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アルビノが難病でなかった頃、私は何を考えていたのか。

アルビノは難病である。というか数年前に難病になった。今もアルビノは難病情報センターのサイトに情報を載せられている。

難病情報センター:http://www.nanbyou.or.jp/entry/4492

そこには眼皮膚白皮症という名前でアルビノのことが書かれている。眼白皮症というのもアルビノには含まれるのだが、そこにあるのは眼皮膚白皮症の患者についての情報だけである。アルビノ、思ったより広義の言葉だ。

そこにはちょっと怖いことも書いてある。私が老いるのが怖い理由にこれも挙げられるかもしれない。

けれど私の小さな頃はアルビノは難病ではなかった。難病であることで生活が変わったわけではないが、意識は確実に変わった。アルビノが難病でなかった頃、私は何を考えていたのだろうか。

眼皮膚白皮症が指定難病164になる前のこと。私はアルビノの症状を軽いものとして捉えていた、いやそうなるようにいろんなものに仕向けられたとも言える。親をはじめとする、社会に。

日焼け止めを塗ってサングラスや帽子をしていれば特に痛みもなく過ごすことができるから。継続して治療が必要な重い疾患でもないから(治療法がないだけ)。

そんな言葉達が形をもってしまい、私はアルビノって大したことない疾患なんだと自分の疾患故のつらさを過小評価してしまっていた。それがまたつらさを加速させた。

人のつらさと自分のつらさを比べて優越感に浸ったり、逆に落ちこんだりといろんなことをやった。多感な時期のこと、その振れ幅といったら大変なものだった。

それからも症状や生きづらさを軽く捉えてしまう日々は続いた。私は普通にやれている、とそう思いたくて仕方なかったのだ。

そうやってつらさから逃げていた日々に、アルビノの難病指定が飛びこんでくる。

難病? 私そんな、入院を繰り返したりとか、治療を受ける必要があるとか、そんなじゃないのに、と反発した。難病という言葉に反発していれば、アルビノは軽いもののままである気がしたから。

アルビノは死に直面する病ではない。少なくともこの日本では。アルビノ狩りが行われている場所ではアルビノは死に直面する病だが、日本では違う。

だから、軽いと思いたかった。そして自分は普通だということにしたかった。

でも難病指定から少しずつ考え方が変わっていった。視力が欲しいと自分の望みを明確にし、見た目で差別された経験を自覚した。治療法があればいいのにという悔しい思いも自分のものとして知っている。

難病指定で私の生活は変わらなかった。医療費が安くなるとかそんなことは起きなかった。

けれど、アルビノをつらいって言っていい、と何かに赦された気がした。

執筆のための資料代にさせていただきます。