショウは、突然頭を深く下げたと思うと、その足で今度は亡きビャクエンの墓参りへ向かった。

 ハズキは、あの鬼神ラショウが己に深く頭を下げる姿を見たのは、これで二度目だった。一度目は、ついさっきまで会っていたミズキが現在の状況に陥って、面倒を見てほしいと頼まれた時。恐らく、二度目もきっとミズキに関係する事と、ハズキはすぐ理解出来た。

 しかし、また今になって何故そんな姿を見せたのか、そして何故か最後の言葉の意図がハズキの中でものすごく引っかかった。

 「アイツ、まさか・・・?」

 ピンと、ある悪い予想がハズキの頭に思い立った。

 ビャクエンの墓標を訪れたラショウは、墓前で片膝を付いて後輩の死を偲んでいる。と同時に、ある出来事を思い出す為に目を閉じた。

 数ヶ月前、いつものように剣(傘)を肩に担いでただ一人歩いているところへ、実はずっと背後に感じていた見知った男の気配に声を掛けた。

 『コソコソ隠れていないで、出てきたらどうだ』

 後ろを振り返ると、同じ十二神将の龍神アシュラが木の陰から姿を現す。そのままゆっくりすぐ隣まで歩いてきたと思うと、ある事を耳打ちしてきた。短いような、長いような。

 そして、話し終えたアシュラが過ぎ去った後、ラショウは思わず『はっ?』と遅い返事をした。

 ラショウは、閉じていた目を開かせて改めて覚悟を決める。

 傘(剣)を抱えて立ち上がり、墓標を背に振り返ったところで、突然ハズキと目が合った。これから向かう所へ歩みを進めるつもりだったラショウの足が、その場にピタッと止まる。

 「どこへ行く気?もう死に急ぐような真似はやめて。ただでさえ、医療班はもう手一杯なのよ?」

 ハズキが、心配するのも大いにわかる。しかし、この足をもう止める事は出来ない、己で決めた事だから。だから、ラショウはハズキの隣を通り過ぎる。

 「ヴァサラ軍の為だ」

 「約束して!必ず戻ると・・・破ったら、あの世で治療費請求するわよ?」

 ハズキの言葉を背中に聞きながら、軍の外へ固い決意を胸に歩みを進めるラショウは、しっかり前を向く。

 「俺は、約束を守る男だ」

 ラショウのドンドン離れて行く後ろ姿を見送りながら、ハズキは己の白衣のポケットから取り出した愛用の煙草に火を点けて吹かす。それは、今まで吸ってきた中で恐らく最も肺を充満させて、煙を吐くと同時に重い溜め息を付かせた。

 「本当、ここの男達は頑固だわ」

 ハズキも、ラショウが不在の間ヴァサラ軍を、そしてミズキをしっかり守っていく事を心に決めた。

 それぞれ、大石を椅子代わりにジンとミズキは並んで座っていた。

 「そうか、私が今まで眠っていた間に、そんな事が起こっていたんだね」

 「ああ、いろいろ」

 ジンは、かつてヴァサラが昔話を話してくれた時と同じように、己がヴァサラ軍に入ってからこれまでの出来事をミズキへ話して聞かせた。

 「それにしても、まさか、あのアシュラ隊長が・・・」

 長い眠りに付く以前、ミズキはたった一度だがアシュラと顔を合わせて話した過去を持っていた。何なら、ミズキはその時、アシュラだけが持つ二刀流をカッコ良いとさえ感じた憶えが今でも。

 「いつから、カムイ軍に寝返っていたんだろう。もしかして、初めて逢った時からもう既に・・・?」

 もしかしたら、それは本当の事かもしれないがしかし、そんな事を今更思っても変えようのない現実と、ミズキはそれ以上言葉を続けるのを止めた。ずっと己の為にここまで話してくれていたジンの表情が、曇天のごとく曇っていたのが目に入った。

