最低限だって何だって構うもんか。一人暮らしならそれでいい。

私にとって、一人暮らしはいつだって自由の象徴で、大切なもので、得難き友人だ。例えごはんが食べられなくなっても、私は最後までこの友人との暮らしを守ろうとした。

守りきれなかったことが、大変悔やまれる。あの暮らしを守りきれないくらいなら一人で朽ちていきたかった。それすらもできなかった自分が情けない。

一人朽ちていくことを妨げた人が憎い。私はあの暮らしのまま朽ちていけたらそれはそれで納得できたのに。二番目に理想的な終わりだっただろう。

一番は高次精神生命体として電脳世界で読んで観て書いてを繰り返すものになるという終わり。

注意書きを忘れたのでここに書いておこう。

この文章は自分の命も暮らしもすべて自分の所有物で他者の意思など何の意味も持たないと思っている人が書いています。

要するに、私が一人暮らしして料理ができなくて部屋も汚くて不摂生がたたって早死にしても、私は一人で朽ちていきたいから放っておいて、ということだ。

一人暮らしがしたい。さもなければ朽ちていきたい。

書いたことはないけど、古文でよく見かけた恋文のようじゃないか。私は、一人暮らしに恋をして、愛し続けているのかもしれない。

誰よりも、何よりも、愛おしい。それは紛れもなく事実だ。

だって、あなたは誰のことも怒らない。どんなに不摂生でもいいよって言って静かに待っていてくれる。

休日の昼過ぎに目覚めた私を優しく迎えてくれる。

納豆とごはんを並べて食べる私を褒めてくれる。

勿論無遠慮な干渉も監視もない。

家というプライベート空間を完全に気を抜いてくつろげる場所にしてくれる。

だから、また、何としてでも一人暮らしがしたい。

惣菜やコンビニ弁当だらけの暮らしでもいい。バストイレ別じゃなくても構わない。本があってネットに接続できればもうそれでいいから、私は一人暮らしをしたい。

それを最低限の生活とか、カツカツの生活とか言う人がいるのは知っている。でも、私には、何より一人きりの家が必要なのだ。

最低限でもカツカツでもいい。その道の先に早死にがあったっていい。私は、一人暮らしがしたい。

夏の始まりに、一人暮らしを始める。そう決めた。


執筆のための資料代にさせていただきます。