 「ジン君のせいじゃない」

 落ち込んでいるジンに、突然ミズキは謝罪を述べる。

 「悪かったね、加勢出来なくて」

 「えっ?」

 「私がその場に居れば、もしかしたら何か結果は変わったかもしれない。もしかしたら、ビャクエン隊長が死ぬ必要は一切無かったかもしれない。完全体に成る前のカムイに、この三つの極みの力で少しは応戦出来たかもしれない。でも、過去を振り返ったところでそのもしかしたらは、決して叶う事はない。過ぎた時間は、どんなに足掻いても戻らないから」

 経験者は語る、だろう。ミズキの過去をよく知っているだけに、ジンはそんな風に感じた。だから、今さっきの言葉はジンの胸に深く染みた。

 「私は、死んだビャクエン隊長や裏切り者のユダの事は全然知らない。だから、ジン君や他の皆の二人に掛ける気持ちも全然わからない。でも、エイザン隊長の事はよく知っている。昔の私に、土系統の極みを持つ者同士、いろいろ教えてくれた。闇の帝王カムイが復活して、真っ先に殺された私の仲間がエイザン隊長で、しかも手に掛けたのが憧れていたアシュラ隊長・・・随分、嫌な因果だ。だから、その二人に掛ける気持ちはよくわかる」

 ジンも、昔エイザンに大切にしている事を聞いた日について思い出していた。

 「エイザン隊長は、俺に大切にしている事はあらゆる人や物に感謝をする事だって話してくれたんだ」

 「それは、すごくエイザン隊長らしい。だから、あんな良い人が亡くなったのは、本当にすごく惜しい。一度、ちゃんとエイザン隊長の墓参りに行かないと。もちろん、ビャクエン隊長の所にも」

 ミズキは、柔らかい笑みを浮かべる。

 「こんな私だけど、ラショウには本当に心から感謝している。ラショウだけじゃない、ヴァサラ軍皆に。元々は、ただヴァサラ総督を倒す為だけに、こんな身体に作られたこの私の事を全部受け入れてくれた。すごく、嬉しかった」

 「なあ、ミズキさんは本当に、ラショウが急にどこへ行ったか全然知らないのか?」

 「うん、知らない。その事については、一切何も話してくれなかったから。多分、これから向かう先を伝えて心配を掛けたくないからと思う。でも、きっとヴァサラ軍にとって良い事をしに離れたと私は思っている」

 ラショウの事を話すミズキの姿に、ジンは思わず口に出さずにはいられなかった。

 「ミズキさんは、誰よりもラショウの事を心から信じているんだな」

 「うん、もちろん!」

 ミズキは、満面の笑顔で頷く。そんな風に思われているラショウに、少しだけジンは何だか羨ましいと感じた。何故なら、出逢ってから今まで目に入った中で、ラショウの事を話す時のミズキの笑顔が最も綺麗だった。

 「昔の私だったら、こんな事絶対思わなかったよ。最初、ラショウの事は本当に心の底から大嫌いだったから、目を合わす度に剣(傘)を交えて戦っていた。でも、何故か何度も出逢ってしまうんだよね。それで、昔の冷たい機械仕掛けの私から、今は普通の人間だった時の私に変われた。だから、今思えば見えない誰かが何かの目的で、ワザと引き合わせているのかななんて感じているよ」

 きっと、ラショウと出逢う事は運命付けられていたんだろうと、ミズキは心で感じた。

 そんなミズキの方へ向かって、何かの花びらが一枚、風に飛んで落ちてくる。それが視界に入ったミズキは、スッと手を差し出し乗せた。

 「確かに、ラショウには会いたくないって話した。でも、ラショウの事を心の底から大嫌いなわけではないし、全然信じていないわけじゃないんだ。でも、本当に会いたくないんだ」

 ジンは、思い切り首を傾げる。

 (女心は、全然わからん・・・ルトと同じだな)

 ただ、ルトと違って、ミズキからはどこか違う女としての雰囲気をジンは少しだけだが感じた。

 「ラショウは、きっと帰ってくるって言っていた。ラショウは約束を守る男だから、私は絶対帰ってくるって心から信じているよ」

 「それで、これからアンタは一体どうするんだ?初めて逢ったあの時は、ルトやヒルヒルが現れて何も聞けなかったけど」

 「私の存在は一切秘密だから、これからジン君とも皆とも一緒に戦う事は出来ない。でも、君を今より更に強くする事は出来る」

 「えっ!?」

 ジンは、思わず飛び上がる。

 「カムイの力は、日に日に増している。だから、君には一日でも早く、私以上に強くなってもらいたい。私が、ヴァサラ総督の代わりにジン君を強くする」

 ミズキは、改めてジンの目をしっかり見た。

 「もっと強く成れ、ジン君」

 「それって、つまり・・・?」

 「ヴァサラ総督の代わりに、私が極みの使い方を教えてあげるよ。無の極みのコントロールのやり方は無理だけど、疑似とはいえかつて私も無の極み同様の力を作る為に三つの極みを発現させているから、私が教えられる範囲で教えてあげるよ」

 「ほ・・・本当か!?そいつは頼もしいぜ、ミズキさん!」

 思わず嬉しくなって、ジンは大きなガッツポーズをして見せた。そんなジンの想像以上に喜ぶ姿に、ミズキは軽く頭を掻く。

 「私は、全然師匠ってガラじゃ全然ないけどね。でも、これでも極みのコントロールはここに居る誰よりも上手いと思っている。伊達に、三つも極みを持っていないから」

 今、目の前に見えるまだ年頃の少年が己の存在を周知していた事に、これもまた何かの運命かな、と思わず感じられずには居られなかった。

 「君が、初めてヴァサラ総督と出逢った時、それはただの偶然じゃなくてきっと運命だろうね。そして、ここへ直々に引き連れて来た。ただの気分なんて言って、その時から既に何か君の隠れた素質を感じていたのかも。君の、その無の極みの素質を。そして、こうして私とも出逢った。ヴァサラ総督が目覚めた時に、こんなに強くなったんだって思う存分自慢して、それで心の底から驚かせてやれ」

 「おうっ!」

 「でも、私の修行は厳しいよ。それでも連いて来れる?」

 「ああ、もちろんだぜ!でも、早速これからと言いたいところなんだけど、これから軍の皆と十二神稽古が始まるんだ」

 「そうか、頑張ってジン君。私は、君の居るところなら、いつでもいるからおいで」

 そう話して、ミズキは手を振りながら、ジンが十二神稽古へ向かう姿を見送った。

 そしてそのまま、ジンがもう視界に入らなくなったところで、ミズキは剣(傘)を握り花の極みの構えを取った。

 「花の極み ”百花繚乱“ 鏡花水月」

 剣(傘)を思い切り突き立てた地面から、幾本もの蔓が出現したと思うと、それは目の前のミズキと同じくらいの身長まで伸びて人型を成していく。そして、ゆっくりミズキの姿に変わっていった。

 「また、眠っている私の代わりをよろしくね」

 ミズキは、そんな事を呟いて剣(傘)をゆっくり腰に差し直した。

 軍師長シンラは、これから十二神稽古を開始する前に、闇の帝王カムイやカムイ七剣について熱く言葉を放つ。

 「敵は、”超神術“という特異な力を操る。見てくれは人間だが、人の形をした別の生き物だ。特に、幹部はより強い呪力を与えられ、高い身体能力とおぞましい耐久力を持ち、たとえ傷を負ってもたちどころに再生する。だが、不死身ではない!奴等にも、必ず限界は来る!」

 そして、最後にこんな風に締めくくった。

 「もう誰一人、奪わせやしない!」

 しかし後に、この二人、ジンとミズキの出逢いがまた新たな混沌を生み出す事になるとは、まだ誰も知る由もなかった。

